ラフィン・F・コッポマンが、ダンテック・ノエルの世話係を始めて、一ヶ月が経った頃。
　彼女はノエルたっての希望で、戦闘訓練を行っていた。

「だああぁぁぁぁ――ッ！」

　闘志の叫び声を上げ、白銀の鉄爪を振るわせ襲い掛かるノエル。
　しかしその攻撃はただ空を切るばかりで、ラフィンの表情に退屈の色を滲ませてしまう。

「まだまだね。殺意に見合った攻撃、そろそろ見せて欲しいものだわ」
　暖簾に腕押し糠に釘。
　連日こうして戦闘訓練を行って来たが、一度たりともその鉄爪はラフィンを捉えていなかった。

「……くそ！」
　迂闊な大振りで体勢を崩したノエルを一瞥すると、ラフィンは自身の細い手首にナイフの刃を当てる。
　退屈そうな表情のまま――その手首を、切り裂いた。
　手首から噴き出す血液。真っ赤な液体は重力に逆らって空中で寄り集まると、一つの球体へと変化した。

「私の姿を目で追うんじゃない。吸血鬼を相手にする時は、体内に宿る魔力の方を見るのよ」
　ラフィンがノエルに向け、人差し指を指し示す。
　するとその指先に促されるように、血液で作られた球体が弾丸のように放たれた。

「魔力を、見る……」
「そう。殺すべき化物というのは、見ずとも分かるわ」
　殺意にも似た感情を持って、迫り来る血液の弾丸。
　このままではまた、何も出来ず負けるばかり。そう考えたノエルはあろうことか、瞳を閉じた。


　視界が暗黒に閉ざされ、心音が強く聞こえる。

　目を閉じていても、何かが迫って来るのが分かる。

　“何か”の先に、より大きな“何か”があるようだ。

　瞬間。
　ラフィンはノエルの姿を、見失ってしまう。

「――っ！？」

「ここですよ」

　背後より、聞き慣れた中性的な声。
　と、同時に、首元に鉄の爪が触れる感触。


　ラフィンは目を細めて笑みを浮かべると、「今日の訓練はここまでよ」と告げた。


　　　　†

「魔力、感じられるようになった気がします」
「その感覚、忘れないようにね」
　ぽん、と。ラフィンはノエルの頭の上へ、青竹色の帽子を乗せてやる。
「……これは？」
　小首を傾げ問いかけるノエル。
「帽子よ」
「いや、それは見れば分かりますけど」
「プレゼント。これを被ってれば、戦いに疲れた時でも、私のことを思い出せるでしょ？」


　私とノエルは、ある点において非常に似ているし、同時に全く異なっているな――と、ラフィンは常々思っていた。
「……ありがと、ございます」
　“私のことを思い出せる”――その言葉は適切ではなかった。
　正確には、“私の憎しみを思い出せる”、だったのだから。
「お礼なんて、要らない」
「ん……そですか」

　

　あの時ノエルの言葉を聞いた時。“私と同じだ”と、思った。
　化物に家族を皆殺しにされたラフィンは、自分の意思で《ブルークロス》に入団していたし、そのことを後悔したことも無かったからである。

　しかしノエルと共に暮らす内、ラフィンの中には別の認識も芽吹いていた。
（この子の復讐心は、自分で獲得したものじゃない）
　ノエルの第一印象である“行動を擬態している”という感覚は何もその、人懐こい笑みだけに対する物ではなかった。

「あなたは化け物を殺すようになって、悩むことになるかもしれない」
「……悩む？」
「何故化け物を殺す必要があるのか。自分は何故こんなことをしているのか」

　ノエルとラフィンの最大の違い――それは、憎悪の理由だった。
　ラフィンはそれなりの葛藤と、それなりの怒り。そしてそれなりの物語を経て化け物狩りを行っていたのだが、目の前のノエルはそうではない。

　何の物語もなく。何の理由もなく。何の理屈もなく。
　ただ化け物を殺すべきであるから、化け物を殺しているのである。
　食事を取るのと同じように、夜眠るのと同じように化け物を憎悪する。それは予め規定されたプログラムのようなものであり、感情の真似事に他ならない。

　だから。
「もし悩むことになったら。私を思い出して。――私はちゃんと、化け物を憎んでいるから」
　　　　にくしみ
　私の感 情を、ノエルに植え込むことにしたのだった。


　　　　†

「何故、こんなことになってしまったのかしら」

　ラフィン・F・コッポマンは十字架に磔られながら、ブロンドのポニーテールを揺らし独りごちた。

「これは報いなのかもしれないわ」
　あの日あの時あの場所で、もし違う行動を取っていたら。きっと物語の筋書きは、大きく変わっていたに違いない。
　月の光も射さない、薄暗い地下室の中で。彼女の頭を、そんな考えが支配していく。


「あの時、ノエルに私の憎しみを植え付けなければ」
　自分はとんでもない化け物を創り出してしまった――。

「君が、後悔することはないよ。」
　静かな地下室へ、残響する声。
　その音は高いようで低くも聞こえ、男のようで女のようにも聞こえる、耳障りな声色だった。

　こつ、こつ、こつ。
　階段を降りる足音が、耳へと届く。
「……誰？」
　そう問いかけたラフィンだったが、この声が誰のものかなど、実際の所既に分かっていた。

「ボクだよ。」

　粘ついた声。
　褐色の肌に栗毛色の細い髪。
　小さな体に似つかわしくない、ブカブカの白衣。

「前より気持ち悪くなったんじゃない？　――エヴォル」

　私をこの地下室へ閉じ込めた張本人が、そこに居た。

　

そう言って少女は、最後に日に照らされた雪のように明るく笑顔を浮かべた。

青年はそう、繰り返す。
何か思うところでもあるらしい。

青年は続きを促す。

また考え始めようとして、自分が言っていることと矛盾していることに
気付き、あわてて首を軽く横に振ってその考えを振り払った。