冒険の書　１日目

―――目が覚めたら異世界だった。

16歳の誕生日を過ぎてから、そういったことがそこそこ日常的に起こるようになったからか、大した感慨も浮かぶことはなかった。
ただひとつ、旅の連れだった少年の安否は気になったけれど、今の自分に何が出来るわけでもなし、きっと彼もどこかで逞しく時を過ごしているのだろうと結論づける。

数ある分割世界の中でも掃き溜めと呼ばれ、無法者たちで形作られた”かの世界”と違い、そよぐ風といい差し込む日差しといい、久しぶりに感じる心地よさに思わず目を細める。

とはいえ、召喚されたのだろうからあまりのんびりし続けてもいられない。
世界に満ちた気配と雰囲気から、同じような境遇の人は数多くいるようだけれど、それはサボる理由にはならない。
求められたのならば応える。それが家訓で、生き方でもあるわけで。

寝そべっていた芝生から身体を起こして所持品等を確認していく。
世界を渡ると法則や物質も変化するためなのか、それとも世界を維持するなにかしらの力が働くのか、聖剣がなまくらに変わったり、身に着けたはずの技術などの諸々も失うことがある。

「ま、そうなるよね」

手の中にある大剣は見た目やサイズはそのままに材質を見事に劣化させていた。
服やマントにも相応に能力を付加させていたはずだけれど、その力の片鱗すら感じられない。
確認は続く。
剣を振り下ろし、切り上げる。
昨日まで確かにあったはずのキレもなく、さすがに気分が沈むのは避けられなかった。
とはいえこれも想定内。

「なんとかなるっしょ」

少なくとも、脱出不可と呼ばれていた”かの世界”から飛び出すことは出来たのだからそこは喜ぶべきことなのだと思う。

《変わらぬものよな》

独り言に応えるように響いてきた声は、直接脳内へと語り掛けてくるようなものだった。
その声、気配には覚えがあった。

「勇者（おれ）の守護者が魔王（おまえ）ってどーなんだろうね？」

《それもまた一興であろう？》

喉の奥で嗤うようなヴィジョンが脳裏に描かれる。直接イメージを飛ばしてきているらしい。

《とはいえ、此処では彼の地と勝手が違うようだ。与えられる加護はさほどでもないな》

それに、加護を与える相手はお主だけではない。
この世界へと渡る前、”否定の世界アンジニティ”において契約を交わした『魔王エリエスヴィエラ』。
存在感こそ陰りは見せないものの、影響力には制限がかかっているらしい。

《代わりと言うわけではないが》

声と共に若干の力の喪失を感じる。そして――

《この世界の”力”を用意した》

――補って余りある力の補填。
現れたのは実体化した影とでも言えばいいだろうか。
漆黒の身体に爛々と金色に輝く瞳。立ち上る濃密な闇の気配の塊。


《”エンブリオ”。お主の成長はコレの成長と同義であると心得るが良い》




ひとまず確認も済んだことだし行動を起こすことにする。
パっと見て召喚者らしき影が見当たらないので、一際目立つ巨大な城へと足を向ける。
城下の路上で賑わう露店に頬が緩むのを自覚しつつも真っ直ぐに王城へと向かえば、麦わら帽子の似合う三つ編みの女性が微笑と共に迎えてくれた。

「初めまして、私はルリアンナ。この一揆を影でサポートする参謀！ルリでもアンナでも、好きに呼んでね。
一揆に加勢してくれるのよね？ありがとうっ！！」

ルリアンナと名乗った彼女は、彼女の目的のために協力するのだと全く疑う様子がなかった。
ここまで堂々と言い放たれるといっそ清々しさすら感じる。

別に仏頂面をしていたわけではないけれど、思わず笑みがこぼれた。

「それで、俺は何をすればいいのかな？」

問いかけるとルリアンナ……ルリは「念のため」と言いながら一人の大男を呼び寄せた。
黒い短髪に隻眼。
自信と余裕の漲る姿は、見た目以上に修羅場を潜ってきたのだと思わせるに足るものだ。

楽しげにルリとひとしきり会話を応酬した大男、ラルフはこちらを向くと楽しげで好戦的な笑みを見せた。

「・・・さて、まずは腕試しだ。
ネクターも多くないが・・・・・何より、無駄な怪我人は減らしたいからな」

得物を手にすることなく構えを取れば、鋭く尖った気配が刺すように広がった。

「確かに、自分の目で、身体で確認するのが手っ取り早いよね」

まだまだまるで本調子ではないけれど、それは言い訳にならない。するべきでもない。
『今の自分』の力量を把握して、何が出来て何が出来ないかを理解する。
求める声に応じて、力を振るうべき時と場に居合わせることが出来たのなら、後はやることはひとつしかない。

「っというわけで、貴方の力・・・・・見せてちょうだい！十分な実力なら、ネクターを預けるわ」

高らかに、微笑と共にルリの声が響き渡った。

元素の世界”メルンテーゼ”での冒険が始まる。

　　――しっぽがぴくんと跳ねた。