▼t-4

もしも全てが、かみさまの気まぐれないじわるだったなら、ただ恨み事を言えば良かっただけだったのに。

……かみさまの、いじわる。





　　「最初に、僕たちについて話しておくね」

優しくて、でもどこか悲しそうな微笑みで、男の子は口を開く。
その表情が何故か、わたしのどこか奥の方を掻き乱した。
今思えば、それは彼の視線が、まるで自分を見るようだったからかもしれない。

　　「僕たちは、人間とうまくやっていくための"人間ではないもの"たちの寄り合いだよ。
　　　主に希少種族で構成されているけれど、彼女みたいな人間の協力者もいる」

少し離れた所から、先の女の人が小さく会釈をして、微笑む。
話の流れからすると、あの人は人間で、男の子はそうではないということらしい。
そう言われて見てみれば、目の前の男の子は少し変わった見た目をしていた。
濃い肌の色に尖った耳、鮮やかな翠色の髪の毛。どれも、わたしが初めて見るものだった。

何もおかしなことはない。かみさまの使いが人間でないのは、普通のことだ。
なんで男の子がわざわざそんな自己紹介をしたのか、わたしにはわからない（／わかっていた）。
そして彼が、続きを口にする。

　　「その存在が人間の範疇に含まれているのかは、僕にはわからないけれど……
　　　この地方には、以前から、稀に特殊な能力を持った子が生まれると言われてる。
　　　"その能力"を受け継いで生まれた子を、僕たちは仮に"バンシー"と呼んでる」

男の子は、わたしが言葉を噛み締められるように、ゆっくりと一言ずつ喋りかける。

　　「そして、その能力は、泣き声を聞いた人の、いのちの力を――」

わからない、きこえない、そんな逃げ口を、優しく塞いで息を止めにくる。

　　「――奪うこと」










もう、本当はわかっていたことだった。
何故、"人間ではないもの"のための寄り合いが、自分の元へ来たのか――"迎えに来た"のか。
何故あの時から、"生きている"人間が、街からいなくなっていたのか。――"死んでいた"のか。

　　『泣いちゃだめよ、幸せが逃げちゃうわ』

おねえちゃんの声を、思い出す。
きっとおねえちゃんがそんな言い方しかできなかったのは、おねえちゃんが優しかったから。
もし本当の事を言ってしまったら、わたしが気付いてしまうからだ。
わたしが生まれた時、最も近くで泣き声――産声を聞いた人たちが、どうなったのかを。
わたしが、二人をどうしてしまったのかを。

　　『泣いちゃだめ』

リフレインする。

だめだよ、おねえちゃん。
眼の裏で、湿った熱があばれる。
我慢できないなら、これ以上誰かを、ころさないうちに。

目を瞑って涙を押し殺したまま、わたしは後方へ――崖下へ向かって飛び降りた。





ところが、かみさまは、どこまでもいじわるであるらしい。

飛び降りたわたしは、崖の途中から張り出していた樹の枝に何度もぶつかった。
そうやって"偶然"、落ちる速度を殺された。

下に流れていた川に落ちて、衝撃もやわらげられてしまった。
崖の上から見た時は、そんなところに川が流れていたようには見えなかったのに。
"偶然"、見落としてしまっていたらしい。

だから、わたしは落ちて死ぬことができなかった。

川の中を流れていくわたしの身体を、靭やかな腕が絡めとり、水面へ引き上げる。
……そのまま声も出さずに溺れてしまえば、泣くこともなかったのに。
心ではそう思っていても、身体は勝手に空気をもとめて口を開いてしまう。

浮遊感からくる不安に目を開くと、わたしは抱きかかえられていた。
抱きかかえているのは、先ほど後ろのほうにいた女の人だ。
ほとんど同時に飛び込んでいないと、こんなにすぐには追いつけないはずなのに。

水から上がったばかりの女の人の髪が目の前を流れる。
その髪は川を流れる水と同調しているように、鮮やかに碧い。
それがあんまり綺麗だったから、ほんのひと時、わたしは涙の気配を忘れた。
言葉の出ないわたしを女の人は無言で抱きしめて、
一呼吸を置いてから肩を抱えるように、わたしの顔を覗き込んだ。

　　「――あなたは……っ」

　　「あなたは、確かに愛されて……
　　　"生きることを望まれて"いたのに！
　　　それでもあなたは、死を選ぶというのですか……！」

視線を合わせて。
合わせた目にいっぱい涙をためて、女の人が、言葉をたたきつけてくる。



――わかってる。



少し遅れて、撓う樹の枝を伝うようにして、男の子も崖を下りてくる。

　　「５年前にも、規模は小さいけれど、似た事件があったんだって。
　　　その時は、被害のあった場所の中心には、生きている子がいなくて。
　　　だから、縁のある人を全部死なせた結果、本人も餓死した、
　　　そうやって結論付けられていた、って聞いたよ」

語りかけながら近付いてきた男の子の足が、ほんの数ｍをあけて、止まる。

　　「――けれど、君は生きていた。
　　　あの中で一人生きていた君がどんな存在なのかは、
　　　この地域に住む人ならば想像がついた筈だ。
　　　それなのにこれまで、君の存在が表沙汰にならなかったのは……
　　　今までの間、きみがずっと――匿われていたから。そうだよね？」



――わかってる。



　　「彼らの判断は、結果的には間違っていたのかもしれない。
　　　完璧に隠し過ぎて、僕たちの発見まで遅れてしまったから。
　　　でも、君をそれだけひた隠しにしてまで育て続けたのは……
　　　君に、生きていて欲しいと望んでいたからさ。これは、間違いない」



おばさんは、わたしと距離を縮めようとはしなかった。
それでわたしは自分を愛してくれていないのかもと、思ったけれど。

ふとした拍子に泣き声を聞いただけで、死んでしまうかもしれない。
それを知った上で『殊更に避けたりしない』ことに、一体どれだけの覚悟が必要だったのだろう。
おねえちゃんだけじゃ、なかった。わたしは、こんなにも二人に望まれて。



――わかってるから、もう、やめて。



　　「でも、ふたりとも……っ。もう、誰も……！」

暴力的な涙の衝動が、目の裏を叩く。限界が近い。早くこの涙を止めないと、わたしはまた――










　　「泣いていいよ」


男の子が発した、その言葉を聞いた時のわたしは、きっとすごく呆けた顔をしていたと思う。


　　「僕も、ね？自分にもう居場所はなくて、持っているものはただ一つの暗い心残りだけで。
　　　それを終えたら、もう何もかもどうなったっていい、そんな風に思っていたことがある。
　　　でも、僕は彼女に会って、変わることができた。必要とし必要とされる人のお陰で、ね」

と、目の前でわたしを見つめたままの女の人を紹介するように、掌を向ける。

　　「だから大丈夫。絶対に、君のことを必要とする、そんな人がいるよ。君の世界は、変わる」

わたしにとって、その言葉は素直に信じられるものではなかった。
信じられるものではなかった、けれど――心のどこかで、かちりと何かが動く音がした。

　　「これから君は、生きていくために沢山辛いことを得て、沢山我慢をしなければいけない。
　　　僕たちは、そこで君が我慢するのをいつも手伝っていられるわけじゃ、ない。
　　　……でも、今だけは、見ていてあげられる。
　　　この街にはもう僕たちしかいないし、僕たちは大丈夫。だから今君は、泣いてもいいんだよ」

頬を熱い雫が流れるのを感じた。きっと、わたしの顔はまだ、呆けたままだったろう。
表情を歪める余裕もない、真っ白な頭のままで――ただ、力の抜けた瞼から、涙が溢れていた。
男の子の『大丈夫』の意味は分からなかったけれど、一度流れ始めればもう、止められない。

涙で歪んだ視界に映るのは、不思議な光景だった。
男の子が首に提げた布袋から、光が溢れていた。
女の人の指輪も同じように輝き、光は二人を護るように包んでいた。
それが生命力を高める『ライフェイド』という加護の力だったことを知るのは、しばらく後のことだ。


そうしてわたしは、人の間で過ごす術を学ぶことになった。

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(Eno.210PL 雨ヶ谷律さまのキャラクターをお借りしました。)

花蓮の手が頭を撫でようと露の頭へと伸びた。

空気が、一変する。

男は徐ろに顔を上げ、ゆらりと鍬を構える。

其処に在ったのは、既に農民ではなかったかもしれない。

鬼殺しを求めた剣士の、在りし日の残影――

波が引くように、炎が消えるように。

ゆっくりと気配が、収束する。