（今日はメルンテーゼの王城が舞台ではなく現実世界と隣り合って存在する冥界のお話です）
シュガーさんは登場しません

そこはメルンテーゼの王城と重なりあう冥界のトロイアの城塞であった。とある経緯で霊界のトロイアを見学することになったアニマ達であったが、アテナ神殿でアニマの周囲に何者かの人影が立ち現れるかに呼応するように、その冥界のトロイアは暗く物々しい場所へと変貌していった。

城塞の王宮前からアニマは見た。平和な都市の光景は一変し、眼前の町は略奪と破壊の最中にあった。家々を焼く黒煙がもうもうと立ち上り、煙の中からは木が弾ける音と悲鳴とも嗚咽とも分からぬ声が聞こえてくる。煙は嵐を呼び、嵐は燃え盛る家々をなぎ倒して暴れて回る。アカイア勢の木馬の計により城門を破られ、それはまさしくトロイアが滅亡するありさまであった。

アニマは狼狽えて背後を振り返ると、白い翁は首なしの死体と化して横たわり、死体の回りを白い媼が転じた狂犬が忙しく歩き回っていた。同様に、アニマの傍らの安徳帝の霊もずぶぬれで幽鬼のごとし、清宗の霊も首と胴が繋がっていなかった。彼らもまた終末の際の姿となっていた。ふとアニマは己の胸元が血でべっとりと濡れていることにも気がつく。

それが何を意味しているのかアニマには計りかね、困惑する。アニマは己を見つめる謎の人影を請うように見上げた。凄惨な光景を前にしてその人影はアニマを見て微笑む。胸を締め付けられるような感覚を覚えたアニマは影に問いかけた。

アニマは謎の人影の声に困惑する。風に意志などあるのだろうか？

問いに問いを返されて、アニマはますます困惑してしまう。やるせなくアニマは燃え盛る都市を眺めて自問する。こんな光景を己は見たがっていたのだろうか？　ありえない。町が燃え人が死ぬ光景を見たいものなどあるはずがない。

己の心を探りアニマは精神を整えると、渦を巻くアニマの目には今まで見えていなかったものまで見えて来た。視界のビジョンが多重に重なりあい、トロイアの城塞にメルンテーゼの王城が重なって映る。すると、次の疑問が頭にもたげてきた。

アニマの声にもう震えはない。風の彼方から白き翁と媼の声が聞こえてくる。

風の彼方より白い翁と媼の声にて語る。我らトロイアの死霊は、町や城が焼け落ちて行くことを黙って見ているわけにはいかないのだ、と。それに対して、別の方角から、今度は、安徳帝の霊と清宗の霊の声も聞こえて来た。

アニマの目の前に青白い火柱が立ち、火の柱から安徳帝の霊が姿を現す。その姿はいつもの和装であり、平家の怨霊達もまた彼らの言い分を述べるのであった。

アニマはふぅむと腕を組み、まず白い翁と媼に向き直って次のように述べた。

アニマは王城内へ進行したシュガーの部屋を間借りする暮らしぶりをあれやこれや述べ、古代と現代の価値観の違いや、一揆衆の軍師的ポジショニングパーソンであるルリアンナ嬢の抜け目のなさに言及して、この一揆の結末は恐らく、古代の戦闘のような血なまぐさい結末にはならないだろうと伝えた。

メルンテーゼの王城とメルンテーゼの王は別のもの。どちらも力の行使を免れはしないだろうが、その運命は同じ道をたどらないだろう。そう安徳帝の霊がトロイア王プリアモスに述べ伝えると、風の彼方から老王の霊の「信じよう」との声が聞こえて来た。

風の彼方から老王の声が聞こえて来た。よくぞ来られた、十善の帝王よ、そして、よく見て行きなされ、これが失政の結末である、と。老王プリアモスの嘆きの声が燃え盛るトロイアの炎から聞こえてくる。

　ああ、海神ポセイドンへの城塞建築の報酬を払っておれば、
　　ああ、、追放した我が子パリスがトロイアへ戻って時に復帰を許しておれば、
　　　ああ、、パリスがヘレネを伴って異国から帰って来た時に仲を認めなければ、
　　ああ、、アカイア勢の和睦の申し出を受けパリスを差し出しておれば、
　ああ、、カッサンドラとラオコーンの最後の予言と忠告を聞き入れておれば、
こんな、こんなことにはならなんだのに…！！

嘆きの声は風と火の中から次から次へと聞こえて来て、アニマは悄然としてしまい、声もなかった。安徳帝は天を仰ぎ、優しげな笑みを浮かべて、老王を慰める。

安徳帝の霊はすっとトロイアの城塞の彼方、海へと続く平原を指差す。アニマが指先を見やると、男は老人を背負い幼子の手を引いて、災難から必至に逃れようとする市民を先導していた。しばしの沈黙の後に、風のかなたより老王の嘆息の声が漏れ出てくる。

おお、アイネーアスよ…

安徳帝の霊とアニマは一緒に並んでアイネーアスと呼ばれる男の歩みを見つめていた。あの人の行く先には、一体何が待ち構えているんだろう？　アニマがその歩みの先を固唾をのんで見すえると、アニマの瞳は怪しく渦を描き、男の煤と血にまみれたその足の先に開けた因果の連なりが浮かんでくる。

海の彼方の白い町並み、
　美しき女王との恋と別れ、
　　七つの丘のある新しい土地、
　　　結婚と戦いと新らたな町の建設…

アニマが見たビジョンは１人の男の生涯からさらにさらに広がっていく。栄光と破滅が縄のごとく絡まった壮大な世界が広がっていた。

多くの戦争が起こり富が町へと集っていた…巨像を従えた軍団の指揮官が進軍し、女好きで禿げてるけどすごいオーラの男が高らかに演説を行い、美しきエジプトの女王が蛇に胸を噛ませて自殺をする…故郷に帰りたかった剣闘士が夕日を眺めてたそがれ、大都市は火事になり、女装した皇帝は火事の復興事業を行う…享楽な生活を享受する市民に大量の奴隷達…巨大な石造りのコロッセオで市民はスポーツに励み、職人達が各地に水道橋を築き、法律家達が法大全を編纂し、救世主を信じた男達が弾圧され、芸術家が教会の天井に描き上げた…騎士が、職人が、商人が、画家が、サッカー選手が、石畳の道の上を歩いて行く…荘厳な大聖堂とその広場には世界各国から巡礼者が集まり祈りを捧げて行く…ベールを被った１人の修道女が観光客の間を駅へと急いでいた…彼女はきっとこれから旅に出るのだろう…

アニマにはそのビジョンのどんな一片にも刮目するだけの輝きがあるように思われた。敗北も破滅も腐敗も破壊も数限りなくあった。国が滅んだのも一度や二度ではなかった。目を背けたくなる残酷な事もたくさんあった。光景は星々の輝く夜空へと収束していき、残ったのは満足感であった。アニマが目を開けると城塞都市トロイアは穏やかな夕暮れ時を迎えていた。辺りを見回すと謎の人影の姿はすでになく、安徳帝の霊の傍らに立っており、互いに顔を見合わせた。

安徳帝の霊はアニマの瞳を覗き込む。アニマの瞳は渦を描き、安徳帝の霊は満ちたりたような笑みを浮かべ、ふむふむなるほどと頷いた。

かくして、平家の怨霊の安徳帝の霊は女神の導きによってトロイアの老王プリアモスに出会い、滅亡と繁栄が明滅するかのごとく人界のありさまを見る事ができて大満足な様子であったのだが、当の本人のアニマはイマイチ状況が把握できずにうーむと渋い顔だった。神様のご配慮といものは、だいたいがそんなものなのかもしれません。

ぶるぶる

シュガーは怨霊と会話をしているようです