その建物を抜けた頃には太陽は真上に登っており、平日ながら昼休みを満喫しようとする社会の人々で街は賑い返していた。
あちこちに点在する露店から醸し出る匂いや通りを歩く人々の雑音が街を一層賑やかす。
その様相はかつて過ごしていた地域では見受けられなかったもので、大都市としての風格をより感じられて。

「……」

建物と建物の隙間から僅かに見える裏路地に孤児の姿を見つける。
ここは治安の良い街と評判であるものの、どちらかといえば街の外れの方であるこの周辺ともなれば家を失くした少年少女や無法者らしき人々の姿も散見する。
貴族が多く暮らす中心地に近づけば警備員の数も次第に増え、"不良"と揶揄されるのであろう者達の姿を見ることはなくなっていくのだけれど。
段々と増えていく人混みに紛れて、不審な挙動をした人物をちらほらと見かける。恐らくスリ師という奴なのだろう……無意識のうちにスカートに取り付けられた衣嚢の中の金貨入れへとそっと手を添えてしまう。

すると、私が、後をついて歩いていた、つまり少し前を進んでいた銀髪の女性が不意にこちらへと振り返って。

「そろそろお腹が空いた頃かしら、心配性の小鳥ちゃん」

「……危機感は必要ですから。それと、その呼び方は止めてください」

少しだけ強めに言ってみたのだけれど、彼女は動じる事もなく微笑んでいたままで。

「あんまり気にしすぎても疲れるわよ。特に貴方は"眼が良い"のだから」

彼女に、覗きこむようにしてこちらの瞳を見つめられてしまう。もう子供ではないけれども、未だに他人と目をあわせるのはなんだか気恥ずかしくて、視線を横へと逸らしてしまう。

「気にしすぎなのはお互い様じゃないですか。そちらだって、時々細かい事に拘ります」

「貴方のはただの心配性でしょ。私のは経験則。いわば予測ね」

「……」

いまいち納得のし難い理屈に反論する気力も沸かなくて。思わず零れ出そうになる溜息を飲み込んで堪える事にした。

「予測といえば――」

「はい」

「今回は良い商売だったわね」

「……は」

突然の、前後の流れとは全く関連性の感じられない言葉に少しだけ首が傾いたけれど、彼女はそんな事を気にする様子はなく。

「決して悪く無いわよね。こんなものでも膨大な価値がつくのだから」

そう言って懐から一つの、傷一つないように見える程綺麗な水晶を取り出して。

先ほどまで、私達はこの水晶を他人に譲るための取引を行っていた。それも大粒の宝石にさえも劣らない、一般の人間には到底手がでないような金額で。
高額品の取引には不釣合いな、少しだけ汚い建物で、何故かひと目もつかぬように。……むしろ、貴重な品物だからこそ注意を払っての事だったのかもしれないのだけれど。

それはただの水晶でも、宝石でも、ましてや子供の玩具でもなく……いや、ただしくは少し前までは『そうではなかったもの』。

「どうして今更そんな物に異常な価値をつけて集めたがるのでしょうか……やはり私には貴族様の考える事はわかりません」

「あら、随分な物言いね。貴方って貴族が嫌い？」

「好きにはなれません」

「そう、私も一応貴族なのだけれど」

そんな事はとうに知っているし、彼女もその事を理解している。だからこそ敢えて喜ばれる事はないような言葉を選んだ筈なのに、彼女は相変わらずクスクスと笑みを浮かべている。

「本来ならば通常の金銭では到底取引の成立しないもの。《協会》の人間にしか扱えない代物。不思議な力の篭った玉」

彼女は、その玉に見惚れるようにしながら小さく呟く。……そう、少し前まで私達には馴染みの深かった道具。未知のマジックアイテム。

「……今は無用の長物ですけれどね。協会が閉鎖してからその用途は失われてしまった」

「……そうかもね」

彼女は僅かに冷笑を浮かべながら手に持っていたそれを頭上に放り投げると、左腕を大きく横に振るようにして玉を再び掴み取る。

「蓋然視って知ってる？」

「……いいえ」

「オカルトよ。一部の界隈で流行りのね」

「オカルト……ですか」

「意味はそのまま。様々な可能性を前もって、或いは後から知る事ができる一種の超能力らしいわよ」

「未来予知という事ですか」

「当たらずとも遠からずね。見たそのままになるというよりは、行動によって起こりうる結果の可能性を未来過去問わず知る事ができるとか」

「つまり、結局どうなるかはわからない」

「端的に言えばね？でも、いくらでも変わりようがあるって事よ。望まない結果だけ見せられて待つよりは夢があるでしょ」

なんとなく、この流れで話の筋がわかってきたような気がした。

「つまり、そのオカルトが貴族様の間で真しやかに噂されていて、その霊玉が必要とされている。そしてこれには多分……」

昔彼女から聞いた話を思い出す。私は、こういった魔術の類に精通している人物を話で一人知っていた。時間遡行や不老不死の研究者。つまるところ……。

「多分、ホーラ・ハーヴェイが関わっている」

「ハズレ」

即答。

「前半は正解よ。だけどこの件にホーラ・ハーヴェイは関係ないわ」

「関係ない……だとすれば、彼と同じようにとんでもない魔術を生み出せる人物が、他にも？」

「ええ。それに貴方もよく知っている筈よ」

「……え」

急ぎ、自身の記憶を漁る。けれども、そもそも、一般的に魔術師と呼ばれるような、魔術に精通している知人そのものが少ない。いるとすれば目の前の彼女くらいか……

「……あ……」

例えば。目の前の彼女が誠実な人物であったなら。
例えば。目の前の彼女が倫理と常識を携えた人物であったなら。
だけど、彼女はそうではないから。だから、だからこそと思えば、無意識に巡ってしまった無礼な思考も決して私のみの罪ではないのだと思えた。

「正解」

私が予想を述べるよりも速く、彼女の答えがあった。その理由を考えることはやめよう、きっと私はまた情けない表情をしているに違いないから。

「……で、それは本当なんですか？」

「知らないわよ。実現させたわけじゃあないんだから」

「な、なんということを……」

「お説教はなし。取引には貴方にも立ち会ってもらったのだからもう共犯でしょ？」

「ええー……」

こうなってしまえば非常識な彼女相手だからこそ、新たな心配が次々に浮かび上がってくる。彼女がどうやってそんな噂を流行らせたのか……また何かよくない事をやらかしているのではないかとか。

「……貴方が言う程変わった事はしていないけれど？」

「まだ何も言っていません」

「簡単な話ね。私達の家柄っていうのはこれで結構名が通っているのよ。それを利用させて貰っただけ」

「……ん」

――"名が通っている"？　その言葉で、今まで気にも留めていなかったある事を脳裏に過らせる。

「そういえば、私は未だにあなた達姉弟の……姓を聞いていません」

「あらやだ、変な所で鋭いのね」

彼女達姉弟の故郷は今でこそ東洋に置かれているがその出身はまた別の地で、もっと西の方だったと聞く。

今現在彼女とその弟が姓の一部として名乗っている"鳳"は東洋向けの、所謂当て字なのよとは本人談。元々北西の地域においては貴族間において所持領土を示す前置詞のような役割を持つらしい。

つまり、彼女が表向き姓として扱っているそれは《リエン領の主》という意味合いを持つ一部分。家柄を示す姓は他にある可能性が高い。だとすれば、彼女の姓は私達の知るものよりもっと長いという事になるはずなのだ。

「そうね。あの子も、私も誰にも教えないもの。その点においては意識がハッキリと共有されているわね」

「……黙っている？何故？」

「そんな事、気にしないの」

「いえ、気になります」

「気にしないで」

「……気になります」

「……気にしない」

「……気になりますが」

「……」

黙ってしまった。……こうなるとこれ以上問い詰めて無駄だと思う。
彼女がこんな些末事にどうしてこうまで意固地になるのかはわからないが、今はそんな事問題ではないと思うようにしよう。

「しかし、親御さんの名を勝手に使って悪行を働くのは些か関心できませんよ」

何の気のない私の忠告に「そんなもの別にいいのよ」と、彼女は笑顔ではなく少しだけ目を細めて。――それは、いつだって心の篭もらない笑顔を浮かべて仮面を作るはずの彼女としては、とても珍しい反応だった。

「ま、それに相手にも損はさせてないわよ。あれは実際すごい代物なんだから、正しく扱えれば色々できる筈よ。色々ね」

――だからこれは、私の分。そう呟いて彼女は左手に握っていた玉を仕舞いこむ。

「もしかして、ですけれど」

「何かしら？」

「協会に来たのは、それを使って稼ぐため……とかじゃありませんよね」

「金稼ぎなんてのは多く見積もっても協会に来た目的の2割くらいよ。残り4割は親離れ。もう4割は玉集め。そして売ったのは不要な分」

「……信じがたいですね」

「まったくもう、心配性なのね。私の可愛い小鳥ちゃんは」

「はぁー……」

やっぱり溜息を吐いてしまう。今日こそは我慢しようと決めていたのに、この人といるといつもそうだから。

「あのですね。その呼び方は止めてくださいませんか」

不機嫌そうな私の様子に彼女は今度こそいつも通りに、ふふ、と楽しそうに微笑んで。

「わかったわ、小鳥ちゃん」