シスターの憂鬱

シスターは王城内の己の執務室において使い魔や王城の官吏からもたらされた一揆に待つわる様々な情報を分析していた。軍官民各所からもたらされた報告書の読みすすめて複数の観点からの情報を整理して裏をとっていき、情報端末に情報を格納してして解析を行う。一日を分析に費やしてシスターは暗澹たる気分になってしまう。一揆の５０日を超えて混迷を極めている。情勢は以下のようにまとめられる。

（１）王城は一揆衆の制圧下に入りつつある
　- シュガーのような弱兵の一揆衆にすら三階廊下を突破されている
　- ただし一揆衆は組織だった制圧活動をしないため行政業務には支障なし
（２）新王が一揆衆に発見され、突破されている
（３）新王は強制型エンブリオに憑依されている
　- ネクター独占政策は王の意志ではない可能性がある
（４）魔神ベルフィが天蓋庭園に出現し、一揆衆と交戦中
　- 魔神さまことベルフィは己がネクターの創造主であると主張
　- （理由はよくわからないが）メルンテーゼを滅ぼす旨の発言を行っている。真偽不明。

特に（３）と（４）をシスターは深く憂慮していた。

まず（３）であるが、新王がエンブリオによって憑依されているとなると、王の精神は王として正常な判断が不可能といえる。一部の高級官僚はこれ以て王名による命令の無効確認を裁判所に働きかけているが、兵士らを中心に王へ忠誠を誓う者は未だに残っており、権力委譲の手続きは停滞しており、あるいは、王城内の指揮命令系統は徐々にであるが破綻しつつある。シスターは思う。王のもつ権限は、法令に基づき、速やかにその継承者（例えば、副王や宰相に）に譲られるべき状況である、と。新王は病気のようなものなのだから、お休みいただかねばなるまい。

そして、シスターが最も深く懸念しているのは（４）であった。天蓋庭園には大量のネクターが集積されている。シスターは手元に集った情報から、そのネクターを魔力や物理エネルギーに変換した場合の被害規模を算出した。シスターは１人執務室でパチパチとラップトップパソコン（電源は魔力を変換する）を操作して、天蓋庭園のネクターを特定の変換率で熱力に変換した場合に生じる物理現象をシミュレートした。計算機によってはじき出された数字は羅列となり、パソコンのウィンドウには何かが花のごとく広がっている様がグラフィックイメージで表示されていた。

結果、ネクターはメルンテーゼを灰にするだけの熱量を生じる恐れがあることが分かった。城の陥落に伴う被害を防ぐために王城の仕事についた シスターにとって何としても避けたい事態である。

対策としては、

A)メルンテーゼ市民の避難
B)魔神ベルフィの無力化
C)天蓋庭園のネクターの処分

などが考えられる。一揆衆が魔神ベルフィを無力化してくれるならばまずは一安心である（ネクターは適切に処理しなければならないが）。一揆衆は分割世界における守護者の加護を受けている。神々の代行者といってもよい存在だ。彼らならば世界を構築する魔神に対しても力を行使することが可能だろう。メルンテーゼが長らえることができるかどうかは、いまや、一揆衆の活躍にかかっている。

シスターはため息をついた。よもや一揆衆にメルンテーゼの命運を託す日が来ようとは思ってもみなかったのだ。いや、しかし、待ってください。シスターは１人誰に向けたわけでもなく呟く。例えベルフィを一揆衆が退けたとして、天蓋領域に集積されたネクターが適切に管理されるようになるわけではない。

天蓋庭園では一揆衆同士の小競り合いが生じており、王城内に出没しているベルクレア騎士団の動向も明確ではなく、どのような存在がネクターを手中に収めるか、文字通りの総取りとなるが、それはまだ定かではない。恐らく、魔神の後にもう一波乱あるだろう。

シスターは再びため息をつき、今は己にできることをしよう、と心に決める。まずは、ネクターが魔力変換された場合の被害総額を試算し、メルンテーゼの大臣や官僚達に対策を具申しよう。エンブリオとネクターの性質を研究し、ネクターに頼らない持続可能な共存方法についても模索したほうがよいだろう。また、メルンテーゼの市民の避難先の確保と、避難計画の（仮）策定など仕事は山とある。

ベルフィがメルンテーゼを滅ぼすというのだから、避難先は他の分割世界になるだろう。メルンテーゼの市民は難民となるのだから、受け入れ先の世界との交渉は難航するかもしれない。大勢の人間と生活物資の世界間の転送には、高度な魔術的な技術とそれなりの準備も必要である。一揆衆が魔神を退け、王が正気を取り戻し、万事が丸く収まればよいのだが、あるいはシスターの懸念が杞憂に終わればよいのだが、だいたい現実のほうが非情なものだ。

とはいえ、それでも、希望はある。どんなときにも。

トロイアの英霊に親しみ、信仰の修行を積んだシスターはそう思う。進んだ先に道はある、とも。

同じ頃、シュガーはというと…

どんよりした冬の曇り空の下、シュガーはアニマと一緒に森の端にある丸太小屋の前にいた。シュガーが小屋の中に入り、ひげ面の主人に挨拶をして己の名を告げると、主人は頷いて食糧や防寒着といった物資をシュガーに渡していく。シュガーは事前にラルフに依頼して一揆のための物資の調達を依頼しており、今日はその受け渡しのために森までやってきたのである。物資には、ザイルにカラビナ、コンパスや地図など、山岳進行用の物品も含まれており、あれやこれや質問するアニマに応えながらも、シュガーは慣れた様子で道具をパッキングしてしまう。

憂鬱とは言うもののシュガーの表情に陰りはない。リュックに道具をつめ終えると、シュガーは古屋の一角のテーブルで一息つくことにした。小屋の主人からストーブで沸かしたお湯を分けてもらい、アニマにホットチョコレートを作ってやる。アニマはチョコレートをすすると口の中が熱かったのかあちちと呟き、ふぅふぅ息をホットチョコレートに吹きかけていた。

ふふふ、とシュガーは笑みを浮かべ、地図を広げ、これから向かう先について指でなぞってやる。指は螺旋を描いてくるくる回る。アニマにはシュガーの指先には道があるようには見えなかった。

シュガーが目指は王城の屋上庭園である天蓋庭園である。ぽかんとしているアニマの耳元に、今日も今日とて冥府からの声が届いた。冬の曇天のごとく沈んだ声色であった。

時々風が吹いてガラス窓はガタガタきしむ。季節はすっかり冬である。

シュガーは怨霊と会話をしているようです

シュガーは怨霊と会話をしているようです…