遠く水平線に現れた影に過ぎなかったそれが輪郭を持ち、色彩を持ち、ひとつの国へと姿を変える。
船の入港とともに旅客たちが細い出口にひしめきあう。

一方人の波がおさまるのを待つ集団もあり、俺はその一人だった。

一番最後に出ようと思った。
とうとう着いたからだ。この地に。先生が生まれ育った故郷へと。

呼吸のたびに肺をしみじみ満たす空気の一粒一粒に過去の先生もまた同じ空気を吸ったのだと実感が湧いてくる。
幼い先生を確かに包んだ空気。俺の知らない先生にあたたかいまなざしで見守り祝福した大地が目の前にある。
これだけで長い船旅を耐えたかいがあった。

船を降りた。はじめて大地へ一歩を踏み出す。
じん、と体全体が熱くなる。
かつて大陸を離れた先生とはまったく逆の道をいま、踏んだのだ。
先生の道程を辿る旅をはじまらせたと同時に、俺は先生の意思を踏みにじった。
恐ろしい。けれど高揚は恐怖を上回る。

まずは長く潮風に晒されてぱりぱりになった耳と尾を洗い流そう。
それから出かける支度をしよう。
髪を梳いて、襟元を正して、毅然とした振る舞いをすることが先生の地への礼儀だった。