深い森の木陰に腰を下ろし、分厚い書を開く。
　自分のものではない。魔女より借り受けた、事典のような、知識の蒐集のような書物だった。
　索引を辿り、知った名前を見つけ出し、探り当てた項目に目を通す。

　記憶の烏。星のスカートの女神。魔法使いのドラゴン。

　その多くが模造である反面、それに即した面を持つ。エンブリオへの、種族単位での名付けによる制約がそうさせるのか。いま、白虎が幼くも吹雪を操るように。狼の牙が夢を食い破るように。模倣するものが強ければ強いほど、地に溢れる生き物達も強くなる。
　最初の頃は、まだ、人間の兵士らしき者達にも出会った。今では最早そうした存在は見えない。数少ない例外は、明らかにネクターに囚われ、エンブリオとも人間とも違う在り方で在る。
　――そして。神、それに連なる偉大な名前が、増えている。伝承の中に生き続け、それを知る人が夢想する彼らのかたちを模したものたち。力の強さに歯止めがかかることはない。それは、長く留まり続けることで、ネクターと契約したこの身が、招きよせるものなのか。
　何より、今の自分達は、そんな強大な模倣にも太刀打ち出来る。
　そんなことは特別ではなく、多くのものが、偉大な名前の模倣を打ち滅ぼす。そのたびごとに命の花は力に満ち、世界が何かで溢れていくような錯覚に陥る。
　エンブリオたちは、多くを語らない。だがそれは、秘密を守るというよりは、自分が何処から生まれたのか自分でもわからない為であるように思う。

　それがわかってしまったら、もう、契約を続けられない。
　それを理解してしまったものは、もう、ドールでもキラーウルフでもナイトメアでもない。

　それを理解するためには、相応の器になる存在としての名前が必要なのだ。

　――個体によっては、名前を保持したまま、それを悟るエンブリオも居るのかもしれない。
　ただ、少なくとも、自分が契約する中にはいない。その蓋と鍵は、自分のものであり、エンブリオのものでもある。

　一度閉じていた本を、再び最初から開く。
　この書を書き綴った人物は、何を集め、何をかたちにしようとしたのだろうか。
　これまでにこの書を読んだひとびとは、何を思い描いたろうか。

　白虎が、頭を擦り付ける。本に傷をつけないよう、それでもこうして甘えてくるときがある。
　軽く撫でてやると、いかにも満足した様子で、身を丸くする。本と共に膝に抱えなおし、ゆっくりとページをめくる。

　焚き火を囲んだそれぞれの気配を、時折感じながら、ただ知識を楽しむ為に、本を読み進める。

　今日も、まだ、メルンテーゼで過ごすことが出来ている。

（手袋を着用する