骸と骨の散る廊下を歩き続けて間もなく、あっさりと無事に合流を果たした。
　持ち物が増えたこともあり、夕飯の他にも特殊な調理をすることになったが、概ねいつもの通りの夜が過ぎた。
　あらかた仕事を終え、適当な所に腰掛ける。服に固定した書に意識が伸びたものの、どうにも手に取る気になれない。
　どこかで誰かが魔術を使っている。別なところでは未だ作業の音がする。少し離れた場所で少年と精霊の子があれこれと話しているが、喧嘩の続きという様子でもないようだった。
　いつものように、白虎がじゃれついてこようとする。その背後からすっと狼が現れ、珍しいことに、虎の首根っこをくわえ、懐にねじこむようにしてぺたりと横になる。
　自分はそんなことを望んだろうか。命じたろうか。この狼は基本的には影のように在り、かたちを取ることも珍しい。
　おさない白虎も、しばらくもぞもぞとしていたが、寝心地の良さを悟ったか、すぐに大人しくなって目を閉じる。
　はたりと揺れる尻尾を眺めて、もう一度不思議に思う。自分は望んだだろうか。命じただろうか。
　ゆらゆらと揺らぐ尻尾の色は、昼間なら銀に輝く。今は、暗闇を受けて、鈍い灰色に青を散らしたように見える。
　灰色と青のゆらぎが翻る。それは厚手の外套だった。内側には、聖職者の衣が見え隠れする。
　ラズロと名乗った司教の衣装とは、違う。異教徒というほどかけ離れてはいないが、明確な差異がある。地域。司教という位との違い。旅の汚れ。端の方は破れた箇所もある。優雅さはない。
　まったく似ていない。
　相対した時の感覚が蘇る。驚くほど似ていなかった。だが、あれがあのまま地下牢にあり続けることに我慢出来ないと、この手でどうにかしたいという理不尽な願いは、揺らがなかった。何の慰めにもならないことを、自分は知っていた。
　外套の男が、扉を叩く。中には病人が居る。未知の病。かかったのは、丈夫で健康なはずの、その家の一人息子だ。医者にも神官にもわからないその病の噂を聞き、男は扉を叩いて、治療をさせてくれと言うだろう――

　振り返って、そこには顔があった。その顔は、自分によく似ていた。

　気付けば、そこは暗闇だった。足元には疾風に刻まれた骸と骨の破片が散らばり、眠りたくないという悲鳴が尾を引き続け、

　この顔こそ、よく似ていた。



　がく、と肩が揺れた。
　瞬時に全身が緊張した状態で、一瞬意識が空白になる。
　だが、緊張は長く続かなかった。ひとつだけ息を吐き、狼と白虎を起こさぬよう、音を立てず立ち上がる。
　焚き火の傍らには、狼と白虎を伴った青年が座っていた。近寄るこちらにいち早く気付き、よう、と軽く手を挙げる。

「眠れないか？」
「いえ。少し、嫌な夢を見まして」
「へえ」

　軽く眉を上げて、焚き火に枝を足す。傍らにあった瓶を軽くこちらに示し、口角を上げた。

「なら、少し付き合わないか？」
「ご相伴に与ります」
「よしよし。えーっと、チーズあったっけかな」

　つまみを探す青年の隣、彼の半身のような存在の狼が、軽く尻尾を動かす。
　その仕草が、『お隣にどうぞ』と言ったように見えて、少し心が和む。
　自分の使うカップを取って座ると、青年が暖かい酒を注いでくれた。

「お前さんも宵っ張りだから、こういうのは珍しいな」
「そうですね。眠りの浅い方ですが、わざわざ起きるような夢を見るのは」

　それ以上の質問を重ねてこない。暖かい酒杯の中身を少し口にして、息を吐く。それだけでいかにも楽になった。

「なんとなく嫌だ、と思う人間の顔が、よく見たら自分そっくりだったんです」
「ヤだなそれは」
「はい」

　直球で述べると、空気が緩んだ。緩んだ中、もう一度呟かれる。

「……そうだな、そりゃイヤだな」

　どちらかといえば、独り言であったのだろう。青年が見ているのは、焚き火の中心だ。
　ふと気付くと、彼の半身である狼が、再び尻尾をはたりを振ったのち、てし、と膝のあたりを前足で叩いた。
　その仕草で、やはり何となく伝わるものがあった。頭を撫でても大丈夫か、少し考えてから、手を伸ばす。

「手合わせの時、何か引きずってきてるような、気迫みたいなもんはあったな」
「そう見えましたか」
「ああ。ただ、夢を見せる嫌な怨念とかじゃなく、テンションが下がりきらないとか、そんな風に見えた。俺にはな」

　だから大丈夫だろう、と、青年が酒杯を呷る。
　それならば、と考える。少なくとも、回復役の二人には心配をかけずに済むだろうか。それとも、気づいてしまうだろうか。
　出来れば、そうなって欲しくはない。
　彼らの食事の支度をしたり、おにぎりを飾る為の薄焼き卵を焼いてみたり。そうした、いつもしているようなことが、どれだけ心を休めてくれたろう、と思う。

「何やら、良い匂いがするのう」

　笑いを含んだ声と共に、いつの間にか、赤い目の魔女がそこに佇んでいた。

「やっぱり来たか。鼻の利くこって」
「年寄りの嗅覚は鋭いのじゃよ。さて、わしの飲む分くらいはまだ残っておるかや？」
「まあ、ちびちびとなら充分。一人で飲むにゃ多いと思ってたくらいだ」
「美味しいですよ。温まりますし」

　それらの言葉に気をよくしたように、魔女がふわりと地に腰を下ろす。
　魔法のように、隠し持った包みを差し出した。

「釣堀で手に入れたものじゃ」
「おお、つまみが増えた」
「こういうのは、持ち寄るから楽しいのじゃよ」

　くすくすと笑う魔女が、早速自分の酒を確保する。
　炎が立てる火花の音に混ざり、ぽつぽつと話し声が響き、空へと消えてゆく。


「のう、ラズ坊や。少々悪い夢を見ても、ここなら安心であろ？」

　酒の席の合間。思い出したように、魔女は言った。

「――そうですね」

　そうだった。だから、夢を見たのかもしれない。他でもない、ここで。
　魔女は、自分が肯定することを、最初から判っていたようだった。変わらぬペースで杯を口に運び、時につまみを口にする。
　最初から。――あるいは本当に、今日の最初から、すべてを。