てちてち、てちてち。
予定より幾分か遅れてしまったが、やっと、村が見えてきた。
いや、正確には川面で働く見知った人の船と姿が、だ。

「おじさまっ、ペタルおじさま〜！」

パタパタとスリッパを鳴らして水際に駆け寄り、大きく両手を振る。
ぴょんぴょんと跳ねるたび、より高く飛ぼうとしてか、ばさっ、ばさっと翼が広がる。
大事なスリッパを濡らしてはいけないと、踏みとどまる理性はできたよう。
それに気づいたらしい男が船の上で仕事の手を止め、手を振り返す。
だが、水面に滑り込まないこちらの様子に、いぶかしむように首をひねると
ゆっくり櫂を操って、男はこちらへ船を寄せた。

「おうおう、よう帰ってきたのう、ちいと遅かったかな。
それより……どないしたんぞ、その足は。面白いもん付けとるのう」
「うふふ〜　お城の廊下が長くって、足が痛くなってしまったの。
それで、エンバーさんが作ってくださったのよ〜」
「城か……」

男の声が低くなる。
が、すぐにそれを払うように声を張った。

「ほしたら、あとで詳しい話を聞かしちくれやの！
ほれ、はよ帰って両親と長老に挨拶してこい。
エンバーの坊もご苦労じゃったの、長老が会いたがっとったし、
ちいとついていって、顔でも見せちゃってくれんかの」

わしはもうちっと仕事してから行こわいと、男はまた船を漕いでいった。
遅れたことも、返信をサボり続けていたことも、思ったよりも叱責されなかった。
それで安心して、無意識に入っていた肩の力をほっと抜く。
傍らの彼を見上げて、安堵の色はそのまま、にへらと笑った。

「それじゃあ、行きましょうか〜。
エンバーさん、今夜、何を召し上がりたい〜？
リクエストがあれば、遠慮なし仰ったほうがいいわよ〜。
きっと、ご馳走の用意はこれからだと思うから〜！」

似合うだろう、と選んだそれを実際に彼が纏えば、
己の目に狂いはなかったと安堵と喜び混じりで大きくうなずく。
手を伸ばして、少し形を直そうとしつつ。

じゅるり。
条件反射のように口元をぬぐって、けれど笑み混じりの彼の声音に
今の状況を思い出して表情を改める。

これとか、と髪に飾るふりをしたアップルパイを、小さく振っておどけてみせる。
それをようやく口に運びかけ、髪へと伸ばされる手に目を丸くした、その隙を埋めるように。
ぱち、ぱち、と響く小さな音。
確かめるようにそっと触れてみて、その柔らかな手触りに素敵なものの予感を覚えて、
そして視線で彼へと許可を求めてから――そうっと片方を外して確かめてみる。

割と真剣に悩みながらも、頬はすっかり緩みっぱなし。
ぱちん、とまたそれを髪に飾って、もう一度、ちゃんと彼の目を見て。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。