グババ・ナイツはいかにもドワーフらしい男だ。特徴的な樽型の体型に白髪交じりの髭。一分の隙もなく板金で覆われた重鎧は騎士たちの着るそれにも似ているが、騎士たちが好むような華美な装飾は施されていない。ただ、それに代わる繊細な彫刻が控えめに鎧を飾っている。その着丈はドワーフの体躯に合わせて誂えられていて、本人の体力もあってか見た目ほどに動きを阻害する様子はない。それは繊細な彫刻も含めてドワーフたち本人の手になるものだからだ。武骨な手からは想像しづらいことだが、ドワーフは武器や鎧といった実用品はもちろんのこと、そういった細かい芸術品の類も作り出してみせる芸術家の手を持つことでも知られているのだ。携える両刃の斧は彼の身長と同じほどの丈があるが、それを扱うのにも不便な様子はない。斧にもまた、鎧と対になる彫刻が施されていた。
　ドワーフは繊細な芸術家であり、頑健な鍛冶職人でもあり、そして豪胆な戦士である。全ての意味において、グババは“ドワーフらしい”ドワーフだった。

「ッてええええええええッ？！」

　振り向いた男の顔を見て、アイヴォリーが潜伏中であるのも忘れて素っ頓狂な声を上げる。明かりはどこかの隙間から漏れ差し込んだ一条の月光だけ、ほとんど暗闇に等しいのだがこちらにも明るさは関係ないらしい。暗闇で様々な“仕事”を要求される暗殺者はそのように訓練されているのだ。そこにあるはずのない、懐かしい人物の変わらない顔を発見し、アイヴォリーは珍しく破顔した。

「爺さん！グババの爺さんじゃねェか！
　ナンでこんなトコでナニしてんだよ？ルミィの嬢ちゃんは元気か？オイ、ちッと白髪が増えたんじゃねェか？！」

　これほどまでにこの男を裏表なく、手放しで喜ばせる事態はそうはない。そもそも彼が人の名前を聞いても、その人物に向かって名前で呼びかけることはほとんどないのだ。

「ほっほ、あいかわらずじゃの。」

　闇の中でそう笑うグババ。この男が唯一ドワーフらしくないところがあるとすればそれだろう。人々がドワーフといわれて想像するように、そして実際にドワーフなるものを見て想像が確かであったことを実感するように、この男は気難しい表情をすることがない。それはどちらかといえば無害そうな、好好爺たる笑みであることがほとんどなのだ。それはまさに、彼が長いときを外の世界で生きてきた結果得られたものだろう。

「まァまァまァまァ、コッチ来いッて！
　メイリーもソコで待ってるからよ！」

　アイヴォリーは相手の様子もお構いなしに、自分の半分ほどしかない背丈の彼の腕を取り、今日の宿へと引っ張っていった。


　歴戦のドワーフ、グババ・ナイツは彼の所属する世界で戦いの中に身を置く者ならば知らぬ者はいない、とまでに言われた豪傑だった。まだ若き頃、自らの生まれ育ったドワーフ郷を出た無名のドワーフは冒険者として身を立て、次第に傭兵として各地を渡り歩くようになる。それは彼の信条、“弱き者を見捨てぬ”というそれを実現するために、どこかに縛られない立場である方が都合が良かったからだった。その戦争屋だか人助け屋だか曖昧な傭兵稼業は実を結び、彼の信条に救われた者、賛同する者を中心として傭兵たちがひとつの集団を形成し始める。実際に戦いの手腕を振るう者から各地で彼らを援助する者たちまでを含め、その集団はいつしか小国が無視出来ないほどの規模のものへと膨れ上がっていった。
　そんな折、彼の住む世界で大規模な戦が始まった。はじめは些細な出来事だったらしい。どこぞの皇太子が暗殺されたとか、危険な兵器をどこかの国が隠し持っているだとか。だが、飛び火するようにして戦火はあっという間に広がり、世界中を飲み込んだ。そんな状況の中で、一騎当千の勇士たちが所属し大きな戦力を保持する集団の力を求める国があるのも不思議ではなかったのだ。そこから先は、彼本人が多くを語らなかったためにあまり知られていない。
　だが、“学園”と呼ばれた“エンタメ”の一種で彼と同郷であるらしいドワーフと出会ったアイヴォリーにはある程度想像が付く。傭兵組織を束ねるドワーフの出身地を手に入れた国が現れ、それを用いて彼に恭順を迫ったのだ。だが、世界に広がってしまった戦の炎の中では、かのドワーフは自らの郷を守ることが出来なかった。もしかすると、彼は敢えてそうしなかったのかも知れない。それが彼の弱みになることが知れてしまえば、彼の信条に応えて集まった者たちが戦うその集団は、単なる彼の手駒に成り下がってしまう。何にしても、その同郷のドワーフがアイヴォリーに語ったのは、グババ・ナイツは自らの郷を見捨てた、ということだけだった。
　そんな彼を、アイヴォリーも実際に良く知っている訳ではない。グババとアイヴォリーが共闘したことは一度もないのだ。それでいて、自分で慎重に慎重を期して相手が信頼に足る人物かどうかを計りそれ以外の者に対しては名前さえ碌に呼ばないこの男が、歴戦のドワーフを信頼するのには訳があった。
　彼の縁者たちと幾度となく共闘しているのだ。特に彼の孫だと自称していたウィンドミルの少女とは深い縁があった。そういった彼らが語る一人の像、そして時折彼らを訪ねてやってきたときに出会い交わしたいくつかの言葉の断片。それらがアイヴォリーの中でグババというドワーフの人物像を作り上げている。
　無論それだけではない。実は彼らからそういった話を聞く以前から、アイヴォリーはグババと出会っているのだ。ただし、それは敵同士という極めて不安定な遭遇の仕方であり、その時分にはお互い相手のことを一切知らなかったのだが。一度は敵として、暗殺者と護衛という立場で刃を交えた。そして、一度は暗殺者ギルドから出奔したアイヴォリーが“仲間たち”から狙われ死にかけていたところを助けられた。その二度の刹那の出会いの後アイヴォリーは彼の名を知ることとなり、その後に彼に縁のある者たちから彼の話を聞き、そして彼自身と話すことによってアイヴォリーはグババという男を理解した。ときには陰から、そしてときには自らで、弱き者たちの傍らにあるドワーフ。自らの定めた信条に従い、それを実現するだけの力を持った、いうなれば“英雄”というのがアイヴォリーの彼に対する評価だったのだ。
　その、懐かしいドワーフが、今アイヴォリーの目の前にいる。彼は久し振りに訪れたアイヴォリーたちのキャンプで、いつかのようにしてアイヴォリーが淹れたコーヒーを手にしていた。

「相変わらず、あまり旨いもんではないの？」

　それでも満更でもなさそうにグババはカップから薄いコーヒーを啜った。その“あまり旨くない”茶色の液体はいつかの“島”の味であり、アイヴォリー流のもてなしでもある。

「まァそういうなッて、あいかわらず酒はねェケドな！」

　兵舎を見張ることなど何処へやら、むしろ兵舎にまで届きそうに快活な声でアイヴォリーが笑った。ドワーフが種族を通じて底なしの酒豪であることは良く知られている。以前“島”にいた彼らが偶然出会ったときにも酒はなかった。その頃を思い出すようにしてアイヴォリーがもう一度下品なほどの笑い声を上げた。

「一揆と呼ばれておるが、儂らでいう反乱じゃな、これは。
　王が力を独占し、民がそれに対し反旗を翻すまでに追い詰められた。それを遠くで耳にした、というところかの。」

　自らがここにある理由をそう述べて、年老いたドワーフは人の好い表情のままで傍らに立てかけた戦斧に手をやった。それはあたかも、自らがここにあることが当然だ、といわんばかりの自然な様子だった。

「まぁ遅ればせながらこうしてやってきた。その内道が交わることもあろう。
　して今はそろそろ、お暇するとしようかの。」

　カップの底に残った液体を煽り、ドワーフが腰を上げた。アイヴォリーがそれに僅かに残念そうな表情を浮かべて追随する。このドワーフの前では鉄面皮を誇る盗賊の端くれも子供のような表情を浮かべてしまうらしい。

「おゥ、マタイツでも来てくれよ。オレたちは二人旅でノンビリヤッてッからよ。」

　メイリーを振り返りながらアイヴォリーがそういう。ソコまで送ってくぜ、と別れを惜しむように彼はグババとメイリーに告げた。無論入ってきたときのように彼一人で出て行くことも出来るのだろうが、この宿全体の“鍵”であるアイヴォリーがいれば無駄足を踏まなくて済む。
　メイリーに暇を告げたグババとともに、暗闇の満ちた廊下に歩み出ると、アイヴォリーは彼を先導しながら歩き出す。少しの間沈黙が訪れると、辺りにはグババの金属鎧の立てる音だけが響いた。ふと、何かを思い出したかのようにしてグババが口を開く。

「そうそう、忘れておった。
　時に、メイ殿との仲はどこまで進展したかね？」

　小声で、悪戯っぽい表情で。それを聞いて、一瞬アイヴォリーの顔が苦虫を噛み潰したような、渋いものになる。そして、それからすぐに、彼は人を食った笑みを浮かべて人差し指を立てて振ってみせた。

「んー、ナンも変わっちゃねェぜ。平常運航ッてヤツさな？」

　ほっほ、と小声で笑みを漏らすドワーフ。彼の顔を見て、相変わらずこの爺さんには勝てないな、と感慨に近い感情を抱きながら、アイヴォリーはどこか安心したような安らかな気持ちになっていたのだった。