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「……て…………きて。……起きて？」

優しく控えめなソプラノと、額に感じるやわらかな感触に、
ブルートはゆっくりと意識を覚醒させた。
深淵から浮かび上がったばかりの視界は、捉えた瞬間くらりとするほど
光を眩く感じる。

思わず細めた眸にようやく捉えたのは、穏やかに微笑む妻の顔だった。


「……ここは…………」
「一番初めに来た場所、みたい。……体は大丈夫？」

問われて、ブルートは事のなりゆきを思い出すに至った。
“彼ら”と共に砂地へ向って、そこで襲い掛かってきたモノのせいで意識を失って……――

「っ君は!?」

脳内を埋め尽くすあの時のおぞましい光景に、ブルートは震える腕で妻を自分の方へ引き寄せた。
その赤く爛れた左の瞳でじっとその仄白い姿を見つめる。
鈍く光るその赤は、濁っているはずなのにどこか透き通っていた。

そんな一連の行動に驚く事も無く、彼の妻は大丈夫よと言うようにふわりと笑顔を浮かべてみせながら、
ブルートの白い髪に指を滑らせた。

「……大丈夫そうで良かったわ。……ふふ」
「……君も、無事で安心したよ」

力を緩めるように深呼吸をしてから、ブルートは自らの掌を見つめた。
“体”には何の違和感も無く、あの時負ったはずの怪我がまるで幻のように消えている。
この世界は、つくづく常識とはかけ離れているようだ。


……そもそも自分達自身や、２人が住んでいる所だって充分非常識ではあるのだが。


「腕は、少しメンテナンスしなければいけないかな」
「じゃあ、私の腕と脚も……ついでにお願いしようかしら」
「そうだね、そろそろ見ておいた方がいいかな」

差し出された妻の右手を掴んでその関節部分を撫でながら、ブルートは目を細めた。
この腕はいつだって真っ白でいてくれなければならないのだ。

「……貴方をあんな目に合わせた“あのひと”。何時もなら許さないのだけど……今回は、許してあげてもいいかしら？」
「そうだね。……今回は、特別に許してあげようか」

クスクスと笑いながら、２人はお互いの薬指に視線を落とす。
美しい赤と青の指輪が鈍く光を反射して、まるで「ふたつでひとつ」と言わんばかりに輝いていた。




そんな夫妻の静かなひと時を遮るように、どこかから不躾気味な声が響いた。

「あ！ いた!!」




◆◆◆


「……ふむ。どうやらお２人ともご無事だったようですね」

そう呟いて、“廃墟マンション”の管理人はずり落ちたモノクルを指先で持ち上げた。
それから徐にパタリと手帳を閉じるとそれを懐へとしまい込み、踵を返す。

「ひとまず危機は去ったようですし、そろそろ夕餉の支度に取り掛かるとしましょう」

――……今夜はご不在の方が多いですから……６人分……でしょうか。



彼の囁くような独り言は、静かな邸の中へと吸い込まれていった。






　
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頷きながら、座長もブルートの妻とドロテアの方へ目を向ける。

ドロテアは跳ね回るのをやめ、ぷるぷると頭を振ってブルートの妻を見上げ、首を傾げた。

ブルートの返答に、座長は満足げに頷いた。

仲睦まじげな二人を交互に見て、何やら顔をきらきらさせるドロテア。
ドロテアの頭を撫でるブルートを、座長はやや意外そうな面持ちで眺めている。