「これから小さな屋敷の最深部へ向かう、急いで支度をしろ。」

一段と冷え込む早朝のことだった。
朝食の準備をしようとして水を汲んでいた時に、突如こう言われたのだ。
僕は驚きのあまり変な声を出す。

「ちょっと待ってください、もう少し先じゃなかったんですか！？」
「状況が変わった。3人分の拠点は作っておいたから2組は単独行動できるな。」
「単独行動！？正気ですか我が君！？」

最深部といえば、試練が与えられるらしいと名高い場所だ。
最初の部隊が試練を超えてからそう遠くはなく、
単独で挑んで勝利を手にした人は数人しかいない。いずれも武勇誉れ高い人達だ。

「まだ人狩りに襲撃されてから傷の癒えないアムルィに単独は無理だろう。
　彼女を守るためにもバケさんに付いていってもらう。後は問題ないな。」
「大有りですよ！僕達だけで試練に挑むつもりですか！？」

元々は前衛と中衛以降で組んで挑む予定だった。
我が君は狙撃手だ、攻撃を受けるかもしれない場所では成果が安定しないはず。
何度か考え直すように言ってみたが、
どうやら僕以外は全員了承済みらしく全く聞き入れられる様子はない。

「なんでそんなに結果を急ぐんですか？金ですか？」
「それを言ったら大体の話が終わってしまうんだがな。」

人狩りに襲われて収入が減ったとは聞いていたけれども、
無理をしてまで進まねばならない道なのだろうか。
立ちはばかる戦乙女はエンブリオであるという話だから、いち早く手に入れたいのは分かるけど。

「……そろそろ自分の手札が何者であるか見極めたいのだよ。」

少し間を置いて、我が君がぽつりとこぼした。

「自分の手札、ですか？」
「数多くの技を鍛錬するために、普段は全力を出せないからな。
　これくらい追い込まねば機会もあるまい。」
「話をはぐらかさないでください。手札って何ですか？」

我が君が話を逸らす時は、僕が大体図星を突いている時だ。
これ以上追及されたくないからミスリードしようとする。
相手はしばし沈黙した後、大きく息を吐いた。

「私と同じ名を持つエンブリオは知ってるな？」
「そりゃあ、必要な時に召喚しますからね……元々はドライアドでしたっけ。」
「そう、私の名前で反応するエンブリオだ。
　あれはこの先、私達の切り札になる可能性がある。」

切り札の意味を問おうと思ったが、我が君の言葉が先に出る方が早かった。

「私もエンブリオについてはこの世界に着いてから調べ始めたから、
　まだはっきりした事は言えんのだ。
　今日は時間もないし、とりあえずこれで納得してくれないか。」

我が君が最近、夜遅くまでエンブリオの資料をめくっていたのは知っている。
帝王イカとの戦いで仮の名前が判明した後、
言われるがままにその名前でエンブリオを召喚していた。

「……分かりました。
　エンブリオの実力を見たいなら、召喚したエンブリオを解放するという手があります。
　制御不能になってエンブリオが暴走するので賭けではありますけど。」
「それは、『召喚者』の支配から解放するという意味か？」
「そうですね、契約したエンブリオを戦場で操るのは『召喚者』の役目ですから。」

僕の言葉を聞いて、我が君は何か考えているようだった。
少し間を置いて、深く頷く。

「いいだろう、その作戦で行こう。」
「今回の我が君はいい感じに狂っていますね。勝算はあるんですか？」

会話をしているとだんだん落ち着いてくるものだ。
僕の皮肉に、目の前の女性は表情を緩めた。

「勿論だとも。この戦い、勝たなければ私達に先はないからな。」

狂っている、僕も彼女も。
そんな事を考えながら、僕の口からは乾いた笑いが漏れていた。


◇◇◇


複雑な通路で多少迷ったが、目的の部屋へは早い段階で着くことができた。
この扉の先に試練があると詳しく描き込みされた、手元の図面にも示してある。

直前になっても我が君の表情は変わらない。無言のまま大きな扉を開く。
中にあるのは大きな寝台と執事のような二人の人間だった。
手に持った槍を構え、こちらを威嚇してくる。

「どうします我が君？2人居るんですけど……なぜ僕達単独で来たんでしょうね……。」

ただならぬ雰囲気で睨んでくる相手を見ると愚痴を吐きたくもなる。
我が君は数歩詰めた後、担いでいた銃を構えた。

「……やめなさい、ロメオ、ジュリエッタ。」

緊迫した空気を通り抜けたのは、透き通った少女の声だった。
僕は寝台の上に少女が横たわっていた事実に驚く。
オリヴィアと呼ばれた姫は、うっすら開けた瞳をこちらに向けた。

「彼女は争う相手ではありません……見定めるべき、相手です。」

その言葉が流れた瞬間、姫との間に純白の戦乙女が舞い降りる。
戦乙女の試練とは聞いていたが、唐突に現れたので体が強張ってしまった。

「小僧、何をしている。臨戦態勢だ。」

我が君に動揺は見られない、流石は職業軍人といった所か。この人は大体いつもそうだけど。
声をかけられて慌てて僕はエンブリオを戦場に召喚した。

今回は戦場で初めてエンブリオの解放を行う。
こんな試練の場で強力なエンブリオを召喚し、その制御を外してしまう試みだ。
我が君は本当に頭がおかしい。

「我が『召喚者』の名において命ずる。招かれし者　コトブキを戦場において解放する。」

手の甲から光が放たれた。
これでもう僕には、このエンブリオを支配することは出来ない。

「我が『干渉者』の名において命ずる。
　招かれし者　コトブキよ。剣樹なる陣を敷き、その全てを拒絶せよ。」

我が君の手の甲からも光が迸る。僕は目を疑った。
どうして『召喚者』によって支配されていたはずのエンブリオが、
『干渉者』の命令に反応するのだろうか。
エンブリオも『干渉者』も、名目上は『召喚者』の支配下に置かれている。
立場が等価という事になっている『干渉者』がエンブリオに命令できるはずはない。

「――確定シタ勝利ヲ待ツ、ソンナ余裕ハ私ニハナイノ――。」

後方から少女の声が聞こえる。これは、エンブリオの声なのだろうか。
予想外だったのか、我が君の握る銃がかすかに震えていた。

「……なぜ、私の心を……？！」
「では見せて頂きましょう……力を持つべきか、否かを――。」

オリヴィアの声に従い、戦乙女は槍を向ける。


「私は主の護り手にして随意なる奉仕者。
　侵食する者には拒絶の祝砲を　この身命にかけて高らかに注がん。」


静まり返った部屋の中に、一発の空砲が鳴り響く。
それが開始の合図であるかの如く、両者が動き出し始めた。

◇◇

戦乙女の動きは早い、あっという間に我が君が光の束に絡め取られる。
前から聞いてて分かってはいたけど、光の攻撃しか出来ないのはこちらにはきつい。
だが目の前の女性は冷静を保ったままだ。

我が君の言葉に従って、足元に蔦の円陣が組まれる。
ささやかながらの防御陣といった所だろうか。

戦乙女の猛攻を止めるには、頼りないけど。そう僕が考えていた時だった。

「侵食者には拒絶の祝砲を。
　シュプレヒコールの代わりに、この祝砲を何度でも贈ろう。」

槍を突きつけてきたヴァルキリーに対し、空砲の鳴る音が3発。
遥か空の上にある魔法陣へ向かって発射されたように見えた。

「……っ！？」

次の刹那、僕の目の前に居たのは
無防備にごく細い枝のようなもので貫かれた戦乙女の姿だった。
背面と脇腹、合計3か所。枝はどこから来たのか把握できていない。

「意識の外から来るものを探しても無駄よ？」

動揺するヴァルキリーに対して、少女は抑揚のない声を投げる。
衝撃で膝を付きそうになっている姿を見るに、そうとう痛手のようだ。

「これか……何の影響かは知らないが、大幅に予測を上回るな。」

我が君がぽつりとこぼした。若干こちらも驚きを隠せていない。
だが流石は職業軍人というべきか、やる事を冷静に対処する。

ヴァルキリーが我が君に一撃浴びせるたびに、
後ろのエンブリオから『拒絶の祝砲』が贈られていった。
我が君のやる事は本当に、防御を固めて威嚇射撃をするだけ。
把握できない場所から狙撃されて、相手はどんどん消耗してゆく。

僕等は何時の間に、こんな化物を育てていたのだろうか。
そういえばこの『随意なる奉仕者』とアルラウネは、
『勝利の果実』を分ける儀式に喚ばなくてもネクターを補給していたっけ。
アルラウネは途中で成長が止まってしまったけれども。

自分で制御できないエンブリオに悩んだ時期もあったけど、
『好きなようにやらせろ』と僕をなだめていたのは我が君だった。


――我が君、あなたはこれを見越していたんですか？


「侵食者の闘志が消滅、警戒態勢を解きます。」

僕が思考を巡らせている所に、少女の言葉が降ってくる。
気づけば目の前の戦乙女は、満足に立てない状態だった。
少し前に立つ我が君は、相手の状況を確認し引き金から手を放したのだった。

◇◇

「……素晴らしい暴力ですね。このくらいでないと。」

少し驚いた顔で後方の姫が口を開く。
『素晴らしい暴力』という言葉は言い得て妙だなと感じた。

「私は前王の娘です。」

オリヴィア姫の言葉に、僕はびくりと肩を震わせる。
前王の娘……あの頂点に立つ国王の娘だった人が、目の前にいるのか！？
突然の告白にショックを隠せない。

「前王は、王の座を新王に譲ったあと、戻ってきていません。
　ついでで良いのです、少し探していただけると助かります。」
「新王というのが、パラダイスと呼ばれている現国王のことかね？」

返事はない、何か答えられない事情でもあるのだろうか。
我が君も元から返答など期待してはいないらしく、そのまま軽く息を吐いた。

「その前王、今のところ心当たりがなくもない。
　ただ全く遠い場所だし、本当にそちらの父君とは限らないが。」
「ええ、それでも。……この子……ヴァルキリーは、必要なら力を貸します。」

オリヴィア姫は少し儚げな顔をして、向き直る。

「ロメオ、ジュリエッタ。転移陣の場所を教えてあげて。」

2人の執事は言われた通り、僕達の横を通り抜けて手招きをしていた。
ただヴァルキリーと契約する予定で来ているので、
契約の儀式が終わるまでは、来いと言われても困る。

「あの2人、どうします？」
「放っておけ、こちらの契約が先だ。」

そう言うだろうと思って、すでに契約の準備は始めている。
僕は、ずっと心に溜めていた事を聞くことにした。

「我が君、これが我が君の『切り札』ですか？」
「ああ、自分を信じて本当に良かった。
　近い将来、彼女は必ず私達の切り札になる。そんな未来は来ない方がいいのだがな。」

どこか遠くを見ながら、我が君は答える。
この時はまだ、僕は我が君の言葉の意味を理解することができなかった。


To Be Continued......