胸の氷が、割れる音がした。
玻璃のようなか細い音で、押し留めていたものに罅が入る。

強く軋んだ胸の内に、断片的な光景が、恐ろしい勢いで押し寄せた。

村の女だったかあさんが、私のために選ばざるを得なかった、そうでない生き方。
そうして磨り減らしたその心身を、償うことばかりを考えていた日々。
あの頃の私にはそれしかなかったし、そうでなければ、きっと耐えられもしなかった。

ずっと遠い、昨日。

もはや遠い過去でありながら、振り返ればすぐ背中を追ってくる、今も私を繋ぎ止める楔の記憶。
幾重にも重なった後悔に囚われて、幾重にも積もった恐怖に縛られて、ここではない時に繋がれたこころ。

始端を見失った鎖を、己で解くすべなど知らないままで生きてきた。
この重さが罰なのだと言い聞かせて、ずっと。
だって私に与えられていたのは、折々に「ごめんねぇ」と詫びるかあさんの手だけだったのだ。

苦労ばかりしかさせてあげられなくて、ごめんねぇ。
父さんを止められなくて、ごめんねぇ。
こんなふうに産んでしまって、ごめんねぇ。

言外にそう告げるかあさんの手を、だから、私は、守ってあげたかった。
どれだけ及ばずとも、叶う限り。

心配ばかりかけて、ごめんなさい。
あなたのしあわせを奪ってしまって、ごめんなさい。
こんな私が生まれてきて、ごめんなさい。

私がかあさんにしてあげられることはあまりにも少なくて、それがひどく、歯痒くて。
そうしてできる限りにかあさんを守ろうとすればするほど、こころは凍って閉じていった。
閉ざしていなければ耐えられない。 痛みや恐怖に屈すれば、またかあさんにつらい思いをさせる。

その積み重ねでできた胸の氷を、けれど今になって、白い指が、押し割って。

水底の私に、同じ温度の指先が触れる。

――届く。

プルは、四本の腕でぎゅっと燈子に抱きついた。
そして自分の身体を構成する"思念の力"を少しずつ燈子に送り始めた。

プルの行為は、相手も霊体であるなら大きな活力を与えるものだ。
しかし肉体を持った存在が相手となると話は別。
その効果は、少しだけ活力が高まる……"かもしれない"、程度のものになってしまう。

ほとんど気休め、ろくに効果は望めないと言ってもいい。

シュウシュウと風が漏れるような音をたてて、プルは燈子に力を送った。
それはもしかするとただ「温かい」と感じるだけで終わる力かもしれない。

プルは悪霊の集合体。
悪霊という事は、何かしらの悲劇や苦痛を味わい、心残りを残して死んだ霊達。
そんな霊の残滓が、今の燈子に何かを感じたのかもしれないが……
それはプルの心の中に住むマナにも、他でもないプル自身にも、もはや読み取れないほど深層心理に深く深く沈んでしまっていた。