「ーー旅？」
「ああそうだ、ちょうどいい機会だと思って」

突然育て親の口から飛び出た単語に、何がちょうどいいのだと少女は思い切り顔をしかめた。
彼が定期的に家を空けることはもちろんあったが、そのときは大人しく留守番をしているのが常であり、彼自身もそれを望んでいたはずだったのだが。

「なんでまた突然……」
「それがちょっと、お前は過保護が過ぎるって上司から怒られて。まあ俺も確かにそうだなーと思わなくはなく」
「それで旅？」
「かわいい子にはっていうだろ？」
「いや、留守番でいいです」

食卓で焼き立てパンを頬張る育て親からすぐさま視線を逸らし、膝の上でお腹を見せてはごろごろと喉を鳴らす飼い猫を撫でる。
穏やかな日々がずっと続けばいいと日頃から思っている少女が、旅などという未知な上に危険も付きまとう行為を嫌うのは当たり前といえば当たり前であった。

「上司さんには私が嫌がったって無理だったって言っといてください」
「いや、それがもう手遅れでさ」
「手遅れって」

嫌な予感を拭えない少女が育て親を恐る恐ると見上げれば、返ってきたのは見慣れたーー大嫌いな意地の悪い笑み。

「お前絶対嫌がるだろうなと思ったから、寝てる間に呪いかけといたから」
「は」
「俺以外の誰かと一緒に旅しないと、子豚さんになっちゃう呪い」
「……は」
「期限は１ヶ月で」
「ッ、あなたって人は本当に！！」

突然の怒声に怯えた猫が膝から逃げるように去っていったが、少女がそれに構う余裕はなかった。
ああもうこうなってはどうしようもないと頭の隅では分かっているのが腹立たしく、そして悪びれもなくにこにこと笑ったままの育て親の姿が余計に胸をムカつかせる。

「拒否権ないじゃないですか！」
「用意する気なかったから」
「こういうときだけ本当に勝手な人！」
「大丈夫大丈夫、設定はちゃんと作っておいたし、あ、でも何かあったら女だと困るから男で宜しくな。それと悪魔だって絶対バレないこと、わかった？」
「私まだ良いって言ってない！」

あーだこーだと文句を言っても、一度決めたら他人の意見を聞かない育て親には何処吹く風だ。


そんなこんなで始まった、一人の悪魔の先行きの見えない旅。
子豚になどなりたくないーーただそれだけの気持ちで、"少年"となった悪魔は住み慣れた家を出たのであった。