マァムブ。

見上げるほどに巨大な、エンブリオ。

蟲のような、機械のような。建造物を背に乗せた、形容しがたいその姿。

移動する拠点。

青髪の人形の道案内で此処まで辿り着いた。

拠点への道程を伏せることなく招き入れたのは

誠意か、自信か。





青髪の人形───クリスティーナは饒舌に喋り続けている。

しかしミチエはそれに対して適当に相槌を返すだけだった。

他愛も無いおしゃべり。場を和ませるためであったのかもしれないが

その効果は特に確認は出来なかった。

いつものように、いつもよりも尊大な態度。

堂々とした足取りでマァムブ内部を歩いていく。



ミチエにとって此処は敵地であり、味方は一人もいない。

客として招かれてはいるが、目的さえ果たしてしまえば彼女を

生きて帰す理由は彼らには無いだろう。

口封じとして始末してしまったほうが後腐れも無い。

それでもミチエは単身で乗り込み、帰ってくるつもりだった。

主にそう、約束したから。





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人払いをさせる。

立会人、兼助手としてクリストファーを同席させる。他は不要だ。

当然のようにクリスティーナもそこに居たが

それに関しては今更なので口を挟みはしなかった。





通された部屋には１人の男が横たわっていた。



グリゴリ。

グリゴリ・ドミトリエヴィチ・ラージン。

ラージンの次期領主であり、賞金首集団『メルンストゥーラ』の首魁。

裏切り者の毒に倒れた彼の治療が今回の来訪の目的。

依頼者はクリストファー。対価はミチエの望むままの情報。

同胞を傷つけられた事によりリンテントポーゼは

メルンストゥーラを敵対組織と見なしている。



一通り、診察を済ます。

毒で倒れたことは事前に聞いている。

だが、脚の具合については何も聞いていない。

つまり、それは今回の依頼には含まれてはいない。

ミチエはそう判断し、脚についてはクリストファーに何も告げなかった。



腕にはまだ新しい注射痕。

他の医者や魔女を連れてきて診せたが、徒労に終わったのだろう。

イペ族は、その呪いとも言える体質から毒には強い耐性を備えている。

健康な男子なら一晩も寝れば解毒してしまっているほどだ。



それが、何故。

ミチエには見当がついていた。

それに対する答えを過去に聞いていたからだ。





かつて、この場の四人がラージンでの他愛無い遊び友達であった頃。

目の前の男がまだ明朗な少年だった頃。

ミチエがまだ、艶やかな金髪の乙女であった頃。

二人は仲の良い姉と弟のような関係だった。



その日は生憎の大雨だった。

突然の大雨に見舞われた二人は近くの小屋に飛び込み、雨宿りに入った。









戸惑う少年を押し切るように肌を重ねた。

成り行きと、性への好奇心。意識しかけていた慕情。

あの日を境に、少年の幻想はひとつ砕かれた。

幻想が砕かれる度に、少年の内で母親に対する神聖さは病的に増していった。



二人の違えた道は緩やかに、けれど決定的に狂っていった。



男は神聖なる母の影を胸に、黄金郷への血路を描きだし

女は育むべき家族を喪失し、求めていた明日を見失った。





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ガルテンジアの花を乾燥させ、すり潰した粉と

ナンディナの赤い実を乾燥させ砕いた粉を霊水で溶いた液を筆に浸して

グリゴリの左胸の上に呪印を描いていく。



クリストファーに砕かせたパワーストーンの粉を中央にひとつまみ盛る。

その上にネクターの精油を9滴落とす。

そうして、ミチエは腰から波打つ刃を持つ儀式短剣を引き抜いた。

それを見咎めてクリストファーが声を荒げる。



「ミチエーリ、何を！」

「黙れ、クソ眼鏡。助手が私の邪魔をするな！」



鋭い罵声とともに睨んでクリストファーを黙らせる。

ミチエは儀式短剣を構えると短い詠唱と共に中空に印を切る。

刃の先端に火が灯り、グリゴリの胸の呪印へと燃え移る。



それは、あの頃に寝物語として少年に聞かされていた。

自分や、他のイペ族が困っていた時に助けてやってほしいと。

毒に倒れたイペ族を治すお呪い。そのメソッドを。

まだ見習い魔女であったミチエに彼は託していたのだ。

あの頃のミチエは生命と豊穣に携わる善き魔女だった。

陽の光の下、老いて朽ちるまで己はリンテントポーゼの民の為に尽力していくのだと信じていた。

今は、見る影もなく。





小さく、火が踊る。

火に呼応して心の臓が脈打つ。グリゴリの身体が跳ねる。

末端から呪印が浮かび、心臓を目がけて走るように灯る。

グリゴリの全身に呪印が浮かんでいた。

首をのけぞらせ、途切れ途切れの短い呼吸を繰り返している。

胸の呪印の火が次第に弱まっていく。



「桶だ！ 桶を持ってこい！ 急げ！」

クリストファーに命じると、ミチエはグリゴリの背に腕を入れた。

毒を吐かせるためのまじないは済んだ。

毒は口腔を通じて外へと排出される。

仰向けのままでは気道に詰まらせてしまうだろう。

身体の向きを変え、ベッドの下に置かせた桶に吐かせる。

そこには新鮮な肝のような色をしたどろりとしたモノがあった。

続けて吐いた胃液に血が混じっている。

苦しげに喘ぐ背をミチエがさすってやる。



「……たぶん、上手くいったと思う。

　私も実際に行うのははじめてだからまだわからんがな。

　とりあえず、温い湯でも持ってきてやれ。落ち着くだろう。」