一揆３７日目の日記　怨霊合戦/死者たちの戦争（上）

1. 大廊下

大廊下１階に１人のシスターがたたずんでいた。シスターは１人廊下の彼方の虚空を眺めている。何をするわけでもなく立ちぼうけのシスターを、大廊下の守護者であるフロラとダイゴは訝しげに眺めている。

しかし、霊体を見る目を持つ者ならば、赤絨毯が続く城内の廊下に、険しい山地と森が広がり、 櫓（やぐら）が立ち並ぶ城塞に平家の赤旗たなびく様が眺められた事だろう。そして、鎧具足に身を包んだ平安騎馬武者と青銅の鎧煌めくトロイアの戦士達が川を挟んで睨み合う光景を見た事だろう。それらは全て、シュガーの呪符とシスターの魔力によって顕現している幽界の有様である。

大廊下１階に呪術的な橋頭堡を築いたシュガーは、橋頭堡に平家の怨霊の精鋭を警護部隊として残し、大草原へと転戦していった。その橋頭堡をトロイアの亡霊率いる謎のシスターが排除しようと試みており、シュガーの橋頭堡を守ろうとする平家の怨霊と、橋頭堡を破壊しようとするトロイア勢との間で、怨霊と亡霊による戦い、「怨霊合戦/死者たちの戦争」がはじまろうとしていたのである。

2. 平家側とトロイア勢

平家側は１万騎を山地へと派遣し（大将は教経）、森の中に築いた（臨時の）城塞に５千騎を配し（大将は重衝）、残りの７千騎をトロイア側の進軍に備えて川の対岸へと派遣した（大将は維盛、補佐に伊藤景清）。その川はシュガーの呪符で顕現した幽界の河川であり、霊体の進行を妨げる効果がある。そもそも渡河は行軍中において最も危険な時間であり、対岸に平家の騎馬隊に牽制され、ヘクトールの霊率いるトロイア側はその進軍を阻止されていた。

トロイア兵が槍を川に突き刺して深さを測るに、大人２人分の長さのある槍がみるみる川の水に吸い込まれて行くも、川底を突き刺す事はできなかった。トロイア勢が川を渡ろうにも、橋もなく、船はなく、また、渡ったところで平家側の騎兵の弓矢の餌食というわけだ。

維盛の霊率いる平家の騎馬隊はトロイアの渡河行動を牽制する。平家側としては、シュガーが戻ってくるまでの間、己の陣地を守りきればよいわけであり、トロイア勢が川の対岸に布陣したまま動かないでいてくれるならそれでよいのだ。

じりじりとした睨み合いの中、重衝の構える平家側の陣地に伝令が届いた。ついに山地でも平家側の陣地にトロイア側の攻撃が始まったのだという。

平家の武将達からざわめきの声があがる。重衝の霊も首を傾げた。トロイア側は川と山地とから平家側の陣地を挟撃しようとしているようだ。しかし、トロイアの兵力が予想よりも少ないのである。古代ギリシアの叙事詩で歌われるに、トロイア勢の総兵力は総数５万なのだ。川の対岸のトロイア勢にしても２万ほどの軍勢…もう半分の動きがつかめないのである。重衝の霊は伝令を集め、絡め手の大将である教経に次のように伝えるよう命令した。

伝令の将兵が甲冑を鳴らしながら走り去って行き、重衝の霊をはじめとする城塞の怨霊共は事態を吟味する。近代までの戦では基本的に防御側が陣地の有利をもち、攻め手は守り手の二倍の兵力をもって事にあたらねばならないとされていた。平家側の２万５千騎の怨霊のうち、１万を山地の防御に向かわており、これを破るにはトロイア側は２万以上の兵力であたらねばならない。奇襲にはなっておらず、攻め手の数が少なすぎる。

斥候を出すべきだな、と重衝の霊と（叔父である）経盛の霊が思案していると、陣地に伝令が駆け込んできた。伝令の霊の顔には狼狽の色が浮かび、その足取りも尋常ではなかった。

重衝らは急ぎ物見櫓に上がって敵勢を観察すると、確かに、数は2倍に膨れ上がり、今にも大規模渡河作戦を始めんとする勢いである。そして、重衝の霊は、今まで姿を隠していた謎のシスターの姿をトロイア勢本陣に認めた。

平家の将兵は顔を見合わせた。いくらトロイア側が大軍勢とはいえ、足のつかない大河を泳いで渡るわけにもいかないはずなのだ。冥界の三途の川にしろ、アケロン川にしろ、渡し守の船にのって川を渡るのが死人の習いである。トロイの戦士達は神話上の英雄達とはいえ、死人の習いに外れた振る舞いをするとは考えがたい。

3. 謎のシスター

謎のシスターは数人のトロイア将兵を率いて川岸に立つ。謎のシスターが何事かを呟くと、シスターの背後に光り輝く魔法円が現れた。なるほど、と、重衝の霊はうなった。この戦場の山地も川もみなシュガーの呪符が作り出した対亡霊用の結界であるのならば、魔術に長じたシスターが魔術によってこれを無力化することもまた可能なはず。

シスターの背後の魔法円がうなりを上げて回転し、宙空のマナを収集していく。スターが指でスターを描き、何事かを呟くと、輝く魔法円は宙に溶けて消えていき、そして、川水はその川底が抜けたのかのように渦を巻き始めた。実際、シスターの魔術は川底に奈落へ落ちこむ大穴をあけていた。流量豊富な川は大瀑布へと一変し、奈落から舞い上がる細かな水しぶが雲となってもうもうと立ちこめる。奈落に水を飲み込まれた川は水量を失い、すぐさま、川底が露になった。

魔術の行使にふぅと息をつき、天を仰いで次のように呟いた。

天を仰ぎ見るシスターの目に何かの印が見えたのか、彼女は小さく頷いた。そして、トロイア側の総大将ヘクトルに視線を向けた。

ヘクトールの霊が全軍に合図をだし、金物が打ち鳴らされ、トロイア勢の大兵力が進軍を開始した。その足音はまるで地鳴りのよう。

トロイア勢は兵力を隠して平家側にも兵力を分散させ、その上でシュガーの結界を無力化できるシスターの居場所に大兵力を集中させる。それがトロイア側の真の戦術であった。

重衝の霊は伝令に伝えると伝令兵は飛ぶ勢いで出立していった。陣地でも狼煙がたかれ、鏑矢が放たれ、太鼓が打ち鳴らされる。それに呼応して、維盛の騎馬隊は押し捩りにて盛んに弓を放ちつつ、トロイア勢を牽制しながら後退していく。

重衝の霊は兜の緒をしめなおし、経盛や清房といった他の平家の将兵と共に維盛の騎馬隊と合流すべく出陣していった。

平家側は森に楯を何枚も並べ連ねた掻楯（かいだて）や、棘のある樹木を束ねた逆茂木（さかもぎ）、さらに空堀や土塁･柵といった通行遮断施設(バリケード)が組んであった。これら平家側のバリケードは平家の怨霊自らが作り出したものであり、謎のシスターがいかに魔術に長けているとはいえども、易々と破壊はできない。

トロイア勢を押し返さんとする平家側の抵抗が始まった。平家側は森の中でトロイア勢を待ち構え、木の上や櫓、堀と矢立を挟んで、盛んに矢を射かけた。トロイア勢も平家側の陣地を容易には突破できず、平家側の逆茂木の排除しつつじりじりと森の中を侵攻していく。トロイア勢の進軍する地鳴りのような足音は、木々を切り倒す音、相互いに射かけられる弓矢が空を切る音に取って代わられた。まだ、戦場からは、雄叫びも悲鳴も、聞こてこない。

4. フロラとダイゴ

大理石の身体を持つ白きダイゴとそのパートナーであるフロラは、大廊下１階に１人たたずむシスターの後ろ姿を心配そうに眺めていた。シスターは、時々、大廊下の虚空に向かって何事かを呟き、天上を仰ぎ見ては指で何かの図形を描いている。フロラとダイゴにとってみれば、その様子は一揆衆との戦いの最前線であるこの王城大廊下においては場違いであり、まるで演劇を練習をしているかのように感じられた。

フロラとダイゴはシスターとこれまで何度か会話をしてことがある。彼女は王城側に組みする自分達の味方であり、博識で真面目な女性であり、兵士や庭ガールに対する面倒見もよいように感じられていた。そして、彼女は死霊を使役する恐るべき魔術の使い手だということも、分かっていた。その後ろ姿は演劇の練習に見えるとはいううものの、その演技の切れからは、冷ややかな闘気すら感じられるほど。フロラとダイゴは思った。おそらく、彼女は何かと戦っているのだ、と。彼女を笑う者など、王城側には一人たりともいないだろう、と。

ダイゴはシスターが見つめる王城大廊下の彼方に視線を向けた。廊下は静謐そのものである。だが、シスターの視線から、その彼方の何者かがシスターと相対しているように思えていた。

シュガーは怨霊と会話をしているようです

シュガーは怨霊と会話をしているようです…