シルヴィさんが走りだす、福ちゃんはきょとんとしている。
こういう状態ってどうすればいいのかわからない。
冷気が福ちゃんの背後から漂ってきた。福ちゃんのお姉さんのお知り合いの霞さんだったと思う。
「魂まで呪詛が及び始めてきたし、ミドリが望んだから例外的措置だよ。こんなのわかるだろうけどさ。意識を取り戻した途端、あんたのことばかり喋って暴れたから、面倒だから連れてきたんだ。」
「姉さんごめんね。」
「…状態は見ての通りだよ。面倒、見てくれるかい？」
首を縦に振る。多分、償いとかではなくてこの子を放置しておいたら、また面倒になりそう。とてもとても頼りなさそうに見える。
「ありがとうね。お礼と言っては何だけれど、現契約者との覊を一時的にカットして、元の契約者とつながる術式をミドリに仕込んでおいたよ。フウカも納得済みだ。
身体的な負担は大きい上に何もいいことは、「戦い」ではないが、まあ、生き物はスペックだけでは決まらないし、一度やってみておくれ。」

霞さんが頭をかく。多分、フウカさんに何かがあったのだろう。存在がおぼろになり、そして消えた。
「…じゃあ、さっそく強化術をやってみようよ。」
ふわりと笑うその人の姿は昔知っていたような尖った歪んだ感情のかけらは感じられない。ただ、制御を解除する物体は昔のような大筒のあたりきっと、この人は福ちゃんなんだろうなとは思った。
頭の焼けつくような痛みが収まる。
岩を握る、走る。何も変わったところはなかった。傷の治りを確認するために自身を傷つける気にはどうしてもならない。
水辺に映る自分を見た。金の髪、昔のような長い髪が戻っている。茨は無骨な触手のようなものではなくて、花が咲いている。白色のバラが。福ちゃんが不思議そうにそのバラを触っていた。

泣く機能はフウカさんと契約した時にオミットされたはずなのに、目から何かが流れているのを感じる。

焼け付くような怒り、自分すら焼きつくさんばかりの怒り。
憤怒、嫉妬、絶望。
多分それらが入り混じった恐ろしく汚い汚泥を口から吐き出す。
液体として出るそれはいまいましい程の汚い呪詛にすぐに変わった。
「りっちゃん、さすがにそれはまずいんじゃなーい？」
ニヤニヤとした笑みが、空中を泳ぐ。
「あなたが気まぐれを起こさなければこんな事にはなってませんわ。そもそも、はじめからこのように対処をとっておけばよかったのではなくて？」
冷たい凍るような瞳が私をとらえた。
「ミドリはいなくなってもいいと？」
「ええ。」
知った事か。家から見捨てられた、あんな忌々しい娘のこと。
「それによって、また壊れても構わないと？」
言葉に詰まる。冷徹な瞳が私を見すえていた。
「そもそも、これはただの延命措置ですから。りっちゃんにはがんばってもらわないと。」
延命措置？解決ではないのか。冷たい感覚が背筋を走る。
「双子だから、つながりがあるから出来た行為です。でも、ミドリという幽体を残すためにはミドリの意志が必要なんです。
でも、ミドリは誰かに愛されたい、姉のように外を歩きたい、それだけの思いで今まで化け物として生きてきました。今のミドリを現世に繋ぎ止めているのはヒナちゃんへの贖罪の思いだけです。
それが晴れれば、今あのバカを隔離している幽体、ミドリは死にます。そうなれば、元には戻るでしょうし、肉体に回った呪詛、脳に回った呪詛が魂を破壊するのにそう時間はかからないでしょう。
だから、あなたが何とかするんですよシルヴィ。」
「どうして、ヒナじゃないのよ。お嬢様は。」
「ずっと見守ってきたお嬢様を数年の付き合いしかないセイレーンに奪われ続ける、それでいいんですかねえ。
…あのバカはあなたのことを慕っていましたよ。あの狂った家の中で何処かの魔法少女や、付き合って数年のセイレーンよりも心の奥底でだから、無様な呪われた姿を、私達以外に見せた。」
「私にどうしろと。」
「思いつく限りのことを。私も頑張りますから。」

茶化すように言って相手を真似るように肩をすくめて見せた。

納得しないだろうという相手に口を開いたが、裏のある口調と笑みに言葉を切る。
そのまま続けられた言葉には、さすがにあっけにとられた様子でしばらく口をつぐんだ。

それを受け、後方のしげみから微かな気配がするが、気取られるかはわからない。

考え込むように眉を寄せて、失礼、と短く断りは入れるものの、
返事を待たずに咥えた煙草に火を付ける。

「ヒナ」という名前を聞いて懐かしむようにも聞こえる声音で言うと、
疑ったり問い詰めたりする気はないと言いたげな視線をシアンへと向ける。
それから煙を深く吸って長く吐き出し、その視線をサイサリスの方へ向けて。

一言だけ、珍しく威圧するように低い声を発した。