それは寒い寒い冬のことでした。
木々が深く生い茂っている森の中を、ひとりの少女が歩いていました。
その日は満月で、木々の隙間からも美しい月が見えていましたが、少女はそれに目をくれることなく、ただひたすら前方の闇を見据えて歩いていました。
10代半ばの、まだ顔に幼さが残る少女でした。
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少女は鬼塚リカといいました。彼女は、この森の近くにある村に生まれ、そこで育ちました。決して豊かな村ではありませんでしたが、それぞれが支えあって平和に暮らしていました。
この世界には、エンブリオという生き物がありました。
人々とエンブリオは共に生き、共に助け合うことで共存していました。もちろん、リカの村も例外ではなく、エンブリオの力を借りて野菜や、果物を作っては街に出荷することで村の生活は成り立っていました。
しかし、ある時のことでした。野菜の収穫を終えたリカは、家に帰る途中、村の大人たちが集まっているところを見ました。5,6人くらいでしょうか。どの人も顔に不安げな表情を浮かべており、それがただの雑談だとか、噂話でないことが分かりました。普段は挨拶だけして通り過ぎるリカでしたが、なんとなく気になってしまい、悪いとは思いながらも立ち聞きをしました。
それは、新しい国王の話でした。
先に話した、エンブリオという生き物の力を借りるには契約を必要とします。エンブリオは契約者のわずかな生命力と引き換えに、その力を分け与えるのですが、契約にはネクターと呼ばれる紅い花が必要です。そのネクターという花は、この世界にしかないものです。
そして、新しい国王は、ネクターを独占し始めたのです。当たり前ですが、ネクターが無ければエンブリオとは契約出来ません。ということは、エンブリオの力を使うことも出来なくなるのです。それは、この村にとっては死活問題でした。ただでさえ、高齢化が進む村なのに、エンブリオがいなくなってしまってはどうやって暮らしていけというのでしょう。
黙って聞いていたリカでしたが、ある人がそう言うのを聞いて、ついに出て来てしまいました。
立ち話をしていた村の人はとても驚きました。
そう怒鳴って、村の人たちはどこかに行ってしまいました。リカは怒りに全身を震わせながらも、そのまま家に帰りました。
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それからしばらくしてからのことでした。
村に、たくさんの兵士がやってきたのです。兵士たちは、村にあるネクターを取りにきたのでした。
兵士たちの持ってきた袋の中に、多くのネクターが詰められていきます。それを村の人たちは黙って見ているだけでした。
村の広場。兵士長と思われる人が、村長に言いました。他の兵士とは違う、兜のエンブレムがきらりと光ります。
村長と呼ばれた人が自信無さげに答えました。心なしか、顔が青ざめて、震えているようにも見えます。
村長に案内されて、兵士長と兵士たちは倉の方へと向かいました。
既に収穫が済んだ畑の間の道を進んで行くと、ひときわ大きい木造の建物が見えました。
村長が話し終わる間もなく、兵士たちは倉の中に入って行きました。しばらくして、ぱんぱんに膨れた袋を持った兵士たちが、次々と出て来ました。回収された袋は広場に集められ、山のように積み上げられました。袋に収まりきれなかったネクターの花びらが、道に落ちていくので、兵士たちの通った後には赤い模様ができていきました。
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日が傾く頃には、村にあったネクターは全て、村の広場に集まりました。
既にネクターの入った袋は荷車に詰め込まれ、列をつくっていました。後は運ぶだけです。
兵士長は馬に乗り、出発の合図を出しました。その合図で、荷車は進み出しました。一列になった荷車は村の出口に向かっていきます。しかし、すぐに荷車の進みは止まってしまい、兵士たちの間にどよめきが起こりました。
兵士長が苛立った声で叫びます。少しして、列の先頭から、一人の兵士が走ってきました。
兵士が引き返してからしばらくして。ようやく、荷車が進み始めました。
兵士長は馬を進めつつ、周りの様子を見回していましたが、子供らしき死体はありませんでした。
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兵士たちが去った後のことです。日は既に山の向こうに沈み、空は暗くなり始めていました。リカは、兵士たちを力ずくでどうにかしようとして、逆に村人に止められたのでした。
ネクターを根こそぎ持って行かれても、抗議すらしない村人に、リカは文字通りはらわたが煮えくり返る思いでした。元々曲がったことが大嫌いな性格であるため、こういった理不尽なことが何よりも許せないのでした。しかし、リカはその怒りを上手く言葉に言い表すことが出来ず、彼女に出来たことといえば、
と怒鳴り捨てて、そのまま村を出て行くことでした。
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そういうわけで、勢いで村を出て行ったリカでしたが、当然のことながら何の準備もしていません。しばらく兵士たちを追いかけようともしていたのですが、兵士たちは既に村を離れており、見つけることすら出来ませんでした。辺りは既に暗く、少女ひとりで歩くのは危険でした。しかし、あれだけ啖呵を切って村を出て行ったのですから、今更戻る訳にもいきません。どうしたものかと思案に耽っている時でした。
道の先に、松明の明かりに照らされた、人の集団が見えました。皆、手に剣や銃などの武器を身に着けてはいましたが、中には鍬などの農作業に使う道具を持っている者もおり、兵士の類ではないようでした。向こうもリカに気づいたようで、話しかけてきました。
彼らは、一揆に参加する人々でした。彼らもまた、リカと同じく、国王のネクター独占に反対する人々で、国王に直訴すべく王城へと向かっているのでした。彼らはリカに、危ないから早く帰るように促して立ち去りました。
その話を聞き、リカはぽつりと呟きました。そして。
そのまま、一揆に参加すべく、王城へと歩き出したのでした。
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