Data:
グレゴオル・ジッセはただの大学生だった。
東欧歴史学を学ぶ、ごくごく普通の大学生だった。


欧州、東欧の生まれ。
父は大学教授、母は農家。ロシアとベラルーシの境目で育ち、
大学進学で東欧歴史学と文学を専攻する。父のいる大学に通っていたが、
ある日グレゴオル・ジッセが目が覚めると、大学の近くにある
戦車博物館にある76mm野砲に姿が変わっていた。

戦車博物館に展示されている野砲として生きる事を決意せざるを得なかった時、
偶然にも観光客のスマートフォンの画面が目の前に表示される。……何故か、
電子ネットワークに接続することができるようで、これで大学の授業を
電子的に受講。出席も電子操作で取るなどして"日常"を過ごすことはできた。

それから野砲生活を1ヶ月過ごした頃。
電子ネットワークへの介入にも慣れ、気付けば自身の存在をネットワーク上で
「アバター」として投影、歩きまわれるようにまでなっていた。実家を離れ、
父がプレゼントしてくれたアパートの一室に暮らしていた身分であるが故か、
彼が失踪したというニュース、記録は電子上には存在しない。
厳密には大学の講義には出席しているという状態は続いていたし、実際に
グレゴオルは講義の内容を予習復習するくらいはしていた。電子的に。

故に。グレゴオル・ジッセ……いや、グレジッセはある意味で安堵し、
またある意味で不安にもなる。 　　　自分とは？……

電子的な受講、出席。時々博物館の野砲として来客を見る日々。東西の壁など
まるで存在しない、広大なる電子の海を泳ぐ日々。この電子の世界を、ただ一人
ずっとずっと生きるのではないか？　……気付けば、自分と同じような体験を
している存在が東欧歴史や文学上でそういう記録がないか調べ始めていた。

しかし。彼が望む結果というのは、どんなに探しても得る事は叶わなかった。
どんなに泳げど、海には世界中のニュース、政治、ゴシップ、攻略、都市伝説。
砂漠で針を見つけるようなもの、という例えを海に落とし込むなら、と思うほどに
それはそれは見つかるものではなかったのだ。
……そうして、電子の海を泳ぐ内に彼はある領域へと侵入してしまった。ロシア軍の
ネットワークである。言い換えれば、ハッキングに手を染めたのである。
そこには、ネクタイトをはじめとする異能に関するもの、世界大戦時代の
恐るべき技術など、彼が知らない"東欧歴史学"が広がっていた。

当然。歴史学専攻の彼にとってこれまでにない"研究材料"である。数年後に控える
卒論の題材として申し分ないものだった。……皮肉にも、電子妖精とも言える今の身体に
なれたから成せたことだ。自伝を書けば、卒論の一部にも使えるだろう。
そうしてグレジッセは、軍の保管資料や政府の資料を拝借していく。

拝借する際に、ハッキング……つまり、侵入の痕跡は出来るだけ消した。できるだけ。
グレジッセはハッカーとして名のある人間ではない。……人間はない。つまり、
現状は電子上の存在しかない。
身体は野砲。本体は電子の海。グレゴール・ジッセはこの立場を利用し、
僅か14日間で独自の見解を纏め上げていった。だが、ここで一つ問題が発生する。

"資料の保管先"だ。

拝借した際に考えればよかったものを……こればかりは、電子の海に隠そうにも
隠しきれない。考えなしに拝借した結果、彼のは目の前に西側のウォール街の如く
聳え立つデータの山。「隠せるものなら隠してみろ！」と、それを誇示している。

今から資料をネットワークに戻しても気付かれるだろう。……気付かれる。
ならば。気付かれてしまうのならいっそ。　グレジッセは逆に、原本は自らの体に
暗号データファイルとして蓄積し、コピーをその山に紛れ込ませておいた。

データの山にコピーを混ぜることで、見つかった時に自分の論文が混ざってるとは
気付かれないと考えた。何せ莫大な量なのだから。もし自分がロシア軍に発見され、
存在を"デリート"……つまり、論文を発表できなかったとしても、後世には残る。

こうしてグレゴオル・ジッセは大学生活をその間も行いながら、これからも
電子的に続ける事にした。いつか電子的であったと、そして軍的にもバレる
大学卒業の日まで……


グレゴオル・ジッセはただの大学生だった。
東欧歴史学を学ぶ、ごくごく普通の大学生だった。