拝啓　パパへ。

元気にしてますか？　娘の有です。
私の方は…相変わらず、元気かどうかもいまいち分かりかねる毎日ですが…。

…あ、いや。まあ、私はともかく。
…そうだ、前にも書いたシュレディンガーさんとかは、割と皆元気です。

ペット…というか実験動物なんだろうけど、
それは置いといて、猫…？の他にも蛇…？とか馬…？とか、トカゲ…？とか。
全部疑問形になるのも、ひとまず置いとくとして。飼ってる種類も結構増えました。
パパの好きな犬も居るよ。　…まあ正確には、狼…？なんだろうけど。

動物は好きだけど、これだけ数も増えると世話も大変で……


　*　*　*

餌の入った器を片手に、私は声を張り上げた。
探してるのは、前に腐肉が契約した狼のエンブリオだ。

腐肉たちが契約しているエンブリオは、特に鎖や何かで手元へ繋いでいるわけでもなかった。
放し飼いや、野生動物に印を付けて観察している、あんな感じに近いというか。

基本的には傍にはいないが、呼べばそのうちどこからか顔を出すのだ。

坂本が契約した多足馬は、F1かと思う程の速さでこちらへ駆けてくるし
同じく坂本が契約した大蛇は、非常に危険極まりないが雷と一緒に空から落ちてくる。

かといって、シュレディンガーさんのように常に私達の傍に居るタイプもいる。
怪我しているのも相まってか、探している狼もそのタイプだった。

呼びかけようとして、未だ名前を付けていなかったのを思い出す。
常に傍にいるんだし、怪我の治療もあって他の子と比べたら世話の差が違うんだから、やっぱり名前が無いと不便だ。
種名とかも、以前治療してもらった一揆の関係者の人に一応教えてもらったのだが…。
確かなんだっけ、ダイアーウルフ？　紀元前の狼だったはず。

でも、種名で呼ぶのもそっけなさ過ぎるかな。
シュレディンガーさんには付けたのだから。ちゃんと付けてあげるべきだろうけど。

………パブロフ、とか？
…………いやいやいや、あんまりだ。　腐肉じゃあるまいし。

…いやまあ、シュレディンガーよりはまだマシだろうか。
元ネタを比べたら、パブロフの方が実験内容の聞こえがまだ温和だ。

程なく叢から熊位はあるんじゃないかと思う程の巨体が姿を見せる。
狼はこちらを睨みながら、静かに叢からこちらへ歩いて、数歩距離のあるところで腰を下ろした。


…正直、私はこの狼が苦手だ。
漫画の主人公や聖人じゃあるまいし、一度襲われた相手に苦手意識を持たない訳がない。

襲った理由が前の契約者の喋るハエの命令だったのも、見た目ほど荒々しい性格ではないというのも分かっているが、
そう簡単に克服できないのがトラウマだ。怖いものは怖い。

それに、怪我の治療の事もだ。
怪我部分の包帯を変えて薬を塗らなきゃいけないのだが…スプラッタ系が苦手な私には少々荷が重い。

腐肉に助手の仕事だと言われたからには、帰る為にやらなくちゃいけないとはいえ…

…そういえば、そもそも、腐肉はどうしてこの狼と契約したのだろう。
あれだけ研究に興味が無さそうにしてたのに、急な気がするし…
何より、自分の利益しか考えてなさそうなあの腐肉がこの狼を生かす為に契約をする、というのが想像になかった。

「実験データになりそうだから」。　確か腐肉はそう言ってた。
狼の延命が、腐肉にとって何か得な情報になるって事？

ふいに、あのファンシー熊のぬいぐるみの言葉が頭を過った。



背筋が寒くなるような嫌な気分になって、私は思考を放棄するように包帯へ手を伸ばす。
その途端、静かに餌を食べていた狼が突然顔を上げた。

思わず身を竦ませた私には目もくれず、狼は鼻をひくつかせ、どこか遠くを見ている。
そうかと思うと、突然巨体を起こして走り去ってしまったのだ。

その本人へびびっていた私が咄嗟に捕まえられるわけも無く。
見る見るうちに一匹で遠くへと走り去ってしまった狼の背中と辺りを見渡した。



どうしよう。

あまり詳しくは知らないが、あの狼も契約である程度動ける身体にはなってるとは聞いてる。
……けど、狼が大怪我をしてるのには変わりない。ちゃんとした治療も無しに治るわけが無い。


…焦った頭で考えようと、答えは一瞬だった。
……我ながら情けない事に、結局ここに助けを求めるしかないのだ。

　*　*　*

…歯の軋むような音がする。
あまりの苛立ちに、その音が自分が出した音だという事に気付くまで数秒掛かった。
俯いた視線の先に見えた自分の拳は、元より血色が悪かったが、
力を込め過ぎたせいか更に白く見える。

目の前の腐肉は、いつもと変わらぬのっぺり面のまま、何も言わない。

「異議なき時は沈黙をもって答えよ」。
一体何の映画か、小説の言葉だったか。それを思い返すような気分ではとてもじゃないが無かった。

黙る腐肉から踵を返して、私は城の方へ歩き出す。

ようやくかかった言葉は、いつも通りのぼそぼそ声。
ただ私を呼ぶ言葉だ。先程の問いの答えじゃない。

沸き立って止まらない苛立ちであのぬいぐるみを蹴り飛ばしたい気分になった。
蹴り飛ばす事も振り返ることも無く、私は無視して歩みを進めた。

私は、あの狼が苦手だ。
…その本当の理由が、今分かった気がした。

怖かったから。……狼自体が、だけじゃない。

私は、あの狼と自分の境遇を重ねてた。自分の行く末を見るようで、怖かったからだ。

　*　*　*