負けられない闘いを負けたことを俺は理解していた。
　その事実に打ちのめされる自分とは別の、どこか冷め切った感情の向こう側で認める。



　負けたのだ。

　俺は。

　決して負けてはいけない相手に。








　身体の感覚はすでに無い。
　もとより痛覚の遮断を行っていただけではなくて、繋がり自体がもはや希薄なのだ。

　それもそうだろう。
　大規模な空間破砕。
　生存に特化した次元竜という種であろうとも、それは致命的とも言える一撃だったのだから。







　ほんの微かに残る『器』との繋がり。
　そこから把握出来る情報を改めて意識すれば、あまりにも救いのない現実が詳らかにされた。


　腰の副翼は原型を留めていない上に片翼が千切れ飛んでいる。

　四肢は甲殻が尽く砕け、もはやマトモに歩行することすら不可能だろう。

　尻尾は半ばから抉れるように砕け、晒された断面が端から微細な欠片と化していく。

　長い首を覆う甲殻は一部剥がれ落ち、もうまっすぐに伸ばせはしない。

　耳は一部が千切れ、角は根本から砕かれ、視覚はどちらも失われている。


　大規模空間破砕とその後の大地への激突。それらを超えてまだ形を保てているのが奇跡的とも言えた。だが『器』としてもう一度使うことはもはや不可能なレベルだ。このまま放置していれば、きっとそう時を待つこと無くこの身体は活動を停止するだろう。……もっとも、それまで大人しく待っている様な相手では決して無いのだが。
















　俺は死ぬのだろうか。
　ただ淡々と、そのことを思う。


　死、というモノを恐れているかと言われたら多分そんな事もないのだろう。
　今この時だって自分が死ぬというその事実自体には何の感慨も沸かないのだから。

　次元竜の『死』は、残酷で、同時に優しいものだ。その核となる精神体の消滅と同時にその個体の情報は永遠に失われる。外部に保存でもしていない限りは、全ての存在から不必要な情報として抹消されるのだ。たとえソレが家族でも、伴侶でも、どれほど大切な相手であろうとも何の対策もなしにはその存在を記憶しては居られない。
　つまりは、自分を喪った所で誰一人悲しむものはなく、残された苦しみに喘ぐ事もないという事でもある。

　それはある意味、幸せなことでは無いのだろうか？





　きっとアルデバランは俺を殺す。
　俺の『器』だけではなくて、俺の核である精神体も何もかもを。
　アイツの性格だ、きっと再生出来る余地なんて在り得ない程に完膚無きまでに俺を殺すだろう。


　それが次元竜という種族全体のためなのは言われずともわかっていた。理解していた。自覚していた。アルデバランが俺のもとに現れたその理由は、俺という存在の抹消、そのためなのだと。
　理由は簡単だ。俺が生きている限り、『アイツ』へと俺が変じる可能性はゼロじゃない。もしもその未来が確定してしまえばもう誰も止められないだろう。だからこその追手なのだ。『里』にいる間は、優秀な血筋の存続を望む他の長老たちの目があり出来なかったこと……それを成すためにアルデバランは送り込まれたんだ。


　もっとも、そのことを恨むつもりはない。
　もしもそうなってしまえば、『アイツ』は次元竜を滅ぼすだろうからだ。

　元より次元竜は『アイツ』が自在に動き回れる依代をつくりだすというその為だけに生み出された種族。確たる存在としての『器』を手に入れてしまえば、もはや不必要な道具でしかないのだ。躊躇などする事もなく処分するだけだろう。何より、次元竜達は『アイツ』の顕現を種の滅びとして恐れ本来の役割を放棄している。その為にどれほどの遅れが生じたかなんて俺には想像も付かないが、それにしたって飼い犬に手を噛まれるとまではいかないにしても自分の意志に逆らった存在なのだ。『アイツ』が大人しく見逃してくれるとは到底思えない。

　今からすれば数百年昔、世界の狭間に流された双子の片割れ……俺の姉だか妹だかの行方も生死も謎のまま。そんな状態で確実に『アイツ』の干渉を止めたいと願うのならば、居場所も存在の有無もはっきりしている俺を殺してしまったほうが余計なリスクを追う必要もなく確実なのはガキにだってわかる理論だ。












―― そうして、むざむざ殺されることを甘受するとでも……？ ――




　どこからか聞こえる囁きに俺は瞠目する。
　嘲笑うようにも憐れむようにも聞こえるその微かな声は、俺のギリギリ残された意識を刺激する。




―― そうして死ねばお前は確かに楽になるだろうな。
　　　　　　長くお前を悩ませていた問題からは開放される訳だから ――




　その囁きを否定はできない。
　俺は確かに、自分自身が嫌いだった。

　ただほんの偶然に双子に産まれた、それだけで殺される同族はたくさんいる。別にソレはイイ。しかたがないことなのかもしれない。だけど俺の場合は片割れとは引き離され俺自身も軟禁状態で長くを生かされて来た。何時爆発するかわからない爆弾の様なものだと理解しながら、強い個体は残すべし……なんてクソみたいな理由でだ。
　どうせなら一緒に殺してくれたらどれほど楽だったろうか。そう思ったことは一度や二度じゃない。生きていることそれ自体が後ろめたいなんて、殺された奴等からしたら贅沢な悩みだったんだろうが。

　他を殺すならば俺も殺せばイイ。全てに対して平等であったなら、多分俺は恨みはしなかった。それが自意識がしっかりと芽生えた後に殺されたのだとしても……だ。でも彼奴等は慣習がどうとかと理由をつけて変わろうとしない癖に、将来的な利益の皮算用を考えた結果俺を生かしたんだ。
　その不公平さを理解したのはそれなりに月日が経ってからだったけれど……恨むと同時に、俺は自分自身が嫌になったのを今でも覚えている。


　その想いは今でも変わらない。
　……いや、多分今のほうが強いのかもしれない。




　だからこそなのだろう。
　他者に確実に殺されそうな今になってすら、恐怖よりも安堵が強いのは。


























―― ……だが、心残りもある…… ――





　チクリと、痛いところを囁きが突く。
　その言葉を、半ば朦朧とし始めた意識の中で認めた。

　そうだ……俺が死ぬことそれ自体はどうでもイイ。
　……でも、俺がここで死んだらその後は、残された者達はどうなるのか。


　俺の消滅と同時に俺に関する記憶は、仲間からも妹からも敵からすらも消え失せるだろう。そこまでは問題ない。……でも、それだけでは終わらないはずだ。アルデバランは俺だけでなく妹も殺すつもりである筈なのだから。それを止めるだけの力はヴィントにはない。勿論、仲間たちにソレを求めるのは酷というものだろう。確かに彼奴等は強いが次元竜を殺せる程の力があるとは到底思えない。
　そうなれば、後に待っているのは……




―― 断言してやろう。
　　　　　　現時点で、お前の仲間と妹に待つ可能性未来は『死』のみしか無いことを ――





　俺の畏れを知りながら、残酷に告げる囁き声。
　その言葉に偽りはないだろう。声の主は嘘はつかない。嘘だけはつかない、絶対に。



　そんな未来を認めてたまるものか。ただ、それだけの想いを糧に意識がほんの少しだけ明瞭になる。遠ざかりかけていた世界が再び戻ってくる感覚。なけなしに残された生命力に縋り付くようにして、俺は自分を何とか保とうとする。
　でも、そんなものは時間稼ぎにしかならない。刻一刻と、自分の中から大切な何かが抜け落ちていく気配を感じる。それは生命力だとかそういった何かで、もはや自力でも仲間たちの力を借りたとしても補填出来る様な状態ではないのはわかっていた。

　殆ど途切れかけている感覚が気配を感じた。しかし視界は閉ざされている。そんなものはとうの昔に役に立たなくなってしまっていた。音も聞こえない。何があるのかをただ暗闇の中だけで感じ取る。その気配の主は多分、アルデバランだったんだろう。何かを言っている気がするが、もはやソレを読み取れるだけの力は俺にはなかった。
　何か、強い力が収束する気配。俺を本格的に消し飛ばすつもりなのだろう。今のこの状態でソレをされたならば、『器』から精神体を引き剥がす余力もない現状では塵と化すしか俺には出来ない。





　事態は、もはや絶望的だった。














































―― ……助かりたくはないか？ ――





　それは刹那の間に聞こえた囁き。




―― お前の妹の、仲間たちの可能性未来を……閉ざしたくはないのだろう？ ――





　消し飛ばされる程のエネルギーをぶつけられるまでの、ほんの数秒。
　その僅かな時間に滑りこむように聞こえてきた甘い声。





―― ……その為に出来ることは、一つだけある ――





　まるで、それは、悪魔の囁きの様な。





―― ……さぁ、選ぶが良い……『クライカリオス』 ――





　その囁きに、俺は――……

手紙を開けば以下の文面が記されている。

一月あれば全土をゆっくり見て回れますよ？と付け足して。

まだまだやりたい事が一杯あって、まるでその時の事は考えていないようだ。

青年は味わう余裕なんてない、と聞くと少し肩を竦めた。

　より多くの鉄の群れが跋扈していると思うと、中々にゾッとする光景と思えた。

　異質な者から感じる気配。確かにそれは有り得ることと思った。演じているという状態ならどう立ち回ったところで違和感を完全に払拭することは出来ないだろう。
　しかしそれより驚いたのが、

　だとしたら逃げる手段も作れるので、幾分恐怖もやわらぐだろう。

――恐らく、いや確実に。
その時の己の顔は、好奇に満ちた表情をしていたのだろう。

悲鳴が上がり、逃がれようとされる程に、体躯には余計に力が満ちて。
その感覚は、さながら遠き昔の……　捕食を生業としていた頃を思い出させた。

それはもう容赦なく、ぺりっと服を捲るとまじまじと見つめて。

相変わらず、捲った服の裾から手を離そうとはせず。

己の行動の顛末に、些かの気恥ずかしさを覚えたモノか。
照れ隠しの笑いと共に、クライの尻尾の付け根をバシバシと軽く叩こうとした。

それからクライが人型に戻ったのを見て、すっと姿勢を正す。

ぱ、と光に包まれる。それが収まったかと思うと、そこには一人の少女の姿がある。

スカートの端を摘んで、丁重にお辞儀をした。

少女は両手を伸ばし、目を閉じて鎌のイメージを創り出し、手元に具現化する――

無言で銀銃を両の手に。
その表情は、何時に無く厳しい。