前々からずっと気になっていたことがあって、珍しく家族３人が食卓を囲んだ日に聞いたことがある。
「これ、父さんのだよね？」
「当たり前だろ」
　ずっと気になっていたんだ。ボクの両親は研究者で、だから当然父さんも研究者で。いやもう当たり前すぎて何言ってるんだか分からなくなってくるくらいに気になっていたんだ。

　なぜうちの壁にはチャンピオンベルトなどというものがかけられているのだろうか。

　ていうか、何が当たり前だろなのか。何に対しての当たり前なのか。何も当たり前なんかじゃない。
「お父さん、昔はボクサーでね」
　母さんがポツポツと語り始める。
　研究に詰まった母さんが、ボクシング好きの同僚に気分転換だと言って試合に連れ出された事。
　その試合でリングに上がっていた父さんが、観客席の母さんに一目惚れした事。
　母さんは、格闘技は興味なかったのに妙に惹かれて、２ヵ月後の試合にも足を運んだ事。
　その日の夜、外でばったり会った事、その時に告白されて付き合うようになった事。　

　なんでこんな話になってるんだろう。ボクは素朴な（わけでは決してないが）疑問に答えてもらいたかっただけなのに、何で馴れ初めなんて聞かされてるんだろう。誰のせいかと言われてもボクなんだろうけど、これは何か、落ち着かないというかなんというか。
「でね、お父さんすごい強くって。ある時、次の試合でベルトを獲得できたら結婚してほしい、って言われちゃって」
　くすくすと笑いながら、懐かしそうに目を細める母さん。

　途中からまともに聞いてられなかった。２人の目を見る事も困難だった。

　で、だ。父さんは全世界１位になった結果、母さんといる時間が欲しくて研究者に転向したんだそうな。当時は相当話題になったようだけど、そりゃ当たり前だ……。
「ごちそうさまでした」
　二重の意味でボクはそう口にすると、ランチプレートを片付けた。

　ま、経緯はどうあれ母さんは幸せものなんだな。それで、父さんも幸せなんだ。とんでもなく大きいもの投げ打って、好きな人のそばにいられる。ボクはまだそういう事に憧れは抱けないけれど。理屈でなら分かる。そこまで出来る相手がいて、そこまでしてくれる相手がいる。それは、どう控えめに見ても素敵な事なんだ。

　　　　　　──人もをし　人も恨めし
　　　　　　　　　　　あぢき　　　なく
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　世を思ふ故に
　　　　　　　　もの　　　　　　思ふ身　　　は───