目前で男の体が傾いだのも、つい一昼夜前のこと。

介抱を執り行う最中、不思議と体躯の痛みは感じられず。
疲労に関しても、同じことであった。

不慣れな仕業といえど、幾度かの経験は有った。
それは専ら傷を治すことに向けたモノであったが、臨機は弁えていた。

休むに良き場所を見付け、火を炊く。
火を焚けば、後は薬草を煮詰め香りで安らがせる。

一通りの為すべき所を終え、身を清めてやれば漸く一心地。

その時、初めて己が身に感覚が戻る。
疲労も痛みも、未だ癒えきったとは言えずに体躯が軋んだ。

されど、未だ食い物が無い。

森の中で小さなウサギを追い追い、捕らえることは存外容易かった。

これの皮を剥ぎ肉を焼けば、後は花冠の傍で目覚めを待てば良い。



幾分か歩調も軽やかに、されど急ぎ足で歩を進める。

獲物を握り締め戻って見れば、男の寝姿は既に無く。

全ての身支度を整えた男が、火の傍に姿を正していた。

頭に掛けていた筈の、濡れ布巾が足元に落ちている。

まるで、今初めて此処に来たかの如く。

さも当然の様に、首を傾いで見せる姿がひどくもどかしい。

深い吐息が、喉奥より漏れて溢れる。

混ざり込められた感情は、己ですら読み難く。

以前に、我が身が熱に魘されて倒れた時。

その様を真似たことは、恐らく以って効果を持ったのだろう。

されど、その確信を自信とするには程遠く。

…なあ、”お前”


翳る様な声が、花冠の口端から漏れ出でた。

さながら、刃先で皮膚を舐めるが如き感触を伴って。

確かな確信を以って吐き出される言葉が、重みを失うのが分かる。

彼の両の瞳の片に居座る赤い瞳。

その色が、我が身を貫くことに不思議と背筋がさざめき立った。

もはや見慣れた通り、くるりと背を向けた。

声色が嘲るように軽い。

その背が、一歩離れた場所に動く。

反射的に腕が伸びた。

刃の一閃が、掌を掠めた。

これもまた、幾度繰り返したことであっただろうか。

ふわりと、軽く飛んだ身体に我が手は届かず。

向けられた視線は、何れとも知れぬ色を孕んでいた。

熱を伴った、強い風が吹き荒れる。

さながら瞳を焼き切り、二度と姿を見せぬと言うようで。

そうして、全ての痕跡を失して男は行方を晦ませた。


残されたモノは掌の一筋の傷と、脳裏に響き続ける――。

女の語る連れの話、それを聞き終わればなるほどと一声を上げて。

どう説明したらいいのか、と言いたげな表情でポツリと青年は呟いた。

追い払う、で済ませれたなら良かったんだがな。
いう声にしかし後悔の色はない。

気分が悪い云々に対するフィンヴェナハの態度には苦笑いを返した。
申し訳無さそうに口を開く。

精神が脆いとそれだけで狂うやつも居るかもな、と苦笑を深く。