頭上を覆う影に足を止め、思わず天を仰ぐ。沢山の鳥が群れを成して何処かへと飛び去っていく。

目を細めてその姿を眺めてみる。見たこともない鳥……この世界特有の種だろうか？

鳥の中には集団行動が本能に焼き付いている種がいる。意思の伝達は必要としない。

一匹が飛び立てばその後を追うように飛び立ち、一匹が曲がれば合わせるようにして曲がる。

「私達のようだと思いませんか」

一人だと解っていて、ぽつりと呟く。寂しさからくるものなのか、或いは鳥達に言葉でも通じると思っているのか、兎も角、そんな行動一つに私も年をとったものだなどと思ったりもする。

気が付けば、私や『彼女達』も皆、多くを失ってきたのだろう。

失ったものはその形を一つの穴として、心という器に残し続ける。穴だらけになってしまった器はいつか崩れて消える。

そうなってしまわないように、空いた穴を埋めれるように、同じ形の、代わりの物を探し求めて生きてきた。

――もしもそれが、大きく歪な形の穴だったら？

どこからか子供だった頃の、私自身の声が聞こえてくる。かつての記憶を手繰りながら、いつか答えてくれた"彼女"の言葉を思い出す。

『だったら私に着いてきなさい。向かうべき道を教えてあげるわよ』

私達が鳥の群れならば、彼女はその先陣を走る一匹なのだろう。意味も理解しないまま、ただ合わせるように飛んで来た。

今は違う。探し物の場所を自分自身の目で見据えていられる。その道筋さえも、彼女が用意していてくれたものだとしても。

「……自分勝手な人です」

独り言の多さに、自嘲するように小さくほくそ笑む。再び歩き出しながら、ずっと昔の彼女の言葉を反芻する。

『振り返れば、後悔ばかりの一生だった……繰り返せば、失くしてばかりの―――』

-
--
-----

「人間って不器用な生き物よね」

銀髪の女性が呟く。先程から手元にある一冊の本に何かを書き込んでいる。

テーブルを挟んだ向かいで、陽光を反射して輝いているようにも見える彼女の髪は、真っ黒な自分自身のそれとは違って美しく見える。

「そうですね」

彼女は時々意味の解らない事を言い出す癖がある。流すように適当な返事をしておこう。

「……流すように適当な返事をしておこう」

「そんな事思っていませんよ」

「嘘ばっかり」

そう思われる事がわかっているなら言わなければいいのに。

「適当な返事でも欲しいじゃない？」

「はぁー……」

思わずため息を吐く私の姿を見ながら、元凶たる相手はニヤニヤと笑みを浮かべている。

彼女は勝手に心の声と会話する事がある。その仕掛けを聞けば『貴方ってわかりやすいのよね』と言われるのだ。

ともかく、察するに彼女の言葉には何の意味もなくただ構って欲しいだけなのだろう。

「先程から何をなさっているのですか？」

「呪術についてまとめているの。研究日誌ってやつ？」

開かれているページを覗き見てみると、なにやら文字が羅列されている。

「何の呪術なのですか」

「不老長寿かしら」

「へー」

適当な相槌を打ち読みかけだった本へ視線を戻す。鳥類の種類やその習性についての書籍だ。先日購入したものだが、私の趣味と一致している事もあって実に面白い。

「信じてないでしょ」

「はい」

「あらやだ正直ね。どうしようかしら」

彼女はうーんと唸りながら、悩むような仕草をしたかと思うとニコリと笑って一冊の本を取り出した。

「じゃ〜ん」

その本の両脇を掴みながら表紙をこちらへ向けて見せてくるものの、そこに何もかかれていないため全く意図が掴めない。

「……」

「すごいでしょ。すごいといいなさい。ほら」

無反応だったからか、テーブルに身を乗り出し私の顔面にその本をぐりぐりと押し付けてくる。

「……や、やめてくだ……怒りますよ」

「あら失礼。表題を書き忘れていたわ。これじゃわからないわよね」

「……わざとやってましたよね？」

私の抗議の言葉に耳を貸す素振りもなく、彼女はその本のページをぱらぱらと捲りながら一人で喋りはじめた。

「ホーラ・ハーヴェイの研究記録よ」

「ホーラ？」

「禁忌の権威……っていうのは私個人の解釈だけど、おおよそ間違いではないかしらね。その筋では知る人ぞ知る男って感じ」

「禁忌？死靈術とか？」

「もうちょっと実害的な意味で危険な感じになるかしら。例えば時間遡行や不老不死とかね。死靈術等で問題視されやすい倫理的な側面とはまた違った意味で禁忌になるわね」

「人類の夢として扱われやすい題材ですよね。多くが望み、それでも叶える事ができずにいる」

「まぁ現状では概念的に捉えたとしても、これらの実現を可能にするには人間という種は非力すぎる場合が大半ね。たまに生まれつきだとかあやかる事もままならないような理由で簡単に実行してしまう人も存在するみたいだけど」

「でも、それを可能にするためにそのハーヴェイさんは研究をしているんですよね。つまりいつかは可能になるという事なのでしょうか」

「可能か不可能かで言ったら現時点でも可能な筈よ」

「つまり研究は完成しているという事ですか？」

「さぁ？でもホーラ・ハーヴェイ自身が不老不死、或いは不老長寿であると私は推測するわ」

「根拠は？」

「彼の作った時間遡行の術式。それに必要とされる資本の量は寿命と比例している。その術式の成功を一度は立証しているであろうという事は、少なくとも普通の人間の寿命としては有り得ない時間を生きていると見て間違いないと思うの」

「へぇ〜……」

「とはいえ、彼は少なからず普通の人間以上の何かを持っているというのは間違いないと思うわ。この術式、私に実現は難易度が高すぎるわ」

『ホーラ・ハーヴェイの研究日誌』を捲りながら不満気に呟く。その様子を注視していると、文章が記されているのは数ページだけに過ぎない事に気が付いた。

「ところでどうして貴方はホーラ・ハーヴェイについてそこまで詳しいのですか？」

「偶然出会った事があるのよ。昔ね。その時に話を聞いたわ……短い時間ではあったけど」

「へぇ……それでよく研究日誌を頂けましたね」

「何言ってるのよ。こんなものくれるわけないじゃない」

「え？」

「バレないように拝借しただけよ。中身だけね」

「なんてことをされてるんですか！」

「大丈夫。彼って自分の興味ある事に夢中になってると周りが見えなくなるみたい。こっそり写本した事はバレてない筈だから」

「そういう事ではなくて……」

「細かい事気にしてばかりだと疲れるわよ」

「平気でそんな事できる人間になるよりはマシです」

彼女と話していると考え方の違いというものを実によく感じさせられる事が多い。その度にこうはなるまいと強く誓うのだ。

「まぁでも、まず不老長寿からよね」

「……」

「今の私に必要なものといえば莫大な量の魔力と呼ばれるもの。そして不老長寿に近しい質を内包した媒体かしら」

これ以上この話に気乗りできない私の心中を他所に彼女は構わず喋り続ける。

「前者については大問題ね。個人の力じゃどうしようもないけど……そうね、同調性の高い存在から魔力を借りれるといいかも。例えば双子の姉弟……それも沢山の時間を生きた未来から私を助けにきてくれるストーリーとか、どう？」

「知りません」

「後者については既に候補はあるわね」

「まさかフローライトをそのつもりで保護して？」

「誤解しないで。彼女の面倒を見ているのは私の善意よ。それに彼女に頼ったら不老不死になってしまう」

「それが目的じゃないんですか」

「私がやりたい事は長寿よ。目的を達成するだけの量を生きれれば充分」

「じゃあ一体何を利用するつもりで……」

瞬間、不吉な予感がした。最悪の答えで返ってこない事を期待しながら恐る恐る聞いてみる。

「いるじゃない。目の前に」

「な、何を言っているんですか。私はただの人間で……」

「知らないと思ってるの？人間と精霊のハーフなんでしょ。それも大分長寿よね」

「なな、なっ！」

「そもそも、何で隠す必要があるのよ。あ、わかったディートリ・クライスが人間だから？」

「か、関係ありませんよ！そもそも彼とはそういう関係を望んでいるわけでもありませんからね！」

全力で反論する。対する彼女の表情は涼しげなのが更に気に障る。

「落ち着きなさいよ……で、そういう関係ってどういう関係？私はまだ何も言ってないけど」

「そう察し得ない流れだったじゃないですか！私はただ平穏に生きて……」

自分の惨めさに、少しだけ目の前が霞んでくる。

「いいから。ほら、泣かないの。大丈夫よ、友人を悪いようにはしないわ……少しだけ協力してくれれば」

「嫌です！」

「そう、残念ね。ところで貴方が人間じゃないって皆が知ったらどう思うのかしらね」

「……っ！」

この瞬間「気になるわ―、気になるわ―」と感情の篭もらない声で呟き続ける彼女の姿が悪魔と重なって見えた。

「……わかりましたよ。手を貸せばいいんでしょう。何をすればいいんですか？」

「素直でよろしい。でも不老長寿の術式は使わないわ」

「……へ？」

「さっきも言ったとおり魔力が不足してちゃ意味ないでしょ。だから、実現するのは"次の私"」

「次？どういう意……」

「いつかわかるわよ。貴方に協力して欲しいのはもっと別の事。平たく言えば用心棒ね」

「……は。つまりボディーガードってやつですか」

「そうよ。私ではなくフローライトのね」

「……答える前に一つだけ聞かせてくれませんか」

「どうぞ」

「あなたはこのために私と仲良くしていたのですか？」

「違うわよ。貴方の事については親しくなってから知ったというのは本当。ただ……」

「ただ？」

「初めは似たような匂いがしたから。……貴方が私に手を貸してくれるなら私も貴方を救ってあげれるわよ」

その意味を少し考える。体臭の事ではないだろうし、まして彼女と私が似ているとは考えられなかった。

「私は、別に救いなんて求めてません」

「それはどうかしらね。色々後悔してるんでしょ」

ふと、幼い頃の記憶を思い出す。ロバートと名乗る一人の少年。そして彼と私の慕った一人の男性と、その死。

「……後悔しない人間なんていませんよ」

「そうね。それでも失ったものは取り戻そうとするものよ」

「どうにもならないものもあります」

「それもそうね」

彼女は手元にあったティーカップに手を伸ばし僅かに残っていた中身を飲み干す。

「でも、ディートリ・クライスは諦めていなかったようだけど」

「……」

何も答えず俯いていると、彼女はカップを私の目の前に置くなりどこから取り出しのかもわからない鈍器でその縁を叩いて割りだした。

「何してるんですか！」

「これじゃ飲み物が少ししか注げないわね」

突然の行為に驚いた私を気にする素振りもなく、素っ頓狂な言葉を発する彼女にほとほと呆れてしまう

「はぁ……当然じゃないですか」

溜息と共に文句を垂れながら散らばった破片を拾い集めていく。

「接着剤でピッタリくっつければ使えるかしら」

「……使えるようにするのは無理ですよ。全部は拾いきれませんし」

「じゃあ破片の代わりになるものを見つけましょう。きっとピッタリはまる何か、見つかるわよ」

「……そうだといいですね」

「そういう事よ」

「は？」

「代わりのものを見つけましょう。きっと長い旅になるわね」

なんとなく彼女の言いたい事を理解する。つくづく自分勝手な人だと私は思う。

「もしもそれが、大きく歪な形の穴だったら？絶対に見つかりませんよ。他人事だから言えるんです」

「悲観的ね」

「探してみればわかります。目印も終着もない。どこへ向かえばいいのかもわからない」

「だったら私に着いてきなさい。向かうべき道を教えてあげるわよ」

ふと見上げたその表情はどこまでも自信に満ちあふれているように見える。

「どこからその根拠が出てくるのやら……」

すると彼女は席を立ち、私を見降ろしてくすくすと笑う。

「振り返れば、後悔ばかりの一生だった……繰り返せば、失くしてばかりの人生だった。でも大丈夫、きっともうすぐ終わるわよ。勘だけどね」

「……？」

「言ったでしょ。私と貴方は同じだって……黙って私に協力しなさい。いいわね？それじゃ」

言い終えるなり、彼女は背を向けて扉の方へと向かっていく

「どこへ行くんです？」

「逃げるのよ。後片付けはよろしくね？」

彼女はウィンクをすると颯爽と扉の向こうへと消えていく。

「ちょ、ちょっと待ってくだ……はぁ〜……」

そこに引き留めた相手の姿は既になく、本日三度目の溜息と共に掃除を始めるのだった。

右に、左に、槍を旋回させ正面でぴたりと構え。