街から暫し外れて、舗装された道を避けて進むと周囲には人工物よりも木々の方が多くなっていく
そんな、人目につかないような位置に佇む掘っ立て小屋は、傍目からみれば本当に人が住んでいるのかも怪しいほどで

小さく深呼吸をして、扉を二度叩く。見た目以上に薄いその扉はノックをしただけで僅かに軋んだ音をあげた
暫く待っても返事は返ってこない。留守の可能性を考慮しながらも、もう一度扉を叩こうと右腕を振り上げた所で「入っています」と、中から透き通った高い声が聞こえてくる

被っていた帽子を脱ぎとると、それを軽く手で払ってから扉を引いて室内へと進んでいく

「この場合『入っています』は、返事としては適切ではありませんよ。フローライト」

一歩進んだ所で再び帽子を深くかぶり直し、前方をぐるりと見渡す

先ほどの声の主は部屋の中央で椅子に腰を掛けたままこちらの様子を伺っている。

「一人ですか」

「いいえ。はい。この場にいらっしゃるのは私と貴方になります」

「……彼女はどこへ？」

「それは私への質問でしょうか？」

「えぇ、そうなりますね」

「困ってしまいます」

知らないという事なのか、あるいは口止めされているのか……どちらにせよ答える事ができないという意味なのだろう

ふと、彼女の手元を見やると丁度半ばの部分で開かれたままの一冊の本が目に入った

「貴方が読書とは珍しい。何を読んでなさるので？」

座ったままの彼女の傍へ近づいて彼女が膝の上に持った本へと手を伸ばす。これまでに彼女が自発的に行動を起こすような事はなかった

「……読んでおけと言われましたので」

やはり、指示を受けていての行動だったのだ。開かれたページが完全に閉じてしまわぬよう親指を栞にして、ゆっくりとその本を持ち上げる。
私が読書中の本を横から奪い取る形になってしまったものの、彼女は表情一つ動かさず横に立つこちらの顔をじっと伺っている

「『吸血鬼』？」

その本のタイトルを声にして読み上げる。そのままパラパラと数ページ捲りながら散見する単語に目を通した所、どうにもその内容はよくある伝奇小説だった。しかし、なぜこんなものを？

「これを読んでおけと、彼女が？」

「はい」

「ふむ……」

果たしてこれは彼女なりに、フローライトへ道楽を与えようという配慮なのだろうか

「面白いですか」

「はい。いいえ。……まだ面白いという感情がよくわかりません。ですが、吸血鬼なるものを知りませんでしたから、知識が深まります」

「そうですか。しかしその小説は架空の物語なので吸血鬼の知識としてどこまで正しいものか、まぁ……」

他人との会話が苦手な私と、彼女の性格の関係上この二人ではこうした淡々とした雰囲気になってしまう
それでも嫌な顔一つ見せない目の前の少女とのやりとりは、両者にとって負担になる事も無く嫌いではなかった

「吸血鬼……ここや、幾つも存在すると言われる多様な世界において確かに実在はしているようですが」

話は聞いたことがある。直接立ち会った事があるわけではないものの人間社会に溶け込んで生きているものもいるらしい

彼女が読んでいたページを再び開きなおしてその膝の上へと戻して返す

「さて、あの人がいないのなら私はこれで」

「はい。お伝えする事があれば承りますけれど」

「いえ、大丈夫ですよ。それではまた」

踵を返して扉の方へ歩き出す。その途中でふと足を止めて

「あぁ、それと来客への対応に『入ってます』は間違いですよ」

「そうでしたか」

「誰に教わったのかは知りませんが……」

「私に何かを教えて下さるのはいつもあの方です」

「……だと思いました」

この少女ですこし遊んだつもりなのだろう。相も変わらず悪い人間である

「まずは相手の素性を窺うべきだと思います。信用たる相手と判断したならば扉を開けて、そうでなければ居ないフリをするべきです。貴方のような立場の方が一人の時は、特に」

わざわざ人目につかない場所へ住処を移した意味を考えれば慎重が過ぎるという事はないはずだから。そもそもを言えば、彼女を一人にするべきではないのだけれど

しかし現に彼女が一人きりとなっている今、私が見張りを立てておくという事も考えはしたがまさか不用意に放っておいているだけという事もないだろう。

「いやはや、無駄足でしたか。聞きたい事があったのですが」

一人小さく呟きながら、余計な心配をする必要はない筈だと解釈して、来た道を引き返した

木に、着物姿のモノが凭れ掛かっている。