これは、そう遠くない過去にあった私の記憶。

さして重要でないものに限って、唐突に蘇るものである。
今は何時だったか、はっきり思い出せないけれど――。
　　
ある休みの日だったか、
久しぶりに父に呼ばれたので実家で過ごしていた事を憶えている。
いつもは朗らかな父が、神妙な面持ちでこう告げた。

「寿子、補正予算を通すために見合いをしてくれないか？」

とりあえず父は休んだ方がいいと思う。
この年度末にむけて、いろいろ佳境に入っているとは聞いていたが、
仕事に打ち込むあまり常識を見失うのはいただけない。

「お父さんはね、貴女の事を心配しているのよ。」

一瞬ドン引きしていた母だったが、
この沈黙した空間を埋めるためにフォローを入れてきた。
いや、いろいろ心配かけているのは本当に申し訳ないとは感じているのだが。

「それはそうなのだが……今回はちょっと面倒な事になってな。
　現在、内閣不信任案が提出されそうになっているのは知っているか？」
「予算を質にとっての嫌がらせでしょう？いつもの事じゃないですか。
　今は両院ともに過半数を押さえている筈です、問題ないんじゃないかと。」
「しかし参院も過半数を確保したのはちょっと前のことだ。
　それまで溜まっていた仕事が重なり、予算の執行も遅れていた。
　すでに財政破たんしつつある地方自治体も少なくないこのご時世、
　予算は速やかに可決させねばならん。」

テーブルに拳を乗せ、父は真摯に語る。
いやそれは全くもって正論なのだが、大事な部分が欠けている。

「だからって、私が見合いをするのと何の関係があるんですか？
　昔ならともかく、今の時代におおっぴらな政略結婚もないでしょうに。」

事実上の政略結婚は、あったとしてもだ。

「向こう側が調停に動く条件として、内々に提示してきた。
　勿論これ一つじゃ無理だろうが、
　ローリスクでこちらが歩み寄るパフォーマンスとしては有りだろう。」
「一応確認しておきますけど、断れるんですよねこれ？」
「勿論だとも、流石に娘を売る気はないよ。
　リベラルを自称する彼らが、まさか相手の女性に無理強いするわけにはいくまい。
　ただなるべく穏便に頼むよ、父さんとしても出来るだけ恨みは買いたくないからな。」

そんなものは無理でしょう、そう言いかけたが
わざわざ口にすることもないと考え、黙って従うことにした。
自分の常識で判断する所は、父の人の良さであり甘さでもあるか。
その時の私は、自分の見合い云々よりも父の行く末を心配していた。

あまり興味もなかったので詳しくは憶えていないが、
相手の男はいかにも賢そうな、それなりに顔の整った男だった。
38歳でこの容姿で議員一年生とくれば、上手くやれば熱烈な支持者もつくだろう。
フェミニストのインテリメガネはそこそこ需要あるし。

熱っぽくいろいろ話しかけてくるのはいいのだが、
この種の人間に共通して言える事として、内容に現実性がない。
理想しか語れないなら政治家なんて目指すなよと思ったが、
当選してきたばっかりの人間にここまで言うのも酷だろう。

「寿子さん、僕は軍事について詳しいんです！」

いやもうお前黙れ。
コケにされているのか天然なのか判断がつきにくい為、
適当に話を流した後、予定通り丁重にお断りすることにした。
押し付けられた連絡先をどう供養するか、それだけただ思案に暮れていた。


◆◆◆


それから数日ほど経っただろうか。
私は相変わらず職場と自宅を行き来する日々が続いていた。

会議で遅くなったので行きつけのラーメン屋で夕食を済ませようとした時だった。
注文している間、ほんの少し時間があったので
私はツイッターで暇を潰そうとスマートフォンの画面を眺めていた。

ツイッターというものは、雑多な情報が流れてくるので暇つぶしには丁度いい。
そんな事をぼんやり考えていた折、
疎遠だった高校時代の女友達からリツイートが飛んできた。



『イケメンフェミ議員』という単語がまず引っかかった。
私は以前、この言葉に相当する男と会った事があったのだ。
何かを考えようとしている間に、RTは矢継ぎ早に飛んでくる。




私怨のようにも取れるが、一部の興味を惹くようでRTは巡っていく。
非公式RTなので、これは鍵アカウントを引用されたのかもしれない。
公開されていないものを回すなと言いたい所だが、
公共の場所で無防備に個人向けのヘイトを吐く方が悪いだろう。



……誹謗中傷にしてはいやに内容に詳しい。
私と他数名しか事実は知らないが、
信憑性を高めるために適度に詳細情報を仕込んでいる。
勿論外れれば一巻の終わりだが、含みを持たせず書くあたり自信があるのだろう。

恐らくこれは、リークではないだろうか。
私との見合いを希望した彼氏に憤った現在の恋人あたりの。
えげつない手段だが、RTの内容を信じるなら擁護はできない。

それにしても、また随分な言われようである。
何も悪い事をしていない私が晒し者にされているのは少々納得できないが。
ラーメンもまだ来ないことだし、
鬱憤晴らしにRTされてきた元々のアカウントについて調べることにする。

予想通り、『@east_g_38』というアカウントのツイートは公開されていなかった。
しかしプロフィールには参考URLが記載されていたりする。
ブラクラでないことを祈りつつ、私はそのURLを開いた。

――政治家やるには随分と脇の甘い男だな。

目の前に開かれたその男のブログの名前を軽く確認した後、
ツイッターに戻り、しつこく勧誘されて仕方なくフォローした
男の公式アカウントのブロックボタンを押す。

顔を上げると、鬱屈した私を和ませるべくラーメンが湯気をたてていた。


◆◆◆


ラーメンを食べようとした所で、私は目を覚ました。
目の前には見慣れた天幕が広がっている。

「休憩している間にも眉間に皺が寄ってましたけど、我が君大丈夫です？」

辞典をめくる手を止めて、小僧が私の様子を伺う。
そうだ、今日は天候が荒れているから早めに休息を取ったのだった。
女神の園は風光明媚な所といえど、吹雪いては流石に動きが取れない。

しかし、私が寝ている間に落ち着いたのか
あんなにうるさかった風の音が聞こえてこない。
すでに吹雪が過ぎ去ったのならば、周りの様子を探りたい所だ。

「……吹雪はもう収まったのか？」
「ええ、もう外に出られるんじゃないですかね。
　ただ地面はつるつるだから、移動は明日の方が良さそうですけど。」
「ふむ……ならば、少し様子を見てくる。」

まだ鈍い体を起こして、狙撃銃の準備をする。

「様子って、みんな退避したままだと思いますよ？」
「地形を見ておきたい、魔物も引っ込んでいそうな今がチャンスだ。」

後列から獲物を狙撃する立場としては、
次に向かう場所の遮蔽物の有無は調べておきたい所だ。
軽く見てくるだけなので、エンブリオを召喚する必要もあるまい。

すぐ帰ってくると念押しをして、私はテントを出た。
滑りやすい煉瓦道を注意しながら進む。

何体目かの女神像のすぐそばで、ふいに男女の声が聞こえてきた。
視界には誰ひとり見えない筈なのに、である。
王政軍の斥候かもしれないので、私は警戒しながら距離を詰める。

物陰に隠れるようにして相手を伺うと、
背広を着た男と黄金色の長い髪の少女が至近距離で話をしていた。
男の方は30代くらい、少女は10代前半の子供だろうと思われる。
信じたくはないが、男の方に見覚えがあった。

「もー、さっきの赤ワイン零したのわざとでしょ？
　これ白いブラウスなのにどうするの？」
「ここで着替えればいいじゃない。」
「じゃあ御前様、新しいの買ってくれる？」
「君の金でいくらでも買ってやるって。早く脱げよ、上下合わせて。」

気が付いたら引き金を引いていた。
惜しい事に銃弾は、女神像を掠って男よりはるか離れた所に向かってしまった。
驚いた男がこちらに向き直り、私はこいつが何者であるか確信する。

「……寿子さん！？どうしてここへ！？貴女も被害者なのですか！？」
「黙れクズ。
　貴様、向こうじゃ『女性と子供の人権擁護法』とかいう
　2次元ロリだけピンポイントに規制する法案を推進しておいて、
　別世界に来たとたんに本物の少女に手を出すか。
　真面目に法を守っている紳士達に謝れ！」
「誤解です！この娘が服を買って欲しいと僕をゆするから！」

少女の顔が明らかに強張ったが、こいつは意に介さない。

「御前様！ミハイルから聞いた風貌からして、この女は例の『干渉者』ですよ！
　気を許しては駄目です、早くこの売女を討ち取ってしまいましょう！」
「えっ……そんな馬鹿な、誤解じゃない？」
「いいえ、女のくせに軍人だなんて売女に決まってるじゃないですか！
　オブドルスクでは健全な女は軍隊になんか入りませんもの！
　ミハイルの手紙や神父様から聞いた通りの格好だし、この女が悪いのよ！！」

知らない所で随分と嫌われているものである。
それはともかく、この少女が何故私を狙おうとしているのだろうか。
小僧の事をよく知っているみたいだし。

「……私が悪いとは？」
「ええそうですとも！ミハイルを誑かして革命を邪魔しているのはあなたでしょう？
　神父様はあなたを倒せばミハイルは正気に戻るって言ってたわ。」

こんな年端のいかない娘まで騙していたのか、あの貴族ども。
しかしこの言い分だと、どうやらあちらは私達を疎んでいるらしい。
確かに小僧の革命に異を唱えたりはしたけれど、
どうしてそのやり取りを知っているのか。

「ちょっと待て、私達は着実に王城を攻略しているけれども。
　何をもって邪魔なのかは分からないが、結果だけなら成果を上げているはずだ。」
「そうさ！僕達の目指す道は同じなんだから、争うなんて意味がないよ！」
「いやもう貴様黙れ。」

この馬鹿な大人は置いておくとして、
私の知らない所でキナ臭い動きがいろいろあったようだ。

私と小僧の戦場でのやりとりが外部に漏れていたこと。
それを理由にして、私を直接抹殺しようとしていること。
第二の『干渉者』として、同じ世界の住人が召喚されたこと。
召喚された男は、一応私と面識があること。

誰かの意図が、確実に働いている。
何故よりにもよって、この人間のクズである近衛東という男を選んだのか
私には到底見当もつかないが、
後ろから刺されない為にも、この懸念は頭に置いておく必要がある。

この後に及んで仲良くしようとかのたまう東に二人とも白けつつ、
複数の人の声が聞こえてきたのでこの場は解散することにした。
元々私には戦意はないので、有難いことではある。

さて、これをどう小僧に伝えるべきか。
恋人からの手紙を誇る小僧を思い出して頭を抱えつつ、
私はもと来た道を引き返す事にした。


To Be Continued......