日が落ち、一帯は薄い夜色に包まれた。テント周辺が完全な暗闇となっていないのは入り口近くに篝火を炊いているせいだろう。

　火が夜風に揺れ、照らしだされる人影もそれに応じて影を揺らす。
　秋に入ったはずだが気候は未だ暖かく、夜間でも上着なしで出歩く事が出来た。

　アデルが左手に握った竹刀を上げる、構えは不動で、鍛えぬかれた体は僅かもぶれない。
　視線の先にいる鴉天狗は僅か息を乱し、開いた扇を片手に油断なく彼女を見据えていた。

　打ち合いを繰り返してはや三時間、アデルは全く参る様子がなく、鴉天狗は疲労の色こそ滲むものの音を上げるつもりはないらしい。
　竹刀に打たれたためか着物は所々崩された様子がある、息の乱れも打たれた衝撃によるものだろう。

「……思ったよりは根性あるわね〜、ひたすらやればいいってものじゃないし、休憩してもいいのよ？」
「……いや、もう少し頼む」

　そう、とだけ唇を動かしてアデルが動いた。
　髪をたなびかせ、風の間を縫うようにして相手に切り込む。狙うのは動かしづらい脇腹、同じく太もも、実戦ならば相手の出血を誘い動きを鈍らせる場所だ。
　恐らくは片手剣に合わせた戦い方なのだろう、大剣を使う時のアデルは大振りな動きを補うため相手に衝撃を与え続ける戦い方をする。

　鴉天狗は手首を回して扇を翻した。桜色の和紙が踊り、着物の裾が舞う。
　身を引いて刃の切っ先から逃れ、扇が描いた軌跡から花びらが踊る。一瞬の風の音が広がり、瞬間一帯は桜の風景にうめつくされた。

　現実への認識が怪しくなる。これは幻像かそれとも鴉天狗が創りだした領域なのかすらわからない。
　渦巻く風が溢れる花びらをかき乱し続ける、広げた扇子がアデルの方に向けられると、風が一斉に吹雪いた。

（「使い手が鴉天狗だって事を考えると精霊術か幻術かってところだけど―――」）

　鴉天狗は双方が行使可能で、どっちかは探ってみないとわからない。
　恐らくだが切り替えもできるだろうと目測をつけ、アデルは離された距離分を更に踏み込んだ。
　剣を引き、再び突きこむ、距離が近い分今度は体を引くだけじゃ避けられない。
　竹刀の先が胸を打つだろうという瞬間、鴉天狗の体が花びらの塊になって吹き散らされた。

「……！？」

　花びらはそのまま攻撃手であるアデルに襲いかかる、殺傷力は大したことないが数が多い。
　何より眩むほどの花の香りと、幻想的な花吹雪が感覚を麻痺させ動きを鈍らせる。

（「領域をベースに、幻術と呪術のミックスか……！」）

　うかつにハマれば一瞬で魅了漬けにされるだろう、そういえばエンブリオであるアルラウネも似たような能力を持っていた、とアデルは今更ながら思い出す。
　対抗手段は―――アデルにはない。トレニアやロザリアならば解呪も出来るだろうが、アデルは魔剣の力なしでは呪術に対抗する事が出来ない。
　息を吸い、自らの目と剣の切っ先に精神を集中させた。いくら感覚を術で惑わされようが、体に染み付いた反射神経はそうたやすくは騙されない。

　視覚に頼らず、気配で鴉天狗の位置を探る。
　目では見えていたが鴉天狗の事だからいくらでもダミーを作るだろう、風が聴覚を惑わし、花びらが小さな傷を積み重ねていく。時間経過による焦りを押さえつけ、ひたすら自分の直感に没頭する。

（「―――私の攻撃を封じたとしても、勝つためには鴉天狗は本体を使って動かざるを得ない。逃走戦ならまだしも、引き分けは基本的に負けと同義なのだから」）

　幻の花に満ちた光景の中魔力反応が三つ、どれが鴉天狗なのか―――。
　一瞬の判断でアデルは竹刀の切っ先を突きつけた、強い風が薙ぎ、幻が消え失せる。

「―――降参だ、流石に魔力が持たない」

　矛先を虚空へ向け構えた槍を、
　　袈裟懸けに振り下ろしては、返すように振り上げる。
　　　多数の節から成る柄はその度に撓り、鞭の如き軌跡を描き。
　　　　節が擦れ合う連続した金属音を上げ、最後にはまた槍の形へと戻った。