（今日はメルンテーゼの王城が舞台ではなく現実世界と隣り合って存在する冥界のお話です）

某日の午後、安徳帝の霊とアニマは平家の竜宮城の近辺の海の底を散歩していたのだが、アニマは何かに憑かれたよ沖へと泳ぎだし、イルカに乗って追いかけた安徳帝の霊と清宗の霊はアニマと共に謎の海峡へと辿り着いていた。

上陸すればその何かも分かるかもしれないということで、３人の霊はイルカの背中に乗ったまま陸地を目指す。安徳帝の霊がアニマの横顔を伺うと、その瞳には渦のごとき陰影が浮かびあがっており、その表情はいつになく不安げであった。

陸が近づくと、安徳帝の霊達はイルカを降りて水面を歩き、波の上にのってするーりと砂浜へと上陸した。安徳帝の霊は振り返って背に乗せてくれたイルカにお礼を述べ、念のために、（冥界の）瀬戸内海に残してきた平家の怨霊達に言づてを頼む事にした。

アニマは安徳帝の祖母の二位尼が安徳帝を連れて入水した事を舌鋒鋭く批判し、二位尼はアニマを無礼な自然霊と見なしていたので、事を荒立てたくない安徳帝は宗盛への伝言を頼む事にしたのだ。イルカは翻って沖へと泳ぎだし、すぐにどぼんと潜水して姿が消える。それを見届けた３人は砂浜から丘を目指した。海と丘の間には畑や果樹園が広がっており、小麦やオレンジが栽培されているようだった。丘には遺跡と思われる石垣や城壁があり、放棄されて久しいのか草や灌木に覆われている。遺跡となっている点を除けば、メルンテーゼの王城近辺と雰囲気が似ている。

清宗の霊は落ち着いた様子で辺りを観察し、近くに村か町かないか探してみましょうと提案した。なるほど、と安徳帝の霊とアニマが頷いていると、ふいに聞き覚えのある声で呼びかけられた。

安徳帝の霊とアニマが声のほうを見やると、そこには王城のテラスで出会った白い翁と嫗が立っていた。彼らは農園からの帰り道のようであり、共の者の籠にはオレンジや野菜が入っている。王城で出会った時と同様に、白い翁と媼はジェントルで柔らかな物腰であり、アニマは嬉しそうに翁と媼に駆けよった。

アニマは海の底で遊んでいると、何かに呼ばれたように泳ぎだし、ついにはこの地の海まで辿り着いたことを正直に話した。アニマは己のルーツや因果と関わりのありそうな『その何か』を見つけ出したいと思っていると述べ、この地でそれを探していると伝えたのであった。

アニマと安徳帝の霊は何よりも好奇心が勝ってしまう。翁と嫗に導かれ、３人はまた先ほどの遺跡へと続く道に戻ることになった。あの近辺に人里などあったかな？と安徳帝の霊とアニマは顔を見合わせるも、道はいつのまにか立派な石畳の道となり、その先にあるのは遺跡などではなく、人々が往来する都市が姿を現した。瀬戸内より来た３人の霊は思い出す。ここは冥界であり、その土地も空も、霊的な力によって容易に様相を変えるのだ、と。

城壁を見上げるとあんぐり口が開いてしまう。城壁には物見の塔が要所に立てられており、丘の上の立地とも相まって、その町は守るに易く攻めるに堅い難攻不落の城塞都市である。城壁の中に入ると、石畳の道を挟んで石造りの家々が並び、ギリシア風のゆったりとした衣服を身にまとった人々が行き来していた。道はまっすぐに丘の頂点、列柱連なる神殿と、王宮へと続いていた。

アニマにしろ安徳帝の霊にしろ、自分探しとか因果とかそのような小難しいことは綺麗さっぱり念頭から消え去ってしまい、見知らぬ異国の町並みを前にして、２人とも市中を散策したくてたまらないといった様子であった。これには清宗の霊は苦笑いである。

自分達に向けられた市民達の好機の視線を感じ取ったのであろうか、清宗の霊は今にも市中へ走り出さんばかりの２人を押しとどめ、日本風の衣装をギリシア風に変えるべきだと主張した。確かにそれも尤もであると安徳帝の霊は頷き、安徳帝の霊と清宗の霊の２人の衣服が青白い炎で燃え上がり、白い衣の上マント状のヒマティオンを羽織る古代ギリシアの一般的な服装へと転じた。

そうよ、と、胸をはるアニマは、いつものキトンとヒマティオンの装いであり、安徳帝の霊はアニマの姿を眺めるに、都市内を往来する人々の子供の格好とさして変わりはなく、背後の都市にもなじんでいるように思えた。ただ、その瞳には渦を描く陰影が浮かび上がり、そのなじみ方には少々尋常ではない空気があったのだが。

安徳帝の霊とアニマは白い翁と媼に都市内を案内してもらった。中世の日本にルーツを持つ安徳帝の霊にしてみれば、見るもの全てが珍しい。石畳の道に、円形の劇場、半裸の男達が円盤をぶん投げて鍛錬する競技場など、建築物は石造りであり、石の加工技術に感嘆の声が漏れる。図書館にはパピルスの巻物が書棚に並べられ、巻物を紐解くと見た事もない線文字が刻まれているのだった。

安徳帝の霊とアニマは市場にも遊びに行った。市場は方形の広場であり、商人たちが近辺の農地や都市から運んできた物品を交換するところであった。キャベツ、アスパラガス、ニンジン、カラシナ、セロリ、大蒜、キュウリなどの色とりどりの野菜、オレンジ、林檎、オリーブ、イチジクといった香りのよい果物、豆や小麦や燕麦といったおいしそうな穀物が取引されていた。さらには、鳥や羊の肉、貝や魚、ウールや絹の織物、武器、陶器、などなど多彩な物品が、物々交換、あるいは、貝殻や金属、などを介して交易されていた。

驚くようなもんじゃないわよふふんとアニマは笑みを浮かべる。地元民でもないはずなのになぜか余裕綽々であった。伊達に衣装が古代ギリシア風というわけではなさそうだ。

一行は丘の頂点付近の王宮と神殿へと向かうことになった。王宮と神殿は頂上付近を囲むさらなる城壁のその上にある。まず神殿へと向かう。

道すがら、白い翁は町の由来について話してくれた。曰く、天の蒼穹を支えるアトラスの子孫がサラトラケ島からこの地へ来たり、当地の王の娘を娶って王となったことが、今のこの町の始まりである。天より賜ったパラディオンという神を象った像を町の守り神とし、神々によって城壁を築いてもらい、町は堅牢な難攻不落の城塞都市へと成長していった。ヘラクレスに町を攻められたりとなんやかんやあり、その度ごとに町は『報酬を踏み倒してきた』のだという。安徳帝の霊は翁の語るエピソードが気に入ったのか、愉快愉快と笑いだし、事の次第を静かに聞き入っていた清宗の霊は顔がだんだんと青ざめていった。

神殿は巨大な列柱が荘厳な屋根を支え、回廊の奥には、大理石で作られたアテナ立像が安置されていた。女神は右手に有翼の神像を、左手に盾を携え、左肩には槍を立てかけており、その視線は天を見上げていた。アニマは神殿に入るや否や明るい表情が消え、その瞳は怪しく渦を巻き、胡乱な様子で神殿内の光と影を眺めていた。

アニマは傍らに気配を感じて横を向くも誰もいない。しかし、神殿の影が泡立ったかのように思え、地鳴りのような音と女性の悲鳴が聞こえたような気がした。

一行は神殿を出て、王宮へと向かった。神殿から王宮へと至る道は丘の頂上付近の通っており、町並み、町の外の平野、さらには遠く海峡を見渡すことができた。雲が陽の光を隠したようだった。影がさっと丘を覆い、渦を巻く瞳のアニマの視界がふと揺らめく。

ポツリと呟いたアニマに、白い翁は「ああ、あったとも」と応える。王の次男が異国の王の妻と帰国したおかげで、この町は十年に渡る戦争に巻き込まれた。町の金銀財宝は散逸し、多くの勇士が死に、町の象徴であるパラディオンは奪われ、そして、ついには、敵の計略にかかって滅ぼされてしまったのだという。

アニマの目には、風光明媚な風景に町の最後のありさまが重なって映る。殺到する他国の軍勢が町の至るところで略奪と暴行に及び、戦のラッパの音が鳴り響き、男も女性も子供も老人もみな戦士の刃にかかって死んでいく。町に火の手があがり、全てを飲み尽くす火が風のあおりを受けて何もかもを焼き尽くしていく。

世界はさらに重なってアニマの目に映る。町は霊的な列柱に取り囲まれ、１つ１つの列柱の上には、荒ぶる神々の姿があった。三叉の鉾で城壁を揺るがす海神、戦士に狂気を吹き込む女神、そして、王宮の頂きには、女神が雷雲に輝き、盾を手に猛々しく立っていた。

アニマの呟きに白い翁は答えない。白い翁は首なしの死体となり、白い嫗は狂犬に転じて悲鳴をあげるかのように吠え立てていた。アニマが息を飲んで視線をそらすと、安徳帝の霊はずぶ濡れ、清宗もまた首がなかった。

女性の声がした。ふとアニマは己の胸を見ると、服が血でべっとりと濡れていた。慄然とするアニマに謎の人影が近づいてくる。影はアニマの前で膝をつき、アニマの頬をそっとなでる。アニマにはその人のことを知っている気がしたが、誰かは思い出せない。でも、と、アニマは思う。これは女神だ、と。町に災いを呼んだ女神と自分は、何かの因縁で結ばれていたのだ、と。

シュガーは怨霊と会話をしているようです