危険な魔物の噂を聞いたリナ達は、進攻先を山から森へと変えていた。
山ほど急で険しい道のりではないものの、木の根が地表でもうねり、石もごろごろしている深い森は十分足場が悪い。勾配のなだらかさと、土の柔らかさに幾分救われていた。

…ただ、リナ個人としては、進攻先が森に変わったことが良い方に働いたこともあった。
木々という遮蔽物が増え、そして音も通りにくくなった結果…ふとした暇に、楽器を取り出しやすくなったのだ。
エスカーラにはまだまだ教えることが出来るとはいえ、リナ自身も修行中の身であることに変わりはない。

　リナは、クラシックな曲の伴奏をしたり、あるいは独奏するためのギターと、フラメンコの伴奏用のギターを持ち替えている。
先日、それぞれに合わせて弦の替えを調達してきたのだ。それを、楽器に張られている古い弦と入れ替え、それぞれ一曲ずつ奏でる。
クラシック用のギターの弦は、勝手を知っていたので不満はない。フラメンコ用のギターの方は…リナの好みから若干距離はあったが、楽器との相性は及第点と言えるところだった。

（…まあ、エッジが効いたソロをそこまで弾きこなせるわけでもないし…こんなものかしら？）

そう思案していたリナの耳に、控えめな拍手の音が届いた。

「先日買ったものかしら？」

拍手と声の主は、ギターの弦の替えとエスカーラの教本をリナが買ったその場に居合わせた女性、未夜だった。

「ええ、こないだ買ったやつを試し弾きしてたの」

リナの返事に、未夜は気の無いような声を漏らす。
　未夜は、楽器に興味を持ちつつも、リナが街の外で音を出していた状況を気にかけていたようだった。…だが、リナの魔力や周囲の状況を勘案してか、喫緊の危険はないと判断したらしい。

「……まぁ、貴女なら心配も要らなさそうね。」

そう、淡々とした調子で言う未夜に、リナは笑って返す。

「一応、キャンプもそこまで離れてないし…ちょっと休憩よ」

しかし、未夜の表情は緩まない。

「森の獣は鼻が利くわ。」

気をつけなさいね、と付け足すが、そこまで厳しい様子で言わないのは、そこまで本気で心配はしていないからこそだろう。
しかし、リナは森の経験が浅い。忠告自体は、有難く受け取ることにした。

「鼻ねぇ…気をつけておくわ、ありがとう」

それを聞いて、未夜が近くの木の幹に身を預ける。

「…それにしても練習熱心ね。さすがというべきかしら。」

「まあね…一応魔法を本職にするつもりはないし、こーゆーのってやらなければやらないだけ落ちるから」

そもそもギターも本職じゃないけど、音感くらいはね…と付け足す口調は軽いものの、表情は真面目である。
色々歯車が狂ってしまった結果、ここ2ヶ月ほど荒事に従事しているが…元々、リナは音楽家、それもオペラ歌手志望なのだ。

「…そうね。残念ながら私も絶賛下落中よ。」

未夜も淡々と同調する。
未夜はピアノを嗜んでおり、リナもその演奏を聴く機会に恵まれた。
ぱっと見冷たい印象を与える未夜だが、そのピアノの音色は優しく、そして普段の未夜の調子に相応しく穏やかだった。

「こないだ聞かせてもらったときは、あんまりブランクある感じしなかったけど…でも、そんなにしょっちゅう楽器屋さんで弾かせてもらう訳にもいかないものね」

この世界にもスタジオとかあればいいんだけど…と、リナは悩ましげに眉を寄せる。
ギターは比較的場所を選ばずに弾くことが出来るが、リナが本当に得意としている声楽は、得意であるが故に響いてしまい、場所を選ぶのだ。

「そんな設備はここにはなさそうね。……まぁ、私も本業が暇ってわけでもないから。」

未夜は、リナほど練習場所に飢えている様子は見せない。そもそも、未夜は意図して一気に参加しているようだから、ピアノは本業ではないのだろう。

「あー、ミヤは寧ろ魔法の方が本業なんだったかしら？」

思い出すように言うリナに、未夜は淡々と返す。

「魔法だけでもないけど。魔法も所詮はツールね。」

「魔法を使って何かする…感じね」

未夜の言葉に、リナは確かに、魔法はツールよねーと言いつつ頷く。
魔法自体に善し悪しも何もなく、ただ術者の意図を叶えるものとして認識しているのは、リナも変わらないからだ。
一方、音楽に関しては…欲する感情の強さは、表向き、リナの方が随分強いようだった。
リナは、練習場所を近いうちに確保することを、諦められずにいた。

「………でも、街の方なら探してみる価値はあるかしら」

そう呟くリナに、未夜は

「……整った設備は期待できないかもしれないわね。
簡単なステージくらいはあると思うけど。」

と助言をするが、それでもリナは納得しきれていないようだった。

「ステージ…も悪くないんだけど、それよりは純粋な練習場所が欲しいのよね。
地域コミュニティで使ってた公共スペースみたいなのがあれば、借りられないかなーって思ってるんだけど」

練習を公開する意味はなくもないが、それはまた別の話だ。
そもそも、公開して成り立つ程度にまで、磨き上げる場所が要る。
考え込むリナに同調して、少し思案する様子の未夜の言葉が、リナに衝撃を与えた。

「暮らすところがあるのだし、そういう場所はあるかもしれないわね。
…というか、以前の楽器屋で訊いてみたら？」

「あっ」

リナは目を丸くして、驚きの声を上げた。
顔には、何で思いつかなかったんだろう」と書いてある。

「よくある話ね、そういう忘れがちな事。」

リナの大きなリアクションに未夜は小さく肩をすくめるが、リナは気にする様子もない。

「ほんとよね…何で気づかなかったのかしら」

そう言って、リナは空を見上げる。
まだ日は高い。沈むまでにまだ時間はありそうだ。

「…今から行ってこようかしら」

「思い立ったら、という事？　止めはしないけど。」

いつものように冷静に言う未夜だが、店主によろしく言っておいて、と付け足すのを忘れなかった。
表への出方に違いこそあれ、音楽に思い入れがあるのは２人とも変わらない。

「それじゃ、行ってくるわね…楽器屋さんにはよろしく行っておくわ。
あと、ピアノ用の良いスペース教えてもらえたらミヤにも教えるわね！」

そう言って、リナは森の外…街へと飛び出して行った。
その後、楽器屋でうっかり長居してしまい、ダッシュで森に帰ってくる羽目になったのはまた別の話である。

（PL/E-No.1578　海谷　未夜さんとのロール内容を日記にお借りさせて頂きました。
ありがとうございました！）