
『長い夢を見ていた。』
『夢の中では、誰も僕を笑わなかった。』
……
夢が覚めると、ここにいた。
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いつからそれが発現していたかは、思い出せない。
思い出せないほど、昔からだ。父や母の声よりも先に、その声を聞いていた気すらする。
家族だった人たちは、それを『症状』と呼んだ。
異能ですらない、それは疾患であり病気であり治療し駆逐するべき対象だったのだ。
「神の声が聞こえる」
そう説明ができるようになったのは、ある程度もののわかる年齢になってからだ。
それまではただの『症状』であったそれは、その説明により『異能』と判断されるようになった。
■■家の人間にしては、異能の発露が遅すぎる。
そう言われ続けて来た。幼いころから。
だが、その『症状』が『異能』にカテゴライズされたことにより、これまでされてきた評価……落ちこぼれとか、愚図であるとか、嘘つきであるとか、そういうことだ……は、否が応でも見直されることになる。
結果としては、やはり落ちこぼれのままだったけれど、そこにさらに『遠ざけるべき』である、という評価まで加わった。
■■家の人間にはふさわしくない。
異能と呼ぶにもおこがましい。
このようなものを異能と呼ぶべきではない。
■■家でもらった名前は、もう名乗っていない。
ある日突然、どういう繋がりなのかもわからないくらい遠くの家に養子に出され……
夢が覚めると、イバラシティにいた。
……
覚えていないことは多い。
頭の中に常に響いている神の声が、いろんな記憶をかき消していってしまうのだ。
その声は星の瞬きほどに微かで、微かであるからこそ、常に全神経を集中して、聞いていないといけないのだ。
我は神の使徒。神の剣。
いつか極北の玉座にて、その御姿に拝謁するまで。
その日までいつまでも、あなたを待つ。
誰が信じなくても構わない。
いつかあなたが、この世界を等しく平和で満たす。
その日までいつまでも、あなたを待つ。
(城北風 備忘録)