（この度の日記は、前回のノーライフキング戦直後の出来事を時系列としております。）




この地に赴いてより、既に一月の時が経ち。

真に不可思議なる地に措いて手の掛ける処、未だ知らず。

我が己が身に措いて、死の予兆を感じ取りしは二度のみ。



一つは、迷い込んでより僅か数日のこと。

此れまで得たことも無き熱病に冒され、思考も瞬かず。

ただただ死の淵に、己が身体が引き摺られるを感じたり。

されど、数日の後には全て癒えた。



そして二つ目、今正に我が背後にて蠢き居たり。

あれは不死にして、生を憎むモノなり。

竜が不死なることと、理を異にして全てを違う。

生を喰らうが竜ならば、死を喰らうのが彼の化物だ。



到底敵うべくも無しと悟り、通路を我武者羅に駆け抜ける。

ほんのつい先程より、得たる感覚が、この先にある。

それは、死の化物に出会う直前にて消え失せていたモノで。

ヤツに渡されてより、一度とて見失うことなき気配であった。



狭き通路に大きく反響する靴音にも、最早構う所など無く。

己が双眸は、暗闇にひらめく見慣れた襤褸を捕らえた。

発した声が反響し、びりびりと肌を撫で擦る。

その全身は余すところ無く朱に塗れ。

被りたる古笠には、真新しい傷が付けられていた。

傷の付いたヤツの笠を見るのは、此れが初めてのことであった。

されどその様子は、まるで避け得ぬ雨にでも打たれたかの様で。

彼の害意に対し、特段怯えた様子も無く。

まるで普段と変わらぬ様子で、再び歩き始めた。

気付けば、随分と息が上がっていた。

大きく呼吸を重ねて調子を整えて。

その見慣れた背を追い、歩き始める。

花冠の足跡に、真新しい血の滴りが混じる。

まるで、標と為すかの如くして。

急に、花冠が足を止める。

されど、覗き込む顔には如何ほどの感傷も無く。

再び動き出す肩を追い、思わず手が伸びる。

されど、我が腕は篭手にて打ち払われて。

尤も、予期したことであったが。

そして続く問答についても、また。

追われど、払われど、踏み込まねば歯牙にも掛けられぬ。

このやり取りもまた、この地に赴いてより幾度も繰り返した。

花冠を覆い包む空気が、俄かにささくれ立つ。

まるで尖った空気を吐き出すかの如く、溜め息を一つ。

刹那、その腕は前へと持ち上げられて。

胸元の衣を広げ、続いて下衣をぐいと引き上げる。

己が目前には、花冠の腹部から胸部に掛けての体躯が曝け出された。

滴る血は、衣の中までもベッタリと汚していた。

されど、その表面には血を噴出する傷は見当たらず。

其処に在るのは、ただ一つ。

この男を蝕み続ける、一つの“傷痕”が在るのみであった。



――吹けば消える、脆弱なものだよ



彼の傷を……間近で見ることは、何時振りであったか。

この男の根源にして、世を跨いでも消えぬ不老の力であり。

ただ爪の一つでも掠めれば消える、儚き灯火。

それが、今や我が目前に。

手を伸ばさずとも、息を吹き掛けるだけで潰えそうな間合いが。

ヤツが認めた、己が弱さであった。

幾刻とも思えた瞬きの旅路を終えて、再び花冠へ向き合う。

花冠が衣を直せば、僅かに間合いを取って。

今更、新しきを知り得た訳でも無し。

ただ嘗てから続く男の道を、再び見て取ったのみで。

だが、今となって其れが無性に懐かしく。

久方にして、己が知るヤツの根源を見知った思いがした。

最早、用を終えた襤褸の背は振り返ること無く。

黙々と、地上へと向けて歩み続けている。



僅かな光に照らし出された通路は、どこまでも虚ろとして。

この狭間の中に、鼓動を打つモノ何一つとて無く。

懐かしき陰の中を、踊るようにして追い歩く。

死を喰らう生と隣り合わせた、男の後を歩き続ける。

悪霊と呼ばれれば、蛇龍が口端から僅かに笑いを漏らす。

問われれば、ああと両者が声を漏らす。

頭の横とか正面とか後頭部をくまなくまさぐる。

さながら呆れたような口調で相手を見据える。

顔を覗き込まれても、今までとは打って変わって冷静な顔付きでいる。

空気が変わった。
球体達の形状も今までより心なしか張り詰めており、光の明滅もより明確なものになってきた。

大体の球体はその場に漂っているが、幾つかの球体はシオンの周囲を不規則に移動し始めた…。