・多忙のためお休みしてしまったもの。
文箭なりの考察、漫画は、エルザ氏との行動について前半。
http://ginkgo.versus.jp/bunya-ikki-nikki39.html

・41日目〜42日目途中までの日記漫画。
http://ginkgo.versus.jp/bunya-ikki-nikki41-42.html

[ 自動書記文箭の記録より]

歪んだ廊下は、けれども平然な顔をしている。エルザの一撃を喰らったはずの巨人も、少女も。――否、よく見れば……少女は、違う。
己が彼らを観察していると、少女が巨人の肩から廊下の上に降り立った。

「き、ききき……きたわよダイゴ……！！」
「あァ、フロラ。敵のよゥだ」

赤くフリルやリボンで着飾った少女は、まだ愛らしい少女の面をしている。けれども、その顔は……。

「よ、よく来たわね一揆の連中ッ！！　私に見つかったからには、に……逃がさないんだからッ！！」

搾り出した、かすれた声。彼女は震えているのだ。かわいそうに。だが――それが何だというのだ。
彼らは意味ありげな言葉を交わしているが、己はただ冷めた感情で見ていた。（後記：いつもの己ならば、彼らの言葉に耳を傾けたろうとは思う。）
ふと、エルザがこちらを振り向いた。顔が笑っている。

「おや、珍しいですね。あなたが好戦的になるなど」

投げて寄越されたのは、あえての無神経な一言。この人は――この状況を楽しんでいるというのか。
少しではなく、この時己は確実に腹を立てていた。それも彼女の術中と分かっていながら。
エルザは己をからかって、己の闘争本能を駆り立てている。

「別に……。時が時ですから」

己は静かにフードを被った。からかいになど乗っかっていないという風を装ったが、どうせ御見通しなのだろう。
エルザは前に向き直るとクスリと笑った。

「それもそうですね。では……」

肩にかついだ長斧を彼らに向けると、フロラと名乗った少女がダイゴという石像の前に立ちはだかった。

「わわわたしに任せてっ！！！」
「イィから……下がって……」

庇いあって健気な事だ。
それもエルザにとっては児戯に過ぎないのだろう。不敵な笑みが彼らを刺す。

「弁えぬ者には、相応の報いと教育を」
「大人しゅう去なれぇ」

自分でも驚く程の冷たい声音だった。しかし先へ急がねばならない。急がねばならないのに心は不思議に冷静だった。

「文箭さん」

エルザが己の脇を小突いた。己がエルザを見上げると――彼女にしては珍しい行動だが――相手に聞こえぬ声でヒソヒソと喋った。

「先程殴りかかってみましたが、あれは何らかの魔術を使っています。傷一つつかない。おそらく、障壁の類でしょう」
「ああ、先日の相手も使ってきた……」
「そうです。あの障壁を取り除かない事には始まりません。術者はあの娘でしょうね？　だから青年にくっついて離れない」
「離れると障壁が外れると？」
「どうでしょう？　遠隔操作がどこまで可能なのか、それは個人差ですからね。アイリさん程の使い手ではないでしょう」

あの物凄い魔術師と比較したら、あらゆる魔術は戯れに等しいのではないか。己は口の端を歪めた。

「少女と青年を引き剥がすのは物理的に難しそうですね。文箭さんは転移の術は持っていないでしょうし、なにしろ歪んだ空間で転移の術など使ったらば、どうなるか知れません」
「僕は詳しくありませんが、あなたがそう仰るのでしたらそうでしょう」
「そこで、です。あの青年をさっさと片付けてしまいしょう」
「えっ？」

随分とあっさり言ったものだ。あの青年に殴りかかって、どこまで打撃が通用するのか不明だというのに。
ぶつぶつとフロラが何かを唱えている。かすかにだが障壁が透明になっていくのが視認できた。こうして話を続けていれば、無制限に彼女は障壁を作り続けるのではないか。
己は紙を一枚丸めて放ってみた。

「それが何よ。唯の紙？　ここはゴミ捨て場じゃないわ」

力をこめて放った紙は解けて落ちた。障壁と紙が力を相殺したのを悟った。
エルザは肩をすくめて――やはり笑う。

「文箭さん。これは、力押しでいける」
「まったく。でも、そうですね」

己もつられて笑った。笑う場面ではないのに。
満足そうにうなずくと、エルザはまた跳躍した。今度は、ダイゴの足元を狙う！
一撃、二撃――！　あの細腕で長斧を俊敏に操るのだから今更ながら驚きだ。
己もフロラの障壁を砕く手伝いをする。その間にエルザは地に伏せて、ダイゴへ大振りをかました。
足を大きく砕くと、ダイゴがぐらりと傾いだ。表情は変わらぬが青い瞳が見開かれたように思う。瞬間、エルザがダイゴの首に躍りかかった。

「――脆い。首、がら空きですよ？」

巨石が倒れ、床を揺らした。

「ダイゴ！！！」

フロラの呼びかけに、ダイゴの瞳が彼女を見る。

「大丈夫……わた……ボクが、守る」

青い光がフロラとダイゴを包んだ。彼の一人称が変化したのには、何の意味があるのだろうかとぼんやり考えていた。
普通に考えれば、少女と動く石像が仲良くしている図はそう無いだろう。
物語のセオリーとしては、そう、新王か何かに石に変えられた青年が居た。彼と懇意にしていた少女は悲観し、元に戻してくれるよう嘆願する。その願いは我々のようなモノを排除する事で叶えられる。
そういう筋書きがよくあるものになるだろうか。あくまで、物語でありがちな筋を辿ってみただけだが。『ヘンゼルとグレーテル』のようなものか。
まあ、この者達がどういう筋書きを辿っているのかは知らないし今は知る必要が全く無い。

「フロ……ラ…………」

青い瞳から生気が失われる。
少女が甲高く叫ぶ声が廊下を駆け回った。

「やああぁぁあ！！！」

自らの叫びを認めたくないかのように耳を塞いでいる。現実を認めたくないかのように目を瞑る。
それでも障壁は展開される。エルザも己も手を休めはしない。小娘一人に大人がふたりも相手するのは非情なようだが、相手は敵だ。
長斧が躍る。己の操る紙や黒、紅葉たちが障壁へ手向かう。一枚一枚強引にそれを引き剥がす。打ち砕く。
障壁は予想より多重に展開されていた。エルザが息を一つつき、髪をかき上げた。そして一言。

「邪魔、ですよ」

金の髪が彼女の動きに合わせて、風と共にさらりとこちらを向いた。

「そろそろ片付けましょう」

トン、と長斧の柄尻を床に鳴らした。己はもちろん頷いた。

「もとより」
「それもそうですよね」
「それ、さっき言いましたよ」
「ふふ。それも、そうですよね」

変わらず彼女は――チェシャ猫の笑いをもって。

「跪き頭を垂れよ。汝の末期の祈りをもってその罪を贖わん！」

狙い定めるように長斧をフロラに向け、彼女の靴が床を蹴る。フロラは恐怖の表情で、後ろへ飛び退いた。けれどもそんな行動は無駄だ。
目にもとまらぬ――少なくとも己はとらえられなかった――速さでエルザが少女の障壁を薙ぎ払っていく。月並みかつ気障な表現だが、それはまるでダンスのようだった。
踊るようにステップを踏んで振るわれる長斧は、この上無く無慈悲だ。そして、この己も。
己はフロラを凝視すると、内へ意識を集中した。黒が足元に集まり渦を巻く。右の腕を一閃すると、その黒は腕の周りを跳ねた。

「いつまでも君の相手をしてはいられないんですよ、僕らは」

探さなければならない。先へ行った仲間を。
少し痛みの残る左腕をフロラへ突き出し、右腕を後ろへ勢いつけて引いた。黒が軌跡をえがいて舞い散る紙を黒く染めた。

「少々強引ですが、大丈夫、ちょっと混乱するだけですから」

黒い紙と紅葉がフロラへ飛ぶのと、エルザが己の隣に戻るのは、同時だった。
急ぎ障壁をつむごうとするフロラへ、それらは飛来したのだ。彼女に貼り付いた紙は真紅のドレスを黒に塗りつぶした。

「ダ、ダイゴぉ…………」

弱弱しい声を引きずって、フロラが崩れ落ちた。その時には、もう、彼女の色は戻っていたし紙も白く地面に落ちていた。
エルザが首を振って肩へかかった髪を後ろへ流した。勝負は決した――。

「魂までは、取らないでおいてあげましょう。跪いて感謝しなさい」

エルザはダイゴへ呼びかける。片足を砕かれた大理石の青年は、青い瞳を燃やすように真紅のドレスへ這い寄った。

「……力が足りなィのなら、仕方がなィ……」

片足を失ったにも関わらず彼は少女を抱え上げると、道を譲った。やはり彼らはここを通せんぼしているだけだったか。
術を使う娘が倒れたのだ、屹度空間は元に戻る。

「……まだだ、フロラ……私は…………まだ…………」

先へ急ぐ己の背で、ダイゴが何かを呟いていた。空間が戻る刹那、彼は確かにこう言っていた。「君を救えない」と――。
どうやら、己が想像した筋書きとは話が違うようだ。そういえば、フロラが望みとかなんとか言っていたような気がする。
あの娘が固執する何かに、ダイゴは心を痛めているのだろうか。いいや、唯の妄想だ。

「おや、これは」

戻った空間の先には先程の戦闘の残骸が転がっていた。あの空間は、完全に作り上げられたというより、上書きされたものだったのだろうか。
スカートの前を折りたたんでしゃんだエルザの指は、大理石の欠片をつまんでいたのだ。それは間違いなく、あの青年の破片だろう。

「ん、こっちにも何か落ちて……」

視界の端に映ったそれを、己はつい取り上げてしまった。取り上げてしまったのだ。

「ああ、それはあの娘の服の――」
「……ええと、フリル、ですよね」
「似合うと思います」
「やめて下さい絶対嫌です」
「御似合いですのに？」
「冗談ほどほどにして下さい」

なぜこれを拾った、己。
嗚呼、エルザが珍しく声をあげて笑っている。彼女のツボだったろうかこれは。
薔薇を胸に抱く彼女にこそ相応しいだろう、この生地は――。

「野良さんにあげたら喜ぶんじゃないですか」
「是非、文箭さんが」
「何で僕おしなんですか！！」
「拾い主でしょう。定めですよ……」
「適当に僕の定めなんか作らないで下さい！！！」



結局、これを手にしたまま、己らは先へ駆けたのだ。
このようなオチは要らない。心底そう思った。

先程から一言も発さずに、黙々と歩いている。