(※今回の日記は一揆での物語とは関係がありません)

――誰もいない廊下に、
足音が響く。
静まりかえった廊下は、
窓から月光が照らすも、
電気の無い深き闇を完全に照らしきれるものではなく、
只の足音ですら不気味に聞こえる。
何時の世も、
電気が通った今でさえも、
夜の学校というものは奇妙な恐ろしさを内包している。
世の中に怖い話が尽きぬように、
形を変え、姿を変え、
それでも尚、
恐怖は有り続けるのを象徴するかの如く。
それの根源は、
人の魂であり、
人の感情。
無論、それに当てはまらない怪異も存在するが、
大体においてその枠組みから外れる事はない。
強き想い、強き感情が力を左右するがゆえに、
忘れ去られたものは力を失い、
そうでないものは力を増していくが故に、
変わりないとはいっても、
その内訳はどんどんと変容していく。
力あるものが、力無き者にとって代わる事で。
もちろん例外もあるが。
「――。」
そして、いつの世になっても変わらない夜の学校という空間は、
常に怪異が隠れて蔓延る。
数は大体七である事が多く、
怪異を引きつける私がいれば、
それだけで活性化する事が多い。
だが――
「(この学校ではやはり……
　 何かが起こる気配がないわね……)」
退魔に関わる人間がいるか、
それとも何か大きな存在が潜んでいるのか、
この夜の学校は静寂に過ぎる。
だが、
肌に感じる空気は決して清浄なものではなく、
それとは対を成すもの。
不気味な空気であるそれは、
それが後者である事を切実に物語っている。
心当たりがない訳ではない。
だが――
「(対処出来るのかしらね……
　 これは。)」
それ故に、珍しく私は弱気になる。
――もしも怪異の類であるならばよし、
退魔に関わる者でも恐ろしくはない。
だが、
それが想像どおりであるならば、
今まで得た情報通りであるならば、
私にとっては最悪の相手、である。
「(死なない癖に怖いだなんて――
　 今だ、あの呪縛からは逃れられていない証拠、か……
　 仕方ないのだけどね。)」
――思い返す。
この学校には何が存在するのか。
そして何故ここに来たのかを。

――平穏無事な生活。
とまではいかないまでも、
私の学園生活というものは、
基本的には何事もなく進み、終わっていく。
普通の学生として過ごす上において、
やる事は変わりなく、
成績に関しても何度も学んだ事なのだから、
注意力不足でもない限り、
間違える事も無い。
忘れないようつつがなく勉強し直すだけなのだから。
唯一、色々厄介な事が付きまとう、
人付き合いに集中しこなしていく。
長続きしない縁なのは分かってはいるが、
それでも大切な事であるのに変わりはない。
私が人である為に必要な事であり、
何かの縁が、
時によって私にプラスに働く事もある。
無論マイナスに働く事――
デメリットだって大いにある。
それでもメリットが勝ると確信できるくらいには。
だが、
今回のこの学校には一つ変わっている事があった。
それは……
「■■■■様を見たんだって。」
「――やっぱり、あれは■■■■様の仕業なの？」
「そうみたい。
　……だから、
　あんまりあの事については話しちゃ駄目よ。」
「うん。
　分かった。
　それなら仕方ないよね。」
■■■■様と呼ばれる存在。
名前すら呼んではいけない存在らしく、
名前を口に出すだけで呪われるとまで言われている。
実際に、その名前を知って呼んでしまったが故に、
何名か死に、
最近自殺したといわれる子も、
その一人らしい。
かの名前はこの学校の何処かにそれが記された書籍があるとだけいわれ、
何処にあるのか、
それ以前に本当にあるのかすら分からないが、
この学校の誰しもが知っているこの学校にある怖い話の一つである。
一つであるとはいっても、
不思議な事にこの学校には怖い話というのが、
■■■■様についてしか存在しない。
■■■■様が何なのかは分からない。
しかし――
(この学校に伝わる怪異の一つで、
他の存在と混同されているのかしらね……)
■■■■様にまつわる話は多岐に渡り、
恐らくはその名前を起点として、
複数の怪異が起こしている事なのだろう。
そう思って、
適当に話を聞き流しながら、
少し興味がわいたので、
関わってみようかと思った。
幸いというか不幸というか、
私はこの手の物を嫌でも引き寄せる。
故に、
自分から関わろうとした場合、
１００回やれば１００回確実に巻き込まれる。
厄介といえば厄介な話、
とはいえ……
私は死ぬ事はないし、
それが本当に霊や怪異によるものであれば、
大体において解決できる力がある以上、
特に損をするとしても、
好奇心を出した猫である私と、
私が後片付けをできない場合、
後片付けをする人くらいなので問題はない。
そして――

今に至る訳であるが……
怪異の欠片も感じられず、
不気味な空気だけは感じられ、
怪異は確かに起きている事から感じられるのは、
■■■■様とは、
一つの存在である事。
そして、力の質、具合から考えると、
それは――
“神”と呼ばれるそれに違いない。
それも恐らく――
力はくらぶべくもないが、
私から全てを奪い、
私を呪った神に近い存在の。
……あの神の呪いを解いたりできるとは思えないが、
会話が成立するとも思えず、
厄介だし、対処できるとは思えない以上――
「完全に貧乏くじね。
　好奇心の代償……としては妥当過ぎるけれど。」
ため息と共に内心が思わず声に出た。
このまま引き返す事も出来るのだろうが、
自分の足は、
それがいると思われる中心へと足を進めていた。
相手が逃すつもりが無いのにも加えて、
私の好奇心も致命的なものだと今更ながらに告げるように。
止まらない、
止めれれない。
不穏な空気の渦巻く中心へとどんどんと私の歩みは進んで行き……
“それ”を見つけた。
生徒会室。
不思議と鍵はかかっていなかった。
自然と目が逝った書棚の片隅に古ぼけた薄い本がある。
手を伸ばし開いてみる。
其処に書かれていたのは古い逸話。
この地方の神様のお話。
名前を――不知不覚。
誰も知らず、
誰も覚えていない名も無き神。
知らないうちに終わっていた、
知らないうちに怪我をしていた。
人の無意識が神格化した存在であり、
無意識であるが故にその存在すらも忘れ去られた……
と本来はなるはずだったのだろう。
だが……
それは無意識の神格化などではなく、
それを引き起こす似たような超越的存在、“神”だったのだろう。
それ故に誰しる事なく今も存在し、
名前すら知られざる神として此処にある。
知られたり覚られたりした時点で、
その存在は地に落ちる。
それ故、
“神”は知ったものを呪い、
死、あるいは死に類するものを与える事で、
その自己性を保ち続ける。
そして、私はそれを知ってしまった故に――
チリッと首筋に悪寒らしきものがはしる。
思わずその場を飛び退くと、
不意に私の首があった位置に何かが通り過ぎた。
目を凝らし周囲を見ると、
淡く月の光と夜の闇に溶けるように、
されど薄らと何か大きな不可解で不気味な存在がそこにあった。
どうやら、それの腕が私の首目がけて薙ぎ払われたらしい。
禍々しいそれの腕をみると、
もし直撃していたら首の骨を折られていたのではないか、
と、そう思えた。
確証はない、だが――
「(人を即死させるだけの力を秘めている、
　 それだけの圧迫感と力は全身から放たれているから明らかね。
　 ――あの存在よりははるかに弱い。
　 どうにかする事は不可能ではない。
　 だけど――)」
確信は出来る。
己の力で勝てるであろうことも。
だが、体の震えが止まらない。
上手く集中が出来ない。
あの時の恐怖が拭いきれない。
別の存在だと分かっていても、
それでも……
「(私は此処まで弱く、
　 あれは……
　 私の心を苛んでいたのね……)」
私の怨みや憎しみといったものは、
それに及ばぬ存在に対してすら身動きが取れず、
震える程に弱いものだと言っているようだった。
怒りですら及ばない。
それどころか、
どうせ死なないのだから、
殺され続けてやればいい。
何時もの事を、
また繰り返すだけ。
そんな事すら脳裏に浮かぶ。
「フッ……フフフフ……」
嗚呼、おかしい。
なんて私は滑稽なのか。
思わず笑いが漏れ出る。
その様子が不可解だったのだろうか？
それともただ、
獲物にトドメを刺す為に力を込めただけか、
いずれにせよ……
“神”の動きが一瞬止まった。
抗うか、
それともこのまま震えているのか。
私は……
両手を広げた。
好きにするがいいとでもいうがごとく。
否。
実際、私はそう告げたのだ。
抗うには動けない。
だが、震え続けているのではダメ。
ならば……
運命を受け入れてしまえ。
死を受け入れて、恐怖を駆逐しろ。
と。
そして、“神”の手が振り下ろされる。
私に死を与える為に。
私はその手をしっかりと見続け――
心に一つの言葉を思い浮かべつづけた。
「(――ただで死んであげるのは流儀じゃない。
　 道連れにさせてもらう。
　 貴方にとっては大したもの無き者達が集まれば……
　十分な脅威になる事を教えてあげる。)」
そんな声にひかれるように霊達が群がってくる。
“神”の恐怖などものともせずに私目がけて。
それは“神”すらも巻き込んで。
振り下ろされたその手は私の頭を切り裂いて、
そのまま振り抜かれる。
だが、まとわりついた霊達は“神”の身体を蝕んでいく。
それはまるで砂糖の山に群がる蟻の如く。
払えども、
振りほどけども、
尚も群がる無数の群れに“神”は動揺する。
取るに足らない存在が、
ここまで己に害をなすなどありえなかったのだから。
そして。
私はゆらりと立ち上がる。
真っ二つにされたはずの私は、
無傷で立って“神”を指さす。
決して真っ二つになったのが夢ではないのは、
辺りの血と、
真っ二つに裂かれたセーラー服が証明している。
ただ、私は死なない。
そう、呪われている。
そして、その呪いをどうにかする力は“神”にはない。
だから、こうなった。
それだけの話。
そして――
「(震えは消えた。
　 あれをどうにかできる力は無い。
　 ならば……勝ちも同然。
　 本当に情けない。
　 あの程度に私は怯えていたのね。
　 ただ、似通った存在だというだけで。
　 でも、ありがとう。
　 お蔭で乗り越えれたし、それに――)
　己の慢心さ、傲慢さ……
　それを自覚出来たわ。
　ありがとう。
　そして――さようなら。」
静かに背を向け、振り上げた手を地へと降ろす。
それに同調するように霊達はより強く、
より激しく……
より多く“神”を蝕む。
蝕まれた“神”は抗うも、
抗いきれるものではなく、
屈し、崩れ落ち、崩壊し――
――今宵、“神”は地に落ちて、消え失せた。
それが一時的な事であるにしろ、
確かに“神”は倒れ、
魅月は勝利した。
勝利とはいえないほど無様であったとしても、結果だけをみれば。

「でさぁ……」
「え、本当に！？」
その日から、■■■■様の話は聞かなくなった。
恐らくあの話自体もまた、
不知不覚の存在が、
知らず知らずのうちに、
気づかないうちに干渉し、
言わせていたのかもしれない。
力の弱い“神”とはいえ、
恐ろしいもの。
恐らくあれは最も弱い“神”なのだろうと思うと、
ため息が出る。
私を呪い、
私が呪うあの“神”へ一歩近づいたのかもしれないが、
その道筋の遠さを改めて実感させられた。
更に言えば……
「(二度会える保障すらないのよね……)」
という事なので、
尚更に遠い。
遠すぎる。
されど、そんな私が最も近いというのもなんという皮肉だろうか。
この身はかの存在に呪われているが故に。
「(いっそ気が狂ってしまえば楽なのだけどね……
　 ……それは負けを認めるに等しいし、
　 私らしくないわ。
　 此処まで来て……ね)」
だからこそ、それでも折れず前を向くしかない。
その先に何があるか分からないし、
それが、自らの死に通じる道だと信ずるが故に――

……思わず、ため息を漏らす。
そう。
それが今では、
前向きに生きる為だけに生きている。
あの時の気持ちは本当で今も抱えているが、
それ以上に今を楽しく生きる事が大切なのを知ったから。
だが、
今の私をあの時の私が見たらどう思うのか。
きっと、どれほど無様に映るのだろう。
けれど、それは無様なのではなく、
かつての私が無様だったのを私は知っている。
そして、かつての私の考えを本当に捨ててしまったら、
それはそれで無様である事を。
――結局の所、
私は全てを抱えて、
それでもなお笑って前を向いて進んでいく事しか出来ないし、
それ以上は必要ない。
全く、それだけの事に気付くのに此処までかかるなんて――
「私もまだまだ未熟という事ね。」

お言葉に乗って、抗ってしまったようです。葛築君と、魅月さんから「あなた」と呼び掛けられた存在は。

　　　　　　　細い枝を編む様により合わせ、樹皮を薄く剥いで磨きあげる