※第50回更新の続きです。



*******



自分の耳が信じられなかった。

口の中に纏わりつく、味も温度も香りもない水を飲み込む。

今、君は、何と言った。

僕を好きだと、そう言った？

そんなはずは。
君に焦がれていたのは僕の方なのに。
僕にはそんな資格などないのに。
僕が、君に愛されていいはずがないのに。

僕はずっと、君が幸せなままでいられるように、抑えて、殺して、きたのに。
君が幸せだった頃の、家族と賑やかなサーカスを、もう一度作ったのに。

君の望みは違った？
君はずっと、幸 せ で は な か っ た ？

どうして僕は気付かなかった？
僕と同じように、君も。
この数年間、叶わぬ想いを押し殺していた？
僕が耐えてきた苦しみを、君も抱えていた？

僕が君を、苦しめて。
僕が君を、不幸にしていた？


それなら。


それなら 僕は 今ま で　何の　た め　に 　　？



ぐら、と視界が揺れる。

頭の中で声が響く。視界の端で黒い腕が動く。
怪奇天幕のスポンサー。
《悪意》を名乗る少女の声。

背後に現れる。その姿が頭に焼き付く。
黒い髪。赤いドレス。
蝙蝠に似た皮膜の翼を広げ、黒い靄を従えて、《悪意》は少女の貌で笑う。

ここではない別の世界で。
焼け落ちる天幕の中で。
死にかけた僕の前に現れた時と全く変わらない姿で。
その悪魔、マリスはそこにいた。

蠢いていた黒い腕が一斉に伸びて、視界を覆った。

何を。

何を　言って。

貴様は。

父さんが作ったサーカスを。
母さんが愛したサーカスを。
僕達家族のサーカスを。


一 体 、 何 に す る つ も り な ん だ 。

昏い底に引き込まれる。
無数の腕に絡め取られて、深い淵に落ちていく。




　　ああ

　　　　　　　　　嫌だ


　　　　　　僕は 　　まだ　君に



　　　　　　　　　　　　　ねえ　　お願いだイゾルダ　　　　　きいて

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　きいてくれ



　　　　　　　　　　　　　僕は

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ぼく も




　　　　　　　　　　　　　　　　　き　み


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　を　ずっ



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　と

















*******


ギーが何か、言った気がした。
普段ははっきりと自信ありげに話す彼。でも、さっきの掠れた声は確かにギーだ。
だって周りには他に誰もいない。

こちらを見る彼はやっぱり、いつもの涼しい顔で。

当たり前のようにそう答えられてしまうと、それ以上聞くのはとどまってしまう。

流された。
それも、これ以上ないくらいあっさりと。

でも、からかわれるよりは、まし…かも、しれない。

ギーは薄く微笑んで、私のカップに紅茶を注ぐ。白い湯気が立つ。

そうだ。これでいいんだ。
叶うなんて思ってなかった。
別に驚くことでも、悲しむことでも、ないんだ。
ギーと私は今まで通り、家族でいるべきなんだ。
だから、これでいい。
これで…いい。

それなのにどうして、涙が溢れてくるんだろう。
どうして急に、ギーが遠くに行ってしまったような気持ちになるんだろう。
俯いてそっと涙を拭う。気付かれないようにしないと。