クァールは危険な生物であると言われている。黒豹の見た目から想像される通り、彼らは生まれついての狩人であり猫たちが持つ俊敏性、残忍さと狡猾さ、そして何よりも冷酷な好奇心を持ち合わせている。そしてクァールが単なる猫科の巨大な獣たちと大きく異なるのはその知性に置いてだ。人語を理解し、複雑な機械さえも操作する。人間以上の知性を持つ巨大な猫がその能力を駆使して相手を玩びながら無慈悲に追いつめる狩りを想像してほしい。しかも、その獲物は人間を含む大半の動物なのだ。
　クァールが唯一猫科の獣と異なる点として、触角を持っていることが挙げられる。耳は細長く引き延ばしたように伸びており、集音器官としての本来の役割以外にも彼らにとっての“ヒゲ”の機能を持っている。ある程度自由に動かせるそれは目や耳が役に立たないような場面でも様々な情報を彼らに与えるのだ。もう一組の触角は肩から生えており、彼らの体長と同じほどにもなる長いものだ。先が木の葉のように平たい円状に広がったそれは耳のそれよりもさらに自在に動く。先の部分は器用に動き、二つ折りにするようにしてつかむことはもちろん、吸盤のように吸い付くことが出来るため様々な作業をすることが出来る。それはいわば彼らの手であり、高い知性から得られる処理能力を現実に反映するための重要な器官なのだ。


　実際、アイヴォリーもこの黒豹に似た静かな狩人を見たことはない。クァールは元々が希少な種である上、その高い知性のために人と相容れないことがほとんどだ。それが猫科独特の孤独を好む性質を持っている、となれば尚更だろう。遠くの国で密林からこの貴重な生物を見世物にするために捕獲してきた探検隊が、帰還途中に脱走したそれに殲滅されたらしい、というような眉唾物の話でしか聞いたことがなかった。

「いたぞ……。」

　静かに傍らの妖精に声をかける。彼らの視線の先には、確かに探し求めていた黒い大きな影があった。
　隠身の技術でいえば非常に高い域にあるアイヴォリーにとっても、この猫科の動物には及ぶべくもない。所詮アイヴォリーは人間であり生まれついての暗殺者である彼らと比較する方が間違っている。それを見つけるとなれば、偶然遭遇すること祈るか多少無理をする以外に方法はなかった。
　結論をいえば、彼らはクァールを“釣る”ことにした。エンブリオであるとはいっても、契約を交わす以前の彼らは生来の行動に基づいて行動している。クァールは猫科の動物の常として自らが狩ったばかりの獲物しか口にしない。探索者という厄介なそれを除けば、今この城の庭で彼らが狩猟出来るものは限られている。同じように存在するエンブリオたちだ。
　アイヴォリーが仕掛けた撒き餌に釣られて現れたエンブリオはバイコーンとドレイクだった。不純の象徴といわれる山羊のような二本の角を持った灰色の馬と腐肉を食らう有翼の爬虫類。適当に手当たり次第餌になりそうなものを設置したのだが、その中でも傷んだ何かに反応したのだろう。小さな円形の広場に、警戒するようにあちらこちらを窺いながらやってきたエンブリオたちを見つめる者がいた。
　ちょうどアイヴォリーたちが隠れている向かい側、生垣の向こうに薄暗い中でも光を反射する独特の眼が星のように光っている。幸運なことに、まだその黒い影はこちらに気付いている様子はない。その目は広場にやってきた獲物を静かに追っている。僅かに生垣から突き出しているのは耳の先だろう。それで風の流れを感じ、飛びかかるのに最適の機会を窺っているのだ。

「バインドボイスに気を付けろ。」

　囁き声でアイヴォリーがいう。クァールは衝撃を伴う咆哮、一般的にバインドボイスと呼ばれるそれを使ったという記録がある。ここのエンブリオであるそれがどうかは分からないが、動きを完全に止められるそれを食らえば、俊敏な猫科の動物の前では無防備な獲物以下の扱いを受けることだろう。

「イイか、ヤツが飛び出したら仕掛けるぞ？」

　小声でアイヴォリーがそう囁いたときだった。ぴくり、と茂みから突き出していた触角が動いた。

「ッ！！」

　こちらも動物的な勘なのか、それだけで何が起こりつつあるのか、アイヴォリーが察した。弾けるように生垣から飛び出し、メイリーに声を張り上げる。

「逃げられるッ！
　ヤるぞ！」

　生垣の向こうで二つの眼が退く。逃がしてしまえば再び遭遇するのは難しい。アイヴォリーは広場の中央に集まっている“餌”を完全に無視してこの僅かな機会に一直線に走り込んだ。