（14日目日記の続き）

「ま、座れ。今飯ば作りよるけん」

　壮年の男に連れられ、肩を貸してもらいながら民家へと入った。家の中央には囲炉裏があり、奥はかまどや食材が並ぶ台所となっていた。

「ちょっち待っといてねえ。いきなりで大したもんは出せんけど、ゆっくりしいね」

　男の妻とみられる女性が、台所で夕食の準備をしている。男とは少し年齢が下に離れているように見えた。

「うぃ〜。一仕事した後の酒は染みるのお……きさん、コレはいける口か？」

「……まだ、未成年です」

「……ほおか」

　徳利を傾け、ちびちびと酒をたしなむ男。家の灯りの下で男を見て気づいたが、やはり彼の肌はやや人間離れして青白い。人間ではない、のだろうか。

「はい。おまちどうさん」

　女性が目の前に食事を並べる。白飯、味噌汁、漬物、魚の煮つけ、野菜の炒めもの。そういえば、まともな食事を摂るのも久方ぶりな気がする。……何故だ？

「おう。ほれ、食え食え」

　腹は確かに減っていたが、それより先にやるべき事がある気がした。

「……名前」

「ん？　ああ、まだ名乗っとらんかったの。オイは『ハガネ』、あっちが」

「『ギンコ』。よろしゅうね、ええと」

「あ、いえ……俺の、名前」

　思えば、こうして人と話をする事すらもう幾日もやっていなかった。俺の名前は――覚えている。近い記憶が混濁しているだけのようだ。

「……クロ」

　俺の名前は。

「『黒沢　鉄雄』と言います」

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『――おい！　意識を飛ばすな、おい！！』

　先ほどまでの光景は、夢かはたまた幻か。聞きなれた声に目を見開くと、そこは光がらんらんと輝く嵐の真っただ中だった。

「……源三が。ここは」

『クロ――だな？　先ほどまでの少年とのやりとり、覚えているか？』

　――覚えている。シエラを農場送りにし、エンブリオを物のように扱う、あの少年。

「すまんな。少し我を忘れとったようじゃ」

『先程までのお前――やはり『テツオ』の方だったか。ともかく……』

『さっさと抜けるで。この圧力やと、あと30秒も持たん』

　マリアの声が頭の中で響く。その言葉に従い前へ一歩進むが、その一歩がとてつもなく、重い。

「きっついのぉ。源三、もう少し力ば出せんか」

『やっている。だが、こちらは身体ダメージを和らげるので精いっぱいだ』

『正直、俺らも限界だゼ……一刻も早くここから脱出しねえト』

　じわじわと疲弊する中で、一際高いユニコーンの嘶きが聞こえる。同時に、光の先にうっすらと、ユニコーンを使役する少年の薄ら笑いが見えたような気がした。

「――やべえぞ、構えろ！！」

　腕をクロスさせ、その場に踏ん張る。刹那、光が束となり、何十条ものそれがクロへと迫る。避けることも防ぐことも不可能――そう見えた。

　前に出たのは、スゥと権六の二人。彼が命じるより早く自身で決断し、その姿を現し閃光からクロを庇った。

『――っ、スゥ！？』

　以前からのスゥの友人である妖花が驚きの声をあげる。

「大丈夫か、スゥ、権六！」

「……へへ」

　スゥと権六の二人は、どういうわけか馬が合った。片や快楽主義の格闘技マニア、片や無口な土人形。似ているとは言い難い二人だったが、スゥは口数の少ない（というか『ま』『ま゛』しか言わない）権六の言葉の意味を理解し、権六はスゥから体術の基礎を教わった。

　いつもと同じように、二人はクロに背を向けたまま親指を立てたガッツポーズで応え、

　片方が、その場にくずおれた。

「スゥ！！！」

（契約が――切れた！？）

「スゥ、生きとるか？　返事せえ！」

『大丈夫、まだ辛うじて息はある。――フィードバックダメージを抑制するために、スゥの方から契約を打ち切ったみたいだね。あのタイミングで解約されてなかったら、クロもやばかったよ』

　ララのいつもの間延び口調も影を潜めている。権六はまだ立てるだけの体力はあるようだが、いずれにせよデッドラインは刻一刻と近づいていた。

「……どうやら、打てる手は多くないようじゃの」

　一瞬目を瞑り、その決断と同時にクロは強く目を見開いた。

　突然契約を解除されたエンブリオ達は、光の嵐の中に投げ出されながらも辛うじて姿勢を保つ。

「オイ、どういうつもりダ、クロ！」

「――きさんらは、スゥば連れて安全な所まで逃げえ。オイと源三はこんガキばのした後から行くけん」

「クロさん。エンブリオ一体で、あの少年に勝てるとでも？　――認めたくはないですが、あれはもう――一時的にですが『災厄』といっていいレベルの使い手です」

「なら、エンブリオ九体がかりなら勝てっとか？」

　僅かな間の沈黙。たった一つの無慈悲な答えを、クロに代わってマリアが代弁する。

「分かった。じゃあ、もしクロが来えへんかったら？」

「好きにせえ。村に戻って以前の暮らしに戻るのもええ、誰ぞ他の契約者を見つけて戦線復帰するのもええ。分かっとるとは思うが、オイの後なんぞ追うんじゃねえぞ」

　クロが片膝をつく。光の束が通り過ぎるまで、このままここで待つつもりらしい。

「行け。スゥの手当も早よせんと危いじゃろ」

「――分かりました。ララ、治癒術の準備は」

「できてるよ。適当なところまで距離とったら、私と妖花で応急処置だね」

　まずはスゥを連れた妖花・ララが戦域を離脱。次いで傷ついた権六をサポートしながら阿近とＭが後退。ナイトスピリットとドライアドは、ぐるぐるとクロの周囲を回転していたが、やがてその軌跡を外れるように遠くへ飛び去って行った。

「クロ」

　最後に残ったマリアが、クロの傍に寄る。

「ハガネ――あんたの親父は、まだ生きとる。こんな所で死ぬんやないで」

　そう言い残し、マリアも光から脱け出していった。後に残ったのは、彼とそのエンブリオが一体のみ。

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「そういやさっき、未成年とか言うとったの。今いくつじゃ」

「十六歳、です」

「……ふむ」

　顎に人差し指と親指を当て、考え込む男。

「いくつか質問してええか。きさんは日本の出身じゃな？」

「はい」

「最後に戦争やったんは何時か分かるか」

「……第二次世界大戦、だったかと」

「ほうか。今の年号は――平成じゃな」

「はい」

　不思議な質問だ。まるでここが、日本では無いかのような。

「――その国に『魔法』はあるか？」

「……？　いえ、特には」

「何ぞ得たいの知れん化物が出たっちゅう話は？」

「ありません」

「そうか。うーむ……」

　――何かがずれている。そんな感じがする質問が続いた後、台所から女の声が聞こえた。

「日本やったら、ほら、少し前に来たサイトーさんと同じやないの？　何や高い建物が倒れたとか言うて」

「おお、そういやそうじゃのお。――もう少しだけ付きおうてもらうで。その国に『通天閣』はあるか？」

「通天閣……そういえば、ニュースでやってました。『通天閣、倒壊』って」

「――ビンゴじゃの」

　メモに何やら走り書きを始める男。見たことのない字体だが、何故かその意味はうっすらと理解できた。

「じゃ、これが最後の質問になるかの。鉄雄、きさん、何ばやらかしてここまで来よった」

　何をして。何を。

　――何を。

「ぶっちゃけ、何となく察しはついとる。――そのパーカーの染み、意匠じゃねえじゃろ」

　前を指差され、首を下に向ける。そこには点々と、付いてから相応の時間が経過したであろう赤黒い染みがぽつぽつとついていた。

「はい」

　霧が晴れていくように。潮が引いていくように。混濁していた過去が、その姿を現していく。

「俺は」

　皮の剥けた手の甲をさすりながら、口を開いた。

「人を殺しました。この手で、沢山」

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