大礼拝堂へと繋がる大広間。開け放たれた扉の先にはこれまでと変わらない景色が見えた。異様に幅の広い廊下と、左右にずらりと並んだ扉。コートの男が言っていたことを信じるなら、新王パラダイスは集めたネクターを使って城内に「五感を歪める迷路」を作り上げていたらしい。元々何かおかしいとは感じていた。王城内は外観より明らかに広く、庭や廊下、調理場でさえ捜索しきるまでに十日近くもかかるだなんて、どう考えても尋常ではない。人が暮らせるように造られているとは到底思えなかった。
　新王から抜け出した強制型エンブリオは黒い霧の姿をしていた。この広間を守っていた甲冑から漏れ出ていた霧も、新王と契約していたエンブリオだったのだろうか。そう考えると「パラダイスの力」と言っていたのも納得できる。
　――思案するうちに、視線が徐々に爪先へと落ちてゆく。あの黒い甲冑のことを思い出すと、どうしても、ロクやノースロップのことへ考えが行き着いてしまう。

　セレナ＝ノースロップ。狐の姿をしたエンブリオを連れた、人のような獣の女。
　初対面からあまり良い印象は持っていなかった。何しろ調理の依頼をした僕に対して自分を「おねえさん」と呼んだ上、「一緒に、悪い王様を懲らしめましょ！」だ。子供扱いだけならまだしも、革命のただなかにある王城をうろついている“子供”にかけるような言葉ではない。
　次に彼女の名を目にしたのは、この広間へ攻め入る為の人手を探しているという公募だった。何の気無しに要項を読み進め、そこに記されていた同行者の内にロク=リクの名を見つけたときの感情は未だに忘れられない。
　黒い甲冑を退けたのち、何故ロクをこんなところに連れてきたのかと彼女に詰問し――彼女のことをよく知らず、友人のことで気が立っていたと言っても、あれは悪いことをしたと思う――その後も何度か言葉を交わした中で、幾つか似ているところがあると感じた。気が弱く、人付き合いは得意ではない。自罰的でもある。自分のせいで親しい人を失っている。そして、彼女もロクのことを大切に思っている。
　だからこそ余計にこう考えてしまうのかもしれない。大礼拝堂でのロクの告白が脳裏を過ぎる。革命に、あるいは彼女に手を貸す中で何度も危ない目に遭っただろうに、どうしてそこまでするのか、どうしてそんな相手に、どうして――
　徐に首を振る。友人の思い人にそんな感情を持ってはいけない。
　ロクが自分で選んだのなら、大人としてそれを認め、尊重する。彼が告白を断られてしまったのなら、友人として慰め、励ます。それが善き人としてするべきことだろう。――だから、僕はそうしなければならない。僕が人間であり続ける為にも。
　気持ちをを切り替えようと、一度深く呼吸をする。胸の澱も甲冑や新王の黒い霧のように散ってくれはしないかと微かな期待を込めたものの、ただ広間に吐息の音が響くばかり。

　壁にもたれて考えを纏める。
　ノースロップの目的は新王にネクターの独占を止めて貰うことだった。新王を操っていたらしいエンブリオが離れ、奪われたネクターも見つかったのなら、彼女がこれ以上先に進む理由は無いはずだ。彼女を護ろうとするロクが危険な目に遭うことも無くなる。
　僕の目的の一つは、元の世界の代わりにここで革命が成されるのを見届けることだ。いつかリスペイドでも革命が成し遂げられると信じる為に。もしもリスペイドの“王”を他の誰かが操っていたとするなら、その人物も討たなければ革命が成されたとは言えないだろう。
　――あの黒い霧のエンブリオを追う必要がある。できるなら、二人には知られないように。

納得しきれていない様子でありつつも、
自分の決めたことを肯定してくれたスチュアートに感謝をしつつ、
次の言葉を待った。

ブルーノは困ったように腕を組むが、
鼠の少年が続ける話に、驚いたように目を瞬かせた。

スチュアートの心境を想像して辛い気持ちになったのか、
眉間にしわを寄せ、暫くの間、押し黙っていた。

隠しきれない不安の入り混じった、縋るような声色でそう付け加えた後、
それを誤魔化すようにキッチンへ向かい、紅茶を淹れだすのだった。

不安げな少年の瞳に気付き、ガルボは我に返る。
それまで見ていたのは彼ではなく、彼と同じ過去を持つ別の”誰か”であったかのように。

言った後に窓から空を見上げる。
瞳を閉じて、その瞼の裏に誰かの影を描きながら、一つ一つ言葉を選んでいく。

一呼吸おいてから、少年を見つめなおす。