裁判所から帰還する馬車の中で、フロレンスはその大きな目をくるくると動かし、外の景色よりも馬車の内装を気にしていた。
　ただの移動手段にここまで過剰な飾りは必要ないと、個人的には思うのだが、私が生まれた際に造られた物故に口は出せなかった。窓枠に貼られた金箔や、照明に埋め込まれて輝く金剛石の色が、フロレンスの水色の瞳の上で踊る。純粋無垢なひかりが、私には少し眩しかった。

「エメラさまー。この馬車とってもきれい！いすもふかふか！」

　はしゃぐフロレンスの頭を撫でる。心証のためわざとみすぼらしい姿のまま証言台に立たせたので、その髪は縺れて瑞々しさが足りなかった。城へ帰って風呂へ入れれば、もう少し滑らかなものになるだろうか、そんな事を思いながら指を動かす。

　役目を終えても、私はこの子を手放すつもりはなかった。約束通り新しい生活をさせてやりたい。そこに監視のためという僅かな理由は混ざっていたが、それ以上にフロレンスの事を喜ばせてやりたかった。私にとってフロレンスは、既に特別な存在だった。

「えへへ、あたまなでなで、うれしーです」

「ぼくね、なでなではいい子しか、してもらえないと思ってました」

　そう言って俯くフロレンスの髪をかき回す。思わず力が籠ってしまった。そのせいか、痛みで硬くなった髪質のせいか、私の指に嵌っていた指輪が彼の髪を引っ掻ける。

「ふぇ」

「……ごめんなさい。じっとしていて」

　指輪から指を抜く。両手を使って台座に絡まった髪を解こうとするが、弄る程に複雑になっていく。幸い繋がってしまった髪の本数は少なかったので、フロレンスに了承を得て後から切る事にした。

　彼の珍しい髪色の中で煌めく、矢車菊のブルー。
　外した後に「綺麗」と言って笑うので、そのまま与えてしまったが。

　フロレンスに、その色は似合わないような気がした。

　

　




　あれから、私が数年を共に過ごした相手はフロレンスだけだ。

　今は主のいない彼の部屋で、私はフロレンスの残していったサファイアの指輪を見ている。
　彼を連れて行ってしまった男に手紙を出すも、返事はまだ返ってこない。

　私は、考えている。
　フロレンスを妹に引き合わせたのは、いけない事だったのだろうか。
　あの男を王宮に出入りさせていたのが良くなかったのか。
　私自身がフロレンスを支えていれば、ここまでの事態にはならなかったのか。
　これ以外の結末は、なかったのか。
　私たちは、どこで道を間違えてしまったのかと。

　そもそも彼と出会わなければ？　と、一瞬浮かんできた可能性を握りつぶして、私は指輪を拾った。
　妹に合わせる顔がないと、そういう意味でフロレンスが姿を消した事はわかっていても、彼と私とを繋ぐ象徴とも言えたこの指輪が、部屋の中ぽつりと転がっていた事実に、私自身驚くほどの痛手を負っている。

　私にとって彼は特別だった。
　彼にとってはもう、違うのだろうか。
　フロレンスはもはや、あの男の囁きに耳の内側から爛れてしまっているのだろうか。

「お前の正統たる主は、このわたくしのはず……」

　私は彼の部屋を出て、旅支度を始めた。
　帰ってくるはずだと信じて待つには、時が経ちすぎている。

　フロレンス。
　もう一度、お前に……。

それ以外に、残す方法も持ち合わせなかったから。
その事実を語らずに、ただ、共に在り続けるための術を思った。

懐かしむような、遠くに置いてきたものを惜しむような、そんな声音だった。
結局は叶わなかったが、と、続けた声が乾いている。

それからフローラへと視線を落として、ああ、と頷いて。

期待をこめて、宝箱を開く……。