.　　　　　　　　　　　　　　　　　 よ
　激戦。そんな言葉が脳裏に過ぎった。

「ここで負けるようでは二流ですわね」
「ははっ。　……楽しませてくれよ」
　挑発的な物言いのレーネフィアに、怖じぬ兵舎の兵隊長。
「準備は良いか、紅月」
「行けるよ、おうさま！」
　続けて東が、配下を引き連れ臨戦態勢に入る。　
　すると横並びになっていた兵士達は、即座に隊列を整えていた。良く訓練されているのだろう。

　僕はただ、眺めていた。何かを言った気もするが、よくは覚えていない。





「はっ、はっ、はっ……」
　肩で息をしながら、呼吸を整えていく。
「は、は、はぁ……」
　思わず、地面にへたり込んでしまう。
「僕は、なんで」
　手に握りしめた“それ”を見つめ、大きく息を吐く。心臓の鼓動が収まらず、毎秒体が跳ねているような感覚。

「僕はなんで、こんな物を持って来ちゃったんだ」
　“それ”は心臓の音に呼応するように、脈動していた。

　――“それ”から、血が、滴る。
　僕は呻き声を上げる。やがてそれは嗚咽へと変わり、血溜まりに涙が合わさった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　トナカイ
　地面に顔を擦り付けると、べちゃりとした感覚。鼻頭は、馴 鹿 のように赤くなってしまっているだろう。
　舌を伸ばし、涙混じりの血を綴る。鉄臭い命の味と、微かな土の味が、口の中に広がった。





「――お姉様、どうぞ」
　ローラ・ピットはそう言うと、姉――カーミラ・ピットへ躰を預けた。
　華奢な肢体を抱き寄せ、首筋を舌でなぞる。
「吸ってあげるわ」
　白い首筋に、作り物の犬歯が刺さった。

「ん、んん……っ」
　声を漏らし、もぞりと震えるローラ。
　カーミラは動きを抑え付けるかのように、肩を抱き締める。
「吸血鬼たるこの私に、貴女は血を吸われているの。どぉ？」
　白魚のように美しい、ローラの頬を撫で、傷口に舌を差し込んだ。
　するとたちまち全身を覆っていた緊張が抜け、表情が柔らかに崩れる。
「っ、ァ――」
　ちゅるりと、音を立てるようにして吸血する。
　口の中に広がる、鉄の味。無理矢理に飲み込んでみても、喉に絡み付くような不快感ばかりが通り過ぎて行く。血の味に魅力を感じることはないカーミラであったが、頬の上気した妹の姿を想像するだけで、腹の奥がじんわりと熱くなるような感覚を覚えた。

　最後に傷口へ接吻を済ませてやると、赤くて透明な糸が、橋がかかったように唇と繋がる。
「うふ、うふふふふ、あはっ」
　思わず、嗤う。
　人間であるカーミラに羽根は存在しないが、今なら天高くまで飛んでいけるような気がした。
　自分が最早、人間ではないような気がした。




　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　そ れ
　気が付くと僕は、拾ってしまった手首にしゃぶりついていた。




　兵士達が、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
「……逃げるのなら王に言っておきなさい。
玉座に座っているだけなら、直ぐに首を取りに行く、と」
　
　レーネフィアの言葉で、ふっと我に返った気がした。
　そうだ。僕達は、王直属の兵士に勝利したのだ。

「敵が弱くて助かった、かな」
　東が捨て身の特攻で勝ち取った勝利であったので、冷静に考えるとその言葉は奇妙なものなのだが。今の僕は反復作業でもこなすかのように、ぼんやりとそう言った。

　そんな様子を訝しんだのだろう。レーネフィアが「どうかなさいました？」と問い掛けてくる。
　何か、答えなくては。
「プライド、脆いなあって」
「適切に退けぬことも、またプライドに反するのです」

　その程度で反してしまうようなプライド、持っていても仕方がないのではないか。
　そんな風に思ったが、僕はただ「なるほど」とだけ、応答した。

　そんな問答よりも、余程に心配なことがあったから。
　――懐に隠した“手首”が、見つかってしまわないだろうか、と。

一人の少女が思案気に手元の紙を見ている。
少女はこちらに気付き、近寄り言う。

男は思い出したように手を見ると、経緯を説明するのは面倒だから気にしないでくれと言った。

軽く目を伏せて、男は緩々と首を振った。

あなたが差し出した本を、ファイはちらりと覗き見る。
だがすぐに視線をあなたに戻し、こう言った。