一二月二四日。
　およそ二○○○年前に存在した偉大な男の生誕を祝う日に、サヨイとユウキはマンションの一室でささやかな夕食の準備をしていた。二人の暮らしは決して豊かではないが、今日ばかりは背伸びしたいという思いを共有していた。
　流しっぱなしのラジオがクリスマスソングを高らかに歌う。
　二人は狭い台所で肩を寄せ合い、分担して夕食を作ってゆく。
　サヨイは背中の半ばまで伸ばした黒髪を今は一つに結んで、メインディッシュであるウサギ肉とプラムを一緒に煮込むシチューに取り掛かっていた。この国ではこうした料理が一般的なものとして広まっており、サヨイはすぐに自分のものとしていた。香草の香りが鼻孔をくすぐって食欲を刺激する。白磁のように滑らかな質感を持つサヨイの頬に湯気が当たる。
　一方のユウキはサツマイモのヨーグルトサラダを作り終えようとしているところだった。一○代前半と言った幼さの残る顔に自信ありげな表情が浮かぶ。どうやらヨーグルトサラダはユウキの自信作らしい。
　ユウキは隣に立つサヨイに視線を転じる。
　ユウキの視線を感じたサヨイは顔を向け、ふふ、と穏やかに笑う。
「こっちももう少しで出来上がるから。あと少し待っててね」
　サヨイは二○歳前後の若い女性だった。と言ってユウキの姉ではない。まるで姉弟のように見える二人は母子なのだった。
　あれはユウキが実の母を失ったばかりの頃。
　母親代わりとして選ばれたサヨイはずっとユウキに寄り添って生きてきた。ユウキの目にはいつしかサヨイしか映らないようになって。サヨイがユウキの母に選ばれたことが偶然であったとしても、ユウキがサヨイに恋をした瞬間に、偶然は必然へと意味を変える。
　一つには刷り込みという要因もあるだろう。
　カラスの濡れ羽色とでも言うべき長い黒髪。月を映す夜の湖面のような光を湛えた青い瞳。細身でありながら女性的な柔らかさを兼ね備えた肢体。
　ユウキはサヨイ以上に美しい人を知らなかった。
　しかし、そんなユウキの気持ちに気付いたサヨイは一時期、ユウキから去ったことがある。自分がユウキの傍にいることがユウキのためにならないと判断したのだ。それでもユウキはサヨイを求めた。何不自由のない生活を捨て、屋敷を手放すことで手に入れた金でサヨイを探す日々。
　そしてユウキはサヨイを探し出した。
　以来、二人はずっと一緒にいる。
　夕食を作り終えた二人は手際よくテーブルに料理を並べてゆく。薄桃色の花を咲かせるショウキランを活けた花瓶を置いて、ユウキが今日のために買っておいたランプに明かりを灯す。夕食の準備が整った。
　ランプの柔らかな明かりだけが部屋を照らす。クリスマスソングをＢＧＭにして二人は会話に花を咲かせる。互いを失った時、こんな静かな夜を共にすることができるなんて、二人は思いもしなかった。けれど、そんな瞬間が現実のものになってしまうと、二人は幸せに戸惑って気持ちを上手く言葉に乗せることができない。
　食べ終えたところでサヨイがテーブルを立った。「ちょっと待ってて」
　寝室に行ったサヨイを、ユウキは夕食の後片付けをしながら待っていた。
　しばらくするとサヨイが居間に戻ってきた。
「サヨイ……その格好？」
　ユウキは目を瞬かせた。
　サヨイは丈の短い赤い服を身にまとっていた。サンタクロースの衣装ではあったが、スカートの丈が短く、しなやかに伸びたサヨイの足がさらけだされている。サヨイは普段から、足が隠れる程度の長さのワンピースやスカートを好む。サヨイの細い足を数えるくらいしか見たことのないユウキは、サヨイの姿をなんと評すべきか迷った。
　少し頬を赤く染め、恥じらった様子を見せるサヨイは、いつもよりずっと可愛らしく映る。
　良く似合っている。
　心臓が高鳴るほど。
「……ユウキ、どうかな？」
「一体どうしたの、その格好？」
「ハッカさんが貸してくれたの」
　ハッカという人物がサヨイの友人だとはユウキも知っている。着道楽なハッカはたくさんの衣装を持ち、なにかとサヨイに服を貸してくれる。
　息子さんはきっと喜んでくれますよ、とハッカがサヨイに語ったことをユウキは知らない。
　そんなやり取りがあったことなど、ユウキは知らない。
　ただ、なにか言わなければいけないということは分かる。
「よく似合ってる……可愛いよ、サヨイ」
「……ありがとう」
　サヨイは背中に隠していた手編みのマフらーをユウキに渡した。
「寒くなってきたから、これを使って」
「ありがとう、サヨイ」
　その時、ラジオのＤＪが次のリクエストに移った。
　女性ＤＪが耳に心地良いソプラノを響かせる。
「次のリクエストは『四手のためのピアノソナタ』。ユウキさんのリクエストです。ユウキさんはこの曲にお母さんとの思い出があるとのこと」
　屋敷で暮らしていた頃。サヨイとユウキはピアノを連弾するのが好きだった。二人が好んだ曲が『四手のためのピアノソナタ』。二人の思い出の曲だ。
　軽やかなソナタが始まろうとする直前、ＤＪがユウキのメッセージを読み上げた。
「サヨイ、愛してる」
　そして軽やかなピアノソナタが流れ始める。

どやあ

ぷふー