コトブキは茫然とその場に立ち尽くしていた。
切り裂かれた腕は痛むが、まだ完全には意識が正常に戻っていないように感じられた。

撃ち抜かれた東はしばらくその場にうずくまっていたが、
やがて姿がゆらぎはじめ、ある程度透明になりかかったところで光の霧へと変わり四散してゆく。
絶望のあまり、イネッサは悲鳴をあげながら泣いていた。

消滅する東に対して何もできなかった彼女だが、彼女の手の甲からも手紋が光を帯びて消えていった。
イネッサは何事かと顔を強張らせたが、すぐにその意味を悟ったようだ。

「いやっ！お願い、私だけは助けて？私、ミハイルの大切な恋人でしょう？！」
「……恋人だろうが何だろうが、これはルールだ。変えられんよ。」
「ミハイルだったらやってくれるわ！私達、永遠の愛を誓い合った仲ですもの！！」

その永遠の愛とやらを裏切ったのはそちらではなかったか。
ミハイルは眩暈がしたが、何かを言い出す気力もなかった。

イネッサの左手の甲から手紋が消えたと同時に、彼女はその場に倒れ込んだ。
ぴくりとも体はうごかず、呼吸をしている様子もない。
コトブキは念のため首に手をあて、脈動のないことを確認した。

「……他に方法はなかったんですか？」

絞り出すようなか細い声で、ミハイルは問う。
頭では選択肢などなかったと理解できているが、自分の中で押しとどめることができなかった。
それでもコトブキを責めることだけは、絶対にしたくなかった。

「あーあ、結構あっさり決まっちゃったね。
　それにしても、やっぱり後味悪いから契約はちゃんと守って欲しんだけど。
　生命力が移るだけだって言っても、イレギュラーはそれなりに大変だし。」

つまらない見世物とばかりに、『無貌の蒼頭』は愚痴をこぼす。
ミハイルは思い切り睨みつけたが、コトブキは表情を変えることはなかった。
唇に手をあて少し考えたあと、コトブキが口を開く。

「あのクズにたまっていた生命力は、一時的に私の中にあるのだな？」
「そうだけど？まぁ保存する器はないと困るから。」
「ならばこの小僧の契約の対価、さっき得た生命力を合わせるといくらまで相殺できる？」
「はあっ！？」

『無貌の蒼頭』から始めて大きな声があがった。

「何いってんの？ソレ私のものであってあんた達のものじゃないから！
　一時的って言ったでしょう？」
「しかし今は私の中に存在するのだろう？
　そして小僧が解約するまで取り出すことはできない。違うか？」

『無貌の蒼頭』は答えない。その代わりに、仮面から外れて半分見える口で奥歯を噛んだ。

「もともと『干渉者』同士で委譲された生命力について、
　契約に組み込まれているのならば私はそれに従うがね。
　一方だけの持論をそのままうのみにはできんよ、別途交渉が必要だろ。」
「……最初からそれが狙いだったっけワケ。ホント喰えない女……！」

ミハイルが展開についていけない中、コトブキは静かに状況を分析していた。
ここからが、本当の勝負である。
この交渉に負けるとミハイルの寿命は尽きてしまうのだ。

コトブキは無言のまま左手の甲を見た。
常磐緑の契約刻印が、静かに光を帯びたような気がした。

◇◇

「もう一度言っとくけどさ、あんたの中にあるものは私らのものだから。
　窃盗ってどの世界でも犯罪だよね？」
「ならそちらのものであるという証明をして頂きたい。
　立証できないものは、公式な見解としては認められないよ？」

コトブキにはそれなりに勝算があった。
頻度の少ない新しい事象というものは、認識されるまでに時間がかかる。
決まりとして組み入れるには、さらに加えて手間もかかる。
情報の伝達速度の遅いこのメルンテーゼで、
干渉者同士の戦闘という稀なケースの対策など立ててるとは思えない。

『無貌の蒼頭』は、その場の裁量で決めるにちがいない。
システムで守られていないならば、やり方はいくらでもある。

「私は自分で所持者を倒して手に入れたものなのだから、
　この生命力は自分のものであると主張するよ。
　その戦い自体を認めたのは、他ならぬそちらではないか。」

『無貌の蒼頭』は仮面で隠れていない半面で、顔を歪ませる。
この『干渉者契約』の胴元は自分である、どうしてその自分に歯向かうのか。
今まではトラブルを避けるために穏便に済ませてきたが、
この『干渉者』は知識と知恵を駆使する面倒なタイプであるらしい。

使い易いだろうと思ってこの人格をトレースしたが、場所を間違えたか。
こちらの思考パターンでは、本物を抜くことは難しいと考えられた。

「悪いけどさ、対等な条件で交渉できると思ってる？
　私に歯向かえるエンブリオなんてひとつも持ってないくせに。
　あんたたちが契約したエンブリオは全部、私が管理してるの。わかる？」

やはりそうか、とコトブキは心の中で呟く。
ミハイルが不安そうに干渉者を見るなか、コトブキは左手の甲を天にかざした。

「我が『干渉者』の名において命ずる。随意なる奉仕者『クスノキ　ヒサコ』を召喚する。」

コトブキの後方に、常磐緑のオーラを纏った半仮面の女子高生が現れる。
その姿を見て、『無貌の蒼頭』は大きく動揺していた。

「どういうこと！？これどう見てもドライアドじゃないじゃない！！
　『干渉者』の姿をトレースするだなんて、私達とは違うのよ！？」
「ならば影響を受けたんじゃないかね、貴女がこちらに随行していたおかげでな。」

随意なる奉仕者は、虚ろな目で機関銃を天に向けると1発放った。
その合図を中心に、剣樹の陣が敷かれていく。

『無貌の蒼頭』も何かの合図のように左手を上にあげるが、随意なる奉仕者は意に介さない。
どちらの管轄下にあるかは明らかだった。

「随意なる奉仕者……クスノキヒサコ……私達に酷似した存在が出来上がってしまったの？
　共感性が高すぎて『干渉者』と多くを共有してしまう、『無貌の蒼頭』のひとつの形ってわけ。
　個体識別がないと、こういう所でくっそ不便よね！」
「ご説明ありがとうとでも言っておこうか。
　これで対等な条件というものは揃ったと思うけど、交渉再開といこう。
　こちらの立場は明確だ、
　新たに手に入れた生命力はこちらのものとして処理し、契約の対価を相殺してくれ。」

コトブキの合図で、随意なる奉仕者は『無貌の蒼頭』へ銃口を向ける。
『無貌の蒼頭』が怒りまじりに放った銃弾は、柔らかい岩に当たり轟音とともに土砂をまき散らした。

◇◇

しばらく『無貌の蒼頭』とコトブキ達は対峙していたが、ふと半面の少女の口角が上がった。

「やーめたやめた。いくら国王倒すためだからって、こんな条件やってられないわ。」

そう言って、肩をすくめる。コトブキの表情が険しくなった。

「どうしてたった一人の人間のために、こっちが譲歩してやらなきゃいけないわけ？
　同じ条件で文句言わず働く奴なんて、いくらでもいるし。
　この子は『召喚者』としてはリストラ、次に期待すればいいね。」
「……話はまだ終わっていない！」
「こっちは話したい事なんて最初からないし。
　考えてみたら、即行で解約してやれば良かったんだよ。
　どうせ『干渉者』の余剰分も、慣例通りだとこっちに回収できるんだしね。」

コトブキは奥歯を思い切り噛んだ。
『無貌の蒼頭』には『干渉者契約』に対する解約権を持っている。
そこに気づかないうちに話を持っていこうと思ったが、相手は想定以上に冷静だった。

恫喝の手順までは良かったが、権限を振り回されるとどうにもならない。
相手が厳格なルールを守っている以上、咎めるものは何もない。
所詮メルンテーゼの住人ではないコトブキにとって、これが限界だった。

コトブキの腕を掴むミハイルの手は、震えていた。

「じゃあ恙なく。
　我が『無貌の蒼頭』の名において命ずる。『召喚者』ミハイルとの契約を……。」

『無貌の蒼頭』は、左手を天にかざしながら困惑した様子だった。

「……ねぇ、『召喚者』との生命回路が遮断されているんだけど。」

あまりの慌てように、コトブキとミハイルは顔を見合わせる。

「私達は契約を総べる者……なのになぜ、『召喚者』の生命回路が反応しないの！？
　対価を受け取る通路が遮断されているんじゃあ、そもそも解約すらできないんだけど。
　こんな重大な欠陥、あったら絶対に気づいてるし！！」

狼狽する『無貌の蒼頭』の様子を見ながら、コトブキは何が起こったのかを考える。
『召喚者』と『無貌の蒼頭』で生命力をやりとりする回路が何らかの障害で繋がらないらしい。
契約の対価である生命力を必ず回収しなければならない、
そういう契約システムになっていると思われる。
そして契約した当初には、当然そんな欠陥は見つからなかった。

「二重契約？……ううん、そんなのあり得ない。
　この生命回路に直接干渉する原因が、どこかにある筈なんだ。」

自分の記憶の中で手がかりはないか、コトブキは頭の記憶を巡らせた。




ほんの数日の記憶を手繰るうち、コトブキはある事実に思い当たる。
おそらくは『無貌の蒼頭』が想定できない、完全なるイレギュラー。
全く異質の魔力に、『召喚者』と『無貌の蒼頭』との生命回路は侵入を受けたのである。

本人たちはただ、自分の赴くままに行動しただけだ。
だが何気ない行動が、他者の運命に莫大な干渉を及ぼすこともあるのだ。

「さて、生命回路の異常の原因は見つかったかね？」

落ち着きはらったコトブキに問われ、『無貌の蒼頭』は片方の瞳で睨んだ。

「まだ分からないならこちらから答えよう。
　それは、君らの管轄外にある者からの干渉魔力だ。
　その者をどうにかしたら原因は除去できるかもしれないが、内弁慶な君らには無理な話だよ。」
「管轄外の者ってなによ！？」
「世界って広いんだよ、そちらが考える以上にね。」

『無貌の蒼頭』が散弾で地面を撃ち払った。冷静さはだいぶ欠いているようだ。

「じゃあ解約できないなら、アンタの中にある分だけでも返しなさいよ！！」
「おやおや、『干渉者』の原則すら忘れてしまったか。」

撃ちだされた何発かの銃弾が、コトブキの肩や脚を掠る。
それは、避けそこねたのかわざと受けたのか、今では知りようがない。

「『干渉者』はこの世界の因果で殺すことはできない。そう言ったのは、君だよね。」

随意なる奉仕者が、拒絶の祝砲を天に放つ。

「相手を見て妥協できない子はリストラかな。どうせ変わりはいるんでしょう？」

コトブキの言葉とともに、無数の銃弾が『無貌の蒼頭』を貫いた。
『無貌の蒼頭』は驚愕した顔で、その場に倒れ込んだ。


To Be Continued......

-----------------------------------------------
※今回はEno1429さんから頂いたメッセ部分を一部お借りしました。