――……、…………


　蹲り、留まり、声なき声で泣いている。
　死してなお、死にきれない者たち。
　幾多の魂の集合体。
　ノーライフキングと呼ばれるエンブリオが、泣いている。
　少なくとも、カサネにはそう感じられた。


「……なんで、泣いてるんだ？」

「うん？」


　マフラーの下の呟きを捕らえたのは、双頭の獣だった。
　歩みを止めた主を見上げ、その視線を辿って納得したように頷く。


「主殿には、あれが泣いているように聞こえるのだな」

「違うのか？」

「んーん、違わないヨ。でも、ニンゲンの言うところの“泣いてる”とはチョット違う、カモ？」


　どういうことかと視線で問えば、獣たちはしばし顔を見合わせて言葉を捜すように耳をぴくぴくと動かす。
　一角の獣がカサネの脚に擦り寄ったのは、そんなときであった。


――あれらは、嘆いている。還れぬことに、留まることに、他に、そして自らに


　ああ、なるほどと納得できた。
　悲しい、苦しいとすすり泣くその声がどこか縋るような気配を滲ませているのは、つまりそういうことなのだろう。


「……あいつらは、ずっとあのままなのかな」


　還ることが出来ないというのならば、地縛霊のようなものなのだろうか。
　何かの因果に囚われて、縛られて、留まりたくないのに足踏みしているようなもどかしさを感じる。


「ソウネー…誰も何にもシナイなら、あのままなんじゃナイ？」

「誰かがどうにかすれば、あいつら還れるのか？」

「簡単なことだ。喰らってやればいい」

「……食うのか？あれを？」


　目を瞬かせる主に、双頭の獣は笑う。
　側に寄り添っていた体勢からくるりと向きを変え、主の正面へと腰を下ろした。
　きちんと脚を揃えて座り、主を見上げる。
　その体が、熔けるように、解けるように、黒い炎を纏って燃え上がる。


「言っただろう、主殿。我等は煉獄の獣だと」

「焼き払い、喰らうことはネ…何も肉体だけじゃナイんだヨ」


　煉獄とは、浄化の地。
　死した魂が生前の業を、罪科を焼き尽くされる場所だと獣は言う。
　その役目を担っている者こそ、自分達であると。


「俺達は、肉の味を、魂の味を覚えて堕ちた魔獣だケド、喰えなくなったワケじゃナイの」

「ゆえに、主殿が望むのならば」

「命じればイイんだヨ」

「我等は貴方に付き従う――全ては、主殿の望みのままに」


　獣は笑う。
　そして、試されていることを感じる。
　恐らくカサネが口にした願いを、獣は正しく成すだろう。
　だが、ゆえに言葉を省略してはいけない。

　何を、どういう結果を望むのか。
　戦闘時のように、こちらの意を汲むことだって出来るだろうに、獣達は主の言葉を望んでいる。

　何をどうすれば…と戸惑うその状況に、ふと思い当たるものがあった。
　これは、魔力を術式を通す過程だ。
　望む結果を得るために術式を組上げる、それを言葉で言い表せということだろう。

　だが、カサネが望むその結果には、双頭の獣達だけでは多分足りない。
　例え罪や咎を喰らっても、そのままではきっと還れない。
　足元に侍る一角の獣に視線を落とす。


――其れを、汝が望むのであれば


　紅い目を細めてクレノが笑う。
　よく出来た、というように。


「……偽善じゃないかな」


　ふと、そんな思いが過ぎって思わず口から零れた。
　救ってやりたいなんて、大それたことを言うつもりはないけれど、ただ、あのエンブリオが哀れに感じるのは確かだ。
　しかし…そういう思いから彼らの存在をどうこうしようというのは、エゴではないのか。


「いーんじゃナイのー？」

「お前…そんな軽く…」

「だってサ、主殿は“そうシタイ”んデショ？」

「……そうだけど」

「ならば、それでいい」

「……いいのかな」

――少なくとも、我らにはそれで十分だ

「……そっか」


　単に、自分がそうしたかった。
　それだけの理由でも、動くことが許される。
　今更ながら、自分を絡め取っていたものが一つ、ないことに気付いた。

　溜息を吐く。
　“この世界”はどうしてこう――…
　湧き上がりかけた感情は、けれど今浸るべきものではない。
　
　足を踏み出す。
　蹲り、動けずにいる者たち。
　彼らに感じたものは、ある種の同属意識のようなものなのかもしれない。
　ならば、これは正しくカサネのエゴだろう。
　分かっていても、歩みを止める気にはならなかった。



　取り出した赤い花を、差し出す。
　彼らに干渉するために、彼らを自分に属するものとするために。


「そこに留まるのが嫌なら、来い」


　戸惑う視線が集まるのを感じる。
　いいのだろうか、許されるのだろうか…そんな風に、彼らはカサネを見ていた。


「お前達が望む還り方じゃないかもしれない」

「それでもいいなら、連れて行ってやる」


　ここじゃない場所へ――…
　我ながら言葉足らずだと思ったが、それでも。
　歪な手――大きな手、小さな手、皺くちゃの手、たおやかな手…あらゆる形が寄り添って一つになった手が伸ばされた。

　赤い花が弾けて蛍火になる。
　生を持たぬ王が、カサネに頭を垂れた。


「ルベド、ニグレド――還るものを残して、喰い尽くせ」

『御意』


　獣が歓喜にまみれた声で応じ、完全に黒い炎と化す。
　炎は瞬く間にエンブリオを飲み込んで、その形を成しているものを焼き尽くし、喰らっていく。


――ああああ…アァァァァァ…


　其れは苦悶のようであり、後悔のようであり、安堵のようであり、恍惚のようであった。
　様々な感情が表れては焼き尽くされ、喰われ、次々と削がれていく。
　そうして残ったものたちは、この場所には不似合いなほど穏やかで、安らかだ。


「――…」


　クレノ、と声を掛けようとして、けれど違うと言葉に詰まる。
　違う。
　今呼ぶべき名前は、必要とする役割は、違うのだと内側から声がする。

　クレノは“彼”に通じる獣。
　“彼”は始祖たる女神の膝元に。
　ならば、この役目は……カサネが望む結果をもたらすために必要なのは、彼の女神の力だ。

　血族の祖。
　闇を司る死の管理者。
　彼の女神は死した魂を拾い上げ、生の担い手である光の女神へと引き渡す。
　その輪廻の流れに導くに相応しい名前を、この獣は持っている。


「――彼らを任せたい。頼めるか、“クレノヨル”」


　その名前は、獣が獣であるためのもの。
　獣を形成する“核”。
　本来ならば彼を生み出した宿主と、その名を授けたものしか知りえない。

　カサネの血は、そんな彼の名前を覚えていた。
　正確に言うなら、思い出していた。

　銀の一角を有する、影の獣の姿が膨れ上がる。
　カサネが眠りの中で落ちる深い場所のような、不思議な煌きを内包した“闇”へと広がっていく。
　そして――



















　凛として冷たいのに、涙が出そうなくらい優しい声が聞こえた。
　その声に導かれるように、留まっていたものたちは“闇”の中へと還っていく…
　“闇”の中でゆったりと流れる銀河のような煌きに加わるのを見届けると、もう大丈夫だという安堵に包まれた。

　“闇”が閉じる。
　冷たく優しい気配が遠のく。
　けれど、その間際……




　自分と同じ色の目が、微笑んだ気がした――…