招蛇のスケジュール帳

妙な世界に、妙な一揆に参加させられることになった。
困ったことに、うちのアイドルたちが二人ともやや乗り気。
勘弁してくれ。もし怪我したら誰の責任になると思っている。


　再び痛み出した胃を片手で労わるように擦るが、効果も虚しく、修務は溜息を吐いた。
　担当していたアイドル達と出会え、早数刻。
　生れてこのかた見た事がないような美しい庭園に、彼らはいた。
　広い庭だ。ヨーロッパの有名な観光地でもこの美しさはないだろう。地球にはない幻想的な、それでいて手入れのされた輝かしい庭だった。
あまりの美しさに一時は疲れや持病も忘れ、またその庭園で戯れる愛らしい少女達を見て微笑ましい気分にもなった。彼女たちの容姿は誰が見ても可愛らしい。この庭園にはあっている。
　庭園を満たす緑は目を優しく包み、咲き誇る花の香りは心までも洗われるようだった。眩しい日の光や空の青さも、遠くに見える城も、夢心地に浸らせてくれた。
　しかし、冷静に現実を思い出せば――この現実離れした状況を現実と呼ぶのも耐えがたい――、この状況はやはり、ストレス以外の何物でもなかった。

　そんな彼の横を白い布のようなものが踊るように漂った。
　修務は半眼でそれを見つめ、目を閉じ、今度は目を労わった。深呼吸をし、再びスケジュール帳にペンを走らせる。

ずっと目の錯覚だと言い聞かせてきたが、ここに来てから俺の横に何かいる。
なんだこいつ。赤ん坊用のブランケットに球を入れて浮かせたような……。
布地の天辺には「天使の輪」と良いたげに変なものが浮いているし、背中？なのか？
そこには羽根？なのか？そんなものがある。布からは……尻尾？

　そこまで書き、修務は好奇心に駆られた。
　その「何か」の布の中からぶらんと垂れ下っているものを目で追う。一見は尻尾のようだった。修務は覚悟を決めると、布地の端を指で摘まみ、ちらりとめくった。

　布地に通る声でそう囁かれ、修務は恥ずかしさを覚えて指を離した。

　修務は思わず声を荒げた。しかし、布は動じない。呆けたような、はたまた人を食ったような笑顔でふわふわと彼の周りを漂った。
　修務は目を閉じ、もう一度深呼吸をし、笑顔を作った。

　相手の尊大な態度に、思わず口元が引き攣らせてしまったが、布は気付いていなかったのか、一切頓着せずにくるりと回った。

　誰ひとり、何一つとして、納得行くものがない。
　修務が持っている知識は、この浮遊している物が「エンブリオ」という名がついた何かであること。何故かその力を借りて、夢か特撮かゲームか、そんな風な能力が使えること。
　一体何故そうなったのか。まだ何も説明されていなかった。

　胃を……もとい、意を決して尋ねた修務の言葉は、浮遊布の声で遮られた。怒りそうになったが、布の言葉が示しているもの、その目――目を言って良いのか謎な糸目だが――が向かう先を見て、修務は言葉と怒りを収めた。

　布の言葉は修務の心を強く突いた。浸透するかのように沁み渡り、混乱の中にあった彼を素直に頷かせた。布は尻尾を振った。

　ふざけた容姿に見合わぬ、力強い導きの言葉だった。
　守ろう。守らなければ。それは修務がこの世界に来て真っ先に思った、純粋な心。その心に呼応するかのような能力を、この布は持っていた。
　彼女たちが傷つかないように癒す力、守る力。

　修務は礼を言った。守るべき少女たちを見て――。

　その返事は了承の意か溜息か、そのどちらもか。
　何にせよ、修務の胃痛は治まる事はなかった。

　日記の続きを書く。

一先ずは庭園の先に見える城を目指そうと思う。
他にも一揆に参加している人たちもいるようで、もしかしたらその中に我々を元の世界に戻してくれる人もいるかもしれない。それまでの辛抱だ。
変な布は有難くその力を借りるとする、

　一応記録として、修務はエンジェルと名乗った布の絵を、スケジュール帳の端に描き、ぱたんと閉じた。