古代中国は春秋戦国時代、瑚馬津叡寺(こまつえいじ)なる寺があり、そこでは戦災で居場所を失った孤児たちが集まって生活を行っていた。
ある日、範都(はんつ)と言うとても可愛らしい子供が、「匿って欲しい」と寺に現れた。範都は戸栗鼠鄭亜(とりすていあ)地方を治める名士の子供で、隣国の禰雄須碑亜(ねおすひあ)の侵略から命からがら逃げ出してきたのだという。 当時の瑚馬津叡寺の年長者であった納埜華(なのか)は範都を匿うことを決めた。
程なく禰雄須碑亜の兵士達が現れ「範都はおらぬか」と叫んだ。しかし納埜華達は「範都はいない」「範都は(ここに)いてはいない」などと囃し立て立ち去るよう求めた。 立ち去ろうとした兵士だが、人相書に酷似した子供を見つけ「お前は範津ではないのか」と迫った。
しかたなく範都は下帯を取り、己の下半身を兵士に見せた。 「女子ならば範津ではない」 範都は一人っ子であり男の子として育てられていた為、実は女子であることを知らぬ兵士たちは範都と分からぬまま寺を去っていった。
しかしこの話には諸説あり、範都は実は男児で、「こんな可愛い子が女のわけないだろ」と兵士が去って言った説もある。
余談ではあるがこの話を基にされたゲームが製作され、口々に「ぱんつはいてない」といわれるのは範都の性別が不確かだったことに由来するのはあまりにも有名である。
民明書房刊 「ギリギリズム」より
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