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【ツクナミ区P-4 スターゲイズビル 3F 雄鶏翻訳事務所】
[翻訳・仲裁など 言葉と言葉を繋ぐプロフェッショナル]
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こんにちは。
雄鶏翻訳事務所にようこそ。何か御用で?
……ああ、君が私に連絡してきた学生か。
座りなさい。すぐにお茶を出そう。
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さて、送ってくれた履歴書は読んだよ。
私の元で働きたいという事だが、……君は勘違いしているようだ。
ここの翻訳は私一人の仕事だ。
君は四ヶ国語を扱えるという事だが、私は250の言語を習得している。
これらの言語の対訳に関して言えば、私は翻訳アプリケーションなどより正確に、迅速に、そして元の文章以上に文を上手く表現する事が可能だ。時には複数の言語を介して多重翻訳を行う事もある。どの言語を経由するかによって言葉のニュアンスは変化するからね。
またあるいは、翻訳というのは、訳者によって、あるいは訳す度にその形が変化する。
翻訳とは単なる言語の対応ではない。訳した先の言葉をどう記すか、どう喋るか、どう表すかを訳者が決める、一種の作品だ。
……ああ、これは翻訳を専攻する君なら、分かってくれる事だったね。くどくどと済まない。
だからなんだ。
私は、私以外には翻訳をさせない。これまでも、これからもね。
『翻す』雄鶏は、ギルガメシュ大王の言葉をクリンゴン語で書く事すら可能なんだ。台湾の片田舎の方言で、合衆国大統領の演説をその勢いのまま喋る事もできる。
君も、雄鶏翻訳事務所の噂話を聞いてやってきたんだろう?
そうだ。私の翻訳を求めて、様々な人が連絡してくる。身分の貴賎、洋の東西を問わず。
果たしてその評判を築いてきた私の翻訳の幹に、五ヶ国や十ヶ国程度の言語技能しか持たない拙い枝を接木するわけにはいかない、という訳だ。
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涙を拭きたまえ。
大学一年生でそれくらいなら十分出来る方だよ。将来有望だ。
……いや、荷物持ちも雇っていないんだ。
事務員も居ないし、いらない。ここは私一人の城だ。
弟子も取ってない。悪いね。
翻訳の案件なら受け付けるよ。大学の課題で迷った所があったりすれば、一度くらいは無料で受け付けよう。
忘れ物は無いかな。
ああ、帰りは気をつけて。さようなら。
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雄鶏翻訳事務所所長、オンドリ・ネガエ。
本人曰く250の言語を操り、翻訳する、天才的翻訳家。迅速さが求められる通訳などもこなし、加えて解読や喧嘩の仲裁まで、言語に関してマルチな才能を持つ。
異国間のウェブ通訳をこなしたりもする国際的人物。
人は翻訳関係の知見を深めるほどに、彼の名前を随所で見る事になる。
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近隣都市に出かけたりもするが、荊街が活動拠点。
事務所を構え、そこで依頼を受けたり、海外での翻訳案件をこなしたりする。
荊街内では基本的に徒歩移動。
リュックや巨大なスーツケースに入っているのは辞書の類。本人が参照するというより、翻訳した相手に解説する為に持っている。
見ての通りの強靭な肉体を持ち、そんじょそこらの不良相手なら肉弾戦ではまず負けない。逃げ足も追う足も速い。
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異能は【翻現】。
常に発動している。
何かの文脈から派生させて己が発した言葉、書いた文字などの表現は『その通りになる』。
それが嘘や虚構と看破され、誰かに言及された際には『元通りになる』。
これを用いて、遠距離の似ている路地を「実質同じ」などと言って接続する事で荊街内を擬似ワープしたり、相対した相手が勝手に死亡した事にして脅威となる異能者をやり過ごしたりする。
また、この停止不可の異能のせいで、自身の翻訳を誠実に行わなければ、依頼者に疑われて翻訳や通訳の結果が霧散しかねない。
願が衒学的なまでに解説を行う理由、あるいは元凶たる異能。
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彼の目的は、世界の全ての言語体系の崩壊である。
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彼は、何かを表す上で間違える事が出来ない。
彼の異能は『誰かに指摘されるまで、己が翻した意味を現実に定着させる』。いかなる事物も、その文脈を繋いで翻訳してしまえば、瞬間で己の思うがままになる。
街行く美女を己の妻に。宝飾店のショーケースの中身を己の資産に。
しかし人は、翻された現実を指摘する。それだけで、彼の作り出した事物は崩れ去る。
子供の頃から、如何なる嘘も極端な現実を描き出してしまい、全てバレた。
写生をすれば、教師に指摘された部分が剥がれるように消え去った。
友人と誓い合った約束も、青春の幻想と言われれば泡と消えた。
どんな創作も、どんな意見も、それが己の主張とされれば消える。彼は相対主義の上に生きざるを得なかった。全てが虚無の上に在った。
そんな中で、自分以外の人間が紡いだ文脈を翻訳すれば己の介在が最低限で済むと気付いたのは、齢十一の時だった。
如何なる主張も許されない己の呪いを許すには、彼は傷つきすぎていた。
皆に分かってほしかった。
己から何も生み出せない苦しみを。
一つの否定で全てが崩れる虚しさを。
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彼の翻訳文には、翻訳上の意図の説明と、完成までに選定された大量の翻案という付録が付く。その中に含まれる僅かな誤謬に気付ける者は、世界最高の翻訳家である願以外に存在しない。
荊街の公共・組織・裏組織を中心として、世界中にバラ撒かれる、僅かな情報子の歪み。それによって、翻訳された言葉と文章の属する言語が、ほんの少しずつ壊れていく。
数多の案件、数多の依頼。それの積み重ねによって、誰もが誰もと言葉が通じなくなる臨界の日が近付いてくる。誠実な仕事によって築き上げた信頼が、雄鶏願の夢の力になる。
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