ひたりと触れた鱗は硬く、見た目よりも凹凸があり、その色に反して仄かにひんやりとしていた。
　指を滑らせる。
　金属的な光沢を持つ鱗は場所によってさらに硬く、大きく変化している。特に“鎧鱗（がいりん）”と呼ばれる背を覆う鱗はその名に恥じない硬度と大きさを持ち、生半可な物理攻撃では傷一つ付かないだろう。
　朱雀を上回る圧倒的な火力と、その体躯に相応しい体力の高さを誇ったこの赤い竜をどうにか打ち負かすことができたのは、幸運だったと言っていい。
　以来、この赤竜はエンブリオとしてカサネに仕える身となったのだが。



「…主殿、まーたやってンの？」

「新入りが来ると、一度はやるな」

「あらやだ、アレ毎回なのかい？アタシの時はなかったけれど…」

「辰砂さんには、契約前に羽繕いしてましたから…それで満足したんじゃないでしょうか…」

――有得るな



　慎重な手つきでペタペタと赤竜を撫で回す主の姿も、ある程度付き合いのあるエンブリオ達には最早恒例の光景である。



「おーっとぉ？スケッチブック取り出しちゃったネー…？」

「ああなるともう、動かんな…」

「あぁ、そういやあの子、集中すると動かなくなるわよねェ」

「辰砂さんの羽繕いの時とは、多分時間も集中力も違うと思います…」

「だよねェ…子蛇ちゃんはアレのせいで、名前を貰うまで２日かかったモンねェ？」

「…………」

――……ニグレド…

「だぁってホントのことだもーん！」

「ったく！子供を泣かすんじゃないよ、この犬助（右）！」

「いぬｗｗすけｗｗｗｗカッコミギｗｗｗｗｗｗなにそれ俺？？斬ｗｗｗ新ｗｗｗｗあ、ちょ！痛い痛い！蹴らないで！イタタタタ!!」

「待て、辰砂…蹴るなら頭だけにしろ。他は此方にも痛覚が…」

「ちょっｗｗとｗｗｗ兄弟！そりゃあナイでショｗｗｗｗ俺たち一蓮托生じゃん?!ｗｗｗｗって！危な?!待って！目はダメェェェ!!!!」



　ぎゃいぎゃいと騒ぎ始めた他のエンブリオを遠目に見ながら、赤竜はぐるぐると喉を鳴らして笑う。



「貴殿の周りは、随分と賑やかだな」

「アレは騒がしいって言うんだ…ったく、あいつらは…」



　スケッチブックに筆を走らせていたカサネは、しかし完全には集中し切れていなかったのか、赤竜の笑みを含んだ言葉に手を止めて顔を上げた。
　眉を寄せ、騒ぐ双頭の獣と大型の鳥の姿を確認するなり盛大に溜息を吐き出す。
　そんな主に、赤竜は目を細めた。



「よきことだ。多種族があれほど集って争いにならぬのは、統率者が機能している証拠だろう」　

「……そういうものなのかね。俺には、よく分からん」

「自信を持つがいい。貴殿は彼らの力を上手く使い、私を下したのだ。誇るべき手腕だぞ」

「…………」



　彼らの感覚は、いつもこうだ。
　戦い、打ち負かされれば従うことを当然として受け止める。
　それがこの世界の理であるからだと彼らは言うが、それでもこんな青二才に従うことに不満はないのだろうか。



「……我等は爪を、牙を、翼を持ち、扱う魔力もこの世界のヒトのそれより優れていることが多い」



　思考を見透かされたかのような言葉にはっとして視線を上げれば、静かな蒼い目が見下ろしている。



「なればこそ、作戦を練り、武器を鍛え、道具を用いて挑み来る者……その勝者に、我等は敬意を払うのだ」



　そこに種族や年齢は関係ない。
　例えその一戦の結果が運であったとしても、それを含めて実力であると赤竜は言う。



「エンブリオを使役することは、正しく貴殿の“力”だ。胸を張り、大いに誇れ。それが我等の誇りにもなる」



　そう言われても、他者を使役することにも、誰かの上に立つことにも慣れないカサネはどう答えたものか分からず口を閉ざす。
　主たる自覚を、自信を持て、誇れと言われても、自分自身の魔力を使うことでいっぱいいっぱいな身の上だ。
　まして元の世界ではひたすら目立たぬように、誰の目にも留まらぬようにと自らの存在を隠すように生きていた。
　この世界で自分に求められている役割は、やはり荷が勝ちすぎていると思う。

　それでも。
　ここで生き残るためには、元の世界に戻るためには、変わらなければならないのだろう。

　優しい薄闇に満ちた自分の部屋は、この世界の何処にもない。
　隠れることも、目を閉ざし、耳を塞いで蹲ることも、留まることすら許されない。

　前に、進まねばならないのだ。
　それがどんな形であっても。

　今一度、肺から重く空気を吐き出す。
　手にしていたスケッチブックに視線を戻し、筆の動きを再開させた。
　難しく考えれば、思考はどんどん深みに嵌っていく。
　今はもう、何も考えたくはなかった。

　会話を拒否するように手を動かし始めた主に、しかし臆することなく赤竜はまたも笑みを滲ませた声で問う。



「時に主よ」

「……何？」

「そろそろ仲裁に入らずとも構わぬのか？」



　蒼い視線の先には、辰砂の足に耳を捕まれ、額の目に振り下ろされる嘴を必死で避けているニグレドの姿。
　助けを求めて鼻鳴きする獣を一瞥すると、彼らの主はいかにも主然とした昂然な態度で言い放つ。



「放っておけ」










　その夜、水辺の森には静寂を裂いて獣の悲鳴が一つ、上がった。

（名を呼んだ途端、茹でた様な色に染まって挙動不審になった青年に声を掛け…
ようとして、新たに誕生した不思議な生き物（※マフラーぐるぐる巻マン）に
思わず言葉を失くす忍者）

（忍者の頭の周りには、それから暫しの間？？？が浮かんでいた）

＊

（カサネの言葉にふむ、と言って暫し考え込んでいた忍は、徐に懐に手をやり――
彼のエンブリオである、一枚の札を取り出した）

（間違いは無い。間違える筈など無かった。
元は同じ一つの精霊ではあれど、その気配や性質は憑いた者によって全て異なる。
札に収まったそれからは、忍が他の誰よりも知った気配が感じられた）

（その表情を揺らがせる事無く、忍はあくまで淡々とここ最近の事情を告げた。
そして、ふっとほんの僅かに表情を和らげ）