少年に話をしてやりながら、アイヴォリーは自分でも何気なしに“エルフの姿隠しの外套”の縁を手で玩んでいた。もっとも、“彼”はアイヴォリーが少年だと決め付けただけなのだが。彼はこの世界の住人で、“世界渡り”でやってきたばかりのアイヴォリーにこの世界の理、特にエンブリオについての事柄を教えてくれた。彼は一般的にいう農民の息子、といった出自らしい。それも特に貧しい部類のだ。北国、特に冬に水が凍りつくような寒い地方では珍しくない。温暖な地域に比べて穀物を含むすべての農産物の育ちが悪いのは当然で、そういった地方では得てして農民は貧しいものだ。アイヴォリー自身、そういった国を両手で余るほどに見てきた。そういった地域では揉め事も多く、それはつまりかつてのアイヴォリーのような職種の人間の世話になりたいと思う輩もそれだけ多いということなのだ。
　その“一般的な農民の息子”が語るエンブリオの話は、彼が語った以上にアイヴォリーにこの世界の理を教えてくれた。魔術の素質には関係がなく、貧富の差にも関係ない。それだけ生活と密接に関わりこの世界の住民すべてにとって“当然存在する”ものだ、という認識をだ。
　代わりに彼は、良くあるような冒険譚をアイヴォリーにせがんだ。それはエンブリオの話に比べればそれ自体が良くある話だ。子供たちは得てしてそうした外の世界の心躍る話を好む。“まるで騎士のようだ”とアイヴォリーの鎧を見て近づいてきた少年は目の前の男が切れ切れに語るそれまでのいくつかの話に目を輝かせていた。真っ暗な古代都市の廃墟をパーティで進み、朽ちかけた石の守護者と戦った話。とある街の酒場で巻き込まれた乱闘とそこから始まった不可思議な事件。そして火を吹く山の頂に巣を構える巨大な竜の討伐の物語。
　その中で、今彼が口にしているのは彼が持つ貴重な“オタカラ”、“エルフの姿隠しの外套”についてだった。アイヴォリーがこれまでに手にしてきた宝物の中で、今も所持しているものはほとんどない。単に金銭的な価値があるだけの装身具や宝石は売り払ってしまうのが常だし、いわゆるマジックアイテムにしたところで依頼者が存在するものであれば引き渡さなければならない。そもそもアイヴォリーの話の中には“以前のアイヴォリー”のものも多分に含まれているわけで、そうした別の彼が手に入れたものは当然手元にあるはずもない。そんな中で、この“エルフの姿隠しの外套”は唯一依頼者がおらず、現在のアイヴォリーが手に入れた魔法の品だといえる代物だ。簡単なエルフ語によって起動するそれは簡易な透明化の魔術だ。向こう側の景色をそこに映すことで一見透明になったように見えるのである。当然背景が急激に変化する場所や本人が急激に動くと投影の魔術は動きに追いつくことができずに霧散してしまう。とはいえ、魔力を必要とせずに、使い方によっては非常に危険な効果であるそれを発動できるこの品は確かに貴重な魔法の品だった。
　この“エルフの姿隠しの外套”の起動に魔力が不要なのには訳がある。魔術の媒介をするための発動体として何本かに一本、その布を構成する糸に“真の銀”で出来た糸が織り込まれているからだ。“真の銀”、“霊銀”と呼ばれるその魔法金属はそれ自体が魔力を帯びた鉱石であり、希少価値が非常に高い。これから作られた武器や防具はすべて魔法の品となりその効果を増すことが知られている。加工によって独特な、虹色にも似た淡い緑の輝きを放つため装飾品や調度品としての価値も高い。しかしこれらのほとんどは古代の魔法文明の遺跡から時折持ち帰られるだけでそうそう市場に出回ることはない。それもそのはずで、鉱石から精錬する技術を現在でも保有しているのは一部のドワーフたちだけなのだ。そしてそれは、地下深く、今でも僅かにその鉱石が産出されるドワーフ鉱山よりもさらに下、“大地の炉”とドワーフたちに呼ばれる火山の熱を利用した特殊な精錬所で作られる。ドワーフたちがはるか地の底で守り続けている技術がそれなのだ。
　だが、一部のエルフたちはこの“真の銀”を利用する方法を知っていた。当然エルフにはドワーフのように特殊な金属を精錬する技術はない。それはドワーフたちのそれとは全く異なる方法である。アイヴォリーはあのエルフの村にいた時分にそれを見せてもらったことがある。エルフたちが地中奥深くに分け入るのではなく、虫からそれを採取する様子を。
　水晶蟲と呼ばれる虫の一種がある。これらは地中に生息しておりその名の通り決まった鉱石や水晶をその餌としている。彼らはこれを消化することが出来、消化した鉱物を甲殻に抽出することでその身を守る。生息域はその鉱物が埋蔵される辺りに限られるため、“真の銀”を消化する水晶蟲は非常に地下深くにいてエルフたちが目にすることはない。だが、その水晶蟲がたった一度だけ地上に現れる機会があるのだ。それが幼生から蛹を経て羽化するそのときがそれだ。彼らは地中から地上を目指しやってくる。
　そして、それを捕食するものがいる。蜘蛛の一種である彼らは水晶蟲の幼虫が地上に上がって蛹になるまでの短い間にそれを捕食する。彼らは蛹になってしまうと自らに蓄えたその鉱物で蛹の殻を守るため捕食することが出来なくなってしまう。それ故に、地上に現れたそのときに幼虫を狩るのだ。
　だがこの蜘蛛たちは水晶蟲と異なり“真の銀”を消化することができない。この時期の水晶蟲は蛹を守るために敢えて甲殻に鉱石を抽出せず、高い濃度のままで体内に消化したそれを貯め込んでいる。消化出来なかったその“真の銀”を、蜘蛛たちは自らの巣に使うのだ。糸として体外に排出するのである。
　こうしていくつかの自然による精錬を経て、地上に“真の銀”の糸はやってくる。エルフたちは森の奥深く、彼らしか知らないその蜘蛛が生息するところでそれを自然の恵みとして採取するのだった。
　織り込まれた“真の銀”は周囲から微量の魔力を吸収してその内側に蓄える。エルフ語で発声される抑揚や発音の組み合わせがそれを解放することで決まった法則に従って魔力の回路を描き、決まった効果を発現させる。それは簡易着火の丸薬である“火蜥蜴の舌”などと同様に、“小魔法”──キャントリップと呼ばれる魔力を必要としない魔術の一種なのだ。
　この姿隠しの魔術の他に、エルフたちが森で野営をする際に快適に過ごすための特殊な織り方であったり、また各種の巻き方であったり、その他にも重量のバランスを取ることで重さによる負担を軽減させるようなポケットの配置であったりといった、エルフたちの培った長年の生活の知恵を凝縮したものが、“エルフの姿隠しの外套”だった。

「オイボウズ、こんなハナシ聞いて面白ェかよ？」

「うん、虫のつながりのところとか。僕たちの生活にもそういうとこあるしね。」

　目を輝かせてその食物連鎖のことを語る少年を見て、アイヴォリーはケープの端を無意識に指で玩んでいた。これはあの織り方を学んだアイヴォリーが自らで織り上げたもので、かつて手にしたそれには格段に劣る、いわば二級品だ。その心臓部である銀糸はかつてのそれから回収したもののままだが、模倣が得意なアイヴォリーの手によってもエルフたちのあの繊細な技術は再現し切れない。
　かつてもらった本当の“エルフの姿隠しの外套”。あの喧騒の中、蒼く澄んだ湖の瞳で暗殺者“涼風”を許した彼女が、別れに際して彼の身を案じ咄嗟に彼に着せたそれ。アイヴォリーはあのときのことを思い出しながら外套の端を玩び続けていた。