「我が君、もう少しで第7ポイントですよ！」

小僧が笑顔で小川を駆けていく。
この寒いのに元気だと思うが、
あいつにとってはどうってことのない気温なのだろう。

私は少々かじかんだ手に息をかける。
指先は私の生命線だ、寒さで鈍らせるわけにはいかない。

この近くで帝王イカという
巨大なイカが出る事は手配書を通して知っている。
発見されてから随分経つが、
いろいろ進路を探っているうちに時間が経過してしまっていた。

すでに流行遅れが半端ないイカ焼きツアーではあるが、
先の進路の事も踏まえてさっさと倒してしまうに越したことはない。
今回はたっぷりイカを食べる為、他のみんなとは別行動だ。

「我が君、今回のイカって本当に全部食べていいんですか？」
「全部は食べきれんだろ、美味しそうな所だけにしておけ。
　脚ならば切り取って持って帰ってもいいらしいぞ。」

自前の資料を確認しつつ、口を開く。
主に柔軟性の高い脚部と太目の脚部を持ち帰ることが出来るようだ。
公式資料にケチをつける気など毛頭ないが、触手とげそは同じようなもんだろうに。

そんな観光旅行としか思えない会話は、
突如視界に現れた巨大生物によって遮られた……ように思われた。

「ギュオオオオアアアアアアアアアアアァァァァアアアアアアアアァァァァァァァッ！！！」
「我が君！イカですよ！大きいですね！」

小僧は目を輝かせていた。その瞳に映るものは食料であって、魔物ではない。
八戸港に来る観光客と気分は同じ。
最早どっちでもいいレベルではあるが。

地面が盛り上がったり多少揺れたりするパフォーマンスはあれど、
今更、地面の揺れの一つに怯える神経など持ち合わせてはいない。
このイカをどう仕留めるか思案していたころ、目の前に何かが転がり落ちてくる。

「ちょおおぉぉっと待ったあああぁぁぁッ！！」

わざわざ地盤の固そうな所に落ちたかと思うと、
土埃から現れたのは、魔女っぽい少女だった。

「おうおう小童ッ！！我が名は魔神ベルフィ！
　こいつぁあたし様の獲物だよッ！！」

言うに事かいて魔神かよ。
厨2病は思春期によくかかる病だが、この子は症状が重篤であると考えられる。

「我が君どうしましょう？
　このまま放っておくとあの子、戦闘に乱入しそうなんですけど。」
「歴戦データからして、阻止する手段はないらしいぞ。
　火属性の魔法使いだから強いようだけど、魔法唱えるまで時間がかかるとか。」
「それって役に立つんですか？」
「あのイカにこちらの攻撃が通らない場合は役に立つ。」
「我が君のレックレスで焼いた方が早いですよね？」
「銃弾1発で焼き切る可能性があるな。」

まだまだ皆の実戦経験が乏しい頃なら、
持続戦を選んであの子に焼いてもらう戦術も大いにあり得たのだが
力をつけた今は、わりと速攻で倒される結果が出ていた。

「……どうします？あの子。」
「別に速攻で倒さなければならない理由もないしな……。
　まぁ倒したくて仕方のない感じだから、手伝ってやろうか。」

今の状況なら、よほどヘマをしない限り全滅することはないだろう。
2人して可哀そうな目でしか見れないこの子に花を持たせるべく、
接待戦術をどうにか考えることにした。

「くたばれこのゲソ野郎おぉぉッ！！！」

こちらの空気など全く読まないベルフィの雄叫びが、寒々とした水辺に響き渡っていた。

◇◇

さて、この子が魔法を撃つ時間までどう間を持たせるか。

小僧と2人で即興で打ち合わせるが、
本日のメインは『いかにして攻撃力を抑えるか』であった。いつもとは逆である。
小僧はなめプだと眉を寄せたが、ああ見えてベルフィはそこそこ焼くので問題はあるまい。

手持ちにあるワンランク低い銃に銃弾を移す。
理想はもう少し古い方が良かったが、
最適と思われた銃は、すでにアリクイさんの腹の中で魔変化を遂げてしまった。

戦術の基盤は、出来るだけこちらが攻撃しないこと。
とは言っても、事故で戦闘不能はたまらないので
ベルフィの魔法でトドメを刺せる程度には削っておく。
『賜りの儀式』は防御系のものにシフトする。

帝王イカの弱点が火属性であることは、既に数々のデータが残っている。
そして、ベルフィは火属性の魔法を唱える事が出来るので
この戦い、守りさえ強化していればまず負けることはない。
早く倒してしまわないよう、攻撃の手を抜く算段を考えるべきだろう。

……そういえば、ドライアドの高位技は使いにくかったっけ。

ドライアドの高位技には、自らが盾となるのは便利な技が多い。
私もいろいろ使ってみたが、中々に強力だ。
ただ、残念ながら私は後衛に居る事の多い狙撃屋だったりする。

今回ならば、あのもやしのベルフィを置いて下がるわけにはいかないし
私の方がよっぽど強靭だと考えられるので、
私がイカの攻撃を受け止める係になるだろう。
実験も兼ねて、普段使い辛い技を試すにはいいかもしれない。

ドールと同じ姿になって久しいドライアドだが、
小僧が召喚したエンブリオと共鳴し難いと嘆いていた記憶がある。
なんでも、ドールとドライアドは真名が分からないからなのか、
戦闘中に『召喚者』との共鳴が鈍くて、あまり力が出ていないのだそうだ。

――真名が分かれば、力を得ることが出来るのだろうか。

私は恐らく、この2つの真名を知っている。
確信があるわけではないのだが、少なくとも小僧よりは真相に近い。
あの2つのエンブリオは、少女期の私を象っているのだから。

早く言えばいい話なのだが、中々言い出せないものだ。
だから、実際に試してみるのもいいだろう。
АПСБに銃を装填終わった私は、1歩前に出た。

「さて、魔王様にお気に召して頂く為に頑張りますか。」

ベルフィは付いて来ない。
彼女の安全を確認した後、私は左手の甲を前にかざした。


「……我が『干渉者』の名において命ずる、
　招かれし者『コトブキ』よ、その本質を開花させよ！」


その言葉が迸った瞬間、手の甲から光が爆ぜる。
内側から湧き上がる力と、後ろに居る存在がぴったりと一致する感覚。
この一体感は、とても言葉では表せなかった。


――ああ、やはりあの娘達は私だったのか。


後ろで見ているはずの小僧は何も言わない。
いや、おそらく想定外の出来事に口が強張っているのだろう。

漲る力は私を包み、まるで血液のように駆け巡ってゆく。
しばらくした後、手の甲からの光は収まり元の状態に戻った。

「小童も眠りを妨げられたクチなのか？」
「……問題ない、そちらはゆっくり魔力を溜めておいてくれ。」

我に戻ったのは私だけではないらしい。
小僧も打ち合わせ通り、ドールの力の行使に入った。
ベルフィには悪いが今は戦闘中だ、解説なら後でいくらでもやる。

予定通り順調に削っていたのだが、
時間稼ぎの遊撃が思った以上にダメージ入っているらしく帝王イカがのたうち回っていた。

「我が君、間が持ちませんよ！？これ散弾ですよね！？」
「ああ、普段戦闘に組み込むと顰蹙買うレベルのものだ。
　威嚇用だから、こんなに効果が出る筈ないのに。」
「あれ？我が君、手紋が光っています！さっきまで何もなかったのに。」

言われて左の手の甲を見ると、甲全体に描かれた手紋が光を帯びていた。
こんな事は初めてだ。

「それって恐らくエンブリオと共鳴している状態ですから、
　手加減とか無理かもしれません。
　詳しくは調べないと分かりませんが、僕がエンブリオの力を喚ぶ時もそうなんで。」
「ちょっと待て、いつもは兎も角いまは接待戦術なのに冗談じゃないぞ！？」

後ろには何も知らないベルフィが控えている。
遊撃しないとやられるだけだし、奇跡の弾丸だと恐らくイカを貫通してしまう。
こういう時に時間を稼ぐ手段を持たないのは辛い。
私は、地面に撃つつもりで引き金を引いた。

――　その本質を　開花させよ　――。
　
手の甲と吐き出した弾が瞬くのを感じた。
そして外した筈の弾が、イカの中央部に吸い寄せられていく。
私はただ成すすべもなく、帝王イカが倒れるのを見守っていた。

◇◇


「やらかしちゃいましたか……。」
「やってしまったな……。」

音をたてて身を崩してゆく帝王イカを2人して眺めていた。
完全に接待戦術は失敗である、気まずい事この上ない。

「……えーと、ベルフィさん？
　もしかしなくても激おこプンプン丸、ですか？」

恐る恐る小僧がベルフィを伺う。このテはゴネ始めると非常にめんどくさい。

「……ふぅ、スッキリしたスッキリした！」

一方、ベルフィはいい仕事したかのような笑顔をこちらに向けた。
その表情に、一点の不満も見られない。

「あの人なんにもやっていないんですけど、それでいいんですかね？」
「面倒な事を持ち出すんじゃない、
　こんなものは本人が納得していればそれでいいんだ。」

彼女には決して聞こえないように、小声でやりとりする。

「まぁそっちにも礼を言っておこう。小童にしては良い良い。」

あ、この子部下の手柄を全部自分の手柄と錯覚するタイプだ。
だから手持ちのエンブリオが逃げるんじゃないかなと思ったが、
指摘するといろいろ面倒そうなので適当に合わせておくことにした。

「我が君、『いかめし』ってどうやって作るんですか？」

倒れたイカの脚をナイフで切り取りながら小僧が尋ねる。
やはりこいつの目には食材にしか見えていなかったらしい。

「あれはこんな大きな烏賊では無理だ。
　パエリア作ってやるから、切り取ったげそを一口大にしておいてくれ。」
「うわっ、結構柔らかいからこれ切るの大変ですよ？」

まぁお土産に指定される位だから、ちゃんと食べる事は出来るのだろう。
私は調理用の火を用意しつつ、米の準備にとりかかる。

不可解な事の多かったメインエンブリオだが、
やはり私を象っている存在で間違いはなさそうだ、何故なのかは分からないが。
ただ枕詞などは適当に設定しただけなので、より的確な言葉があるのかもしれない。
戦いで生き抜くためには、大きな力をコントロールする必要があるだろう。

「我が君ー、イカの準備ができましたよー！」
「分かった、この鍋に放り込んでくれ。少ししたら米を投入する。」

鍋の中でボイルされてゆくイカを眺めながら、私は思考を中断する。
疲れた時に考え事をしてもいいものは浮かばない、
まずは腹を満たす事を考えようではないか。

当然のように出来上がりを待つベルフィのためにも、
とりあえずはパエリアを失敗しない事に集中しよう。
ここ一番であろう冷え込みで、水辺の端はうっすら氷が張ろうとしていた。


To Be Continued......