手指がしなり、扇が開く。
　淡く青色に染められた和紙には紫の唐糸草が描かれ、持ち手の手の中で雅に姿を躍らせる。

　扇を口元に当て、鴉天狗は淡く笑んだ。
　場所は恒例アデルのテント、今日出向いたのは鴉天狗一人であり、前回共にいた金髪の少年―――フスティは同行していない。
　夜を思わせる濃紺の和服には瑠璃色の糸でさりげない波の刺繍が施されている。淡青の帯には花飾りがひとつ添えられ、裏地は夜明けのような群青、袴はなく白の足袋に下駄を合わせていた。

　見事な夏の装いは涼やかな夜の色使いをしている、二番隊所属の鴉天狗は精霊術師であり、服装には自由が効くがいつにも増して気合が入っている。

「着たきり雀の一番隊に見せつけてやれと、オルフェより拝命してな？」
「『……あの野郎』」

　苦笑しながらアデルはテントの奥へと足を向ける、戻ってきたばかりで鎧すら脱いでいない。
　ロザリアを居間に置いて鴉の相手をさせ、アデルは私室に戻るとクロガネに手伝って貰って武装を解除する。白いリネンのクロースに水色の布で飾ったスカート、まとめた髪は一度解いてポニーテールに結び直している、やや堅苦しさはあるものの普段着としては気を使っている部類だろう、質素な装いの中で氷の結晶を象った薄青のイヤーカフスが左耳で異彩を放っていた。
　荷物の数々を入り口のラックに立てかける、新調したばかりの武装があり、預かりものの剣がある。

「……荷物、辛そうだな」
「そうねぇ、鴉君が出向いてた時は体力次第でもうちょっと持てたんだっけ？」
「ああ、それでも40に届かないくらいだが」

　二番隊の精霊術師鴉天狗、かつてはメルンテーゼに似た世界に出向いていた経歴もある。
　本来剣に長けた種族らしいが、アデルの目の前にいる彼は例外的で術の方を得意としていた。13才と格段に若い見た目をしているが性格は温厚で思慮深い、あの頃は場数を踏んでいなかったから、と当時別世界に出向いていた自らの不明を苦笑した。

「時にアデル、この後外せない用件はあるか？」
「うん？　特にないけど……預かり物があるから余りテントからは離れられないって所ね〜」
「そうか、遠出はしないので問題ない、夜を待とう」

　暫しの間、一人増えたいつもの時間を過ごした。
　アデルは武具の手入れを行い、三人で交互に湯浴びを貰う、空き時間中に鴉はかつての世界の事と少しだけ自分の事を話してくれた。

　鴉天狗は自然現象が山神として崇められた伝承の具現である、位はそれほど高い訳ではなく、東の国に数ある神々の末席という扱いらしい。
　存在としては精霊にも近く、そのために個体意識は希薄である、個体名を持たないのもその繋がりだった。
　以前、その件で自らを省みない事を諌められた事があるのだと鴉天狗は苦笑する。あいつはよい奴じゃな、と続けて目を細めた、真摯である事は精霊にとって何よりも胸を打つ。

　アデルが席を外せばロザリアと鴉天狗の間には少し微妙な空気が流れる、二人は同郷であり、冒険に出る以前より面識があったという話だ。
　息をつき、ロザリアは鴉天狗から目を背けた。疑いの目を向けられた以前より多少マシになったな、と鴉天狗は扇で口元を隠しながら笑う。

「流石に友人の好きな相手にどうこうする程野暮じゃないわよ、貴方は隠し事が上手そうだから油断ならないけど」
「……うむ」

　頭の後ろに手を回すと鴉天狗は片目を覆っていた眼帯を解く、隠していなかった黒緑の瞳に対して、隠されていた瞳は不思議な光を宿す銀色だ。

「……少しだけ、お主達の事も話そうか？」